一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

小宇宙

2017-05-27 07:18:29 | 雑記


     昨日、一昨日と、梅雨の前触れのように雨が降った。

     ちょっと小雨になったのを見て、このときとばかり
     帽子をかぶって草むしりをした。
     雨で土が柔らかいので草が根っこから取れやすい
     のだ。

     ハハコグサ、カラスノエンドウ、スギナ……
     一口に雑草というけれど、よく見るとみな、
     可憐で一生懸命生えている!

     ダメダメ、そんな憐みを起こしたら草むしりなんか
     出来ない。
     無情にも私の手はどれもこれも荒々しくむしり取る。

     右手、左手を交互に動かしながら、
     私は「老い」というものを考える。

     子供の頃、
     祖父母をみて、彼らはどうしてこんなに年老いて  
     いるのだろうと不思議でならなかった。
     腰が曲がって、声もしわがれて……。

     若さとは薄情なもので、老いた者に同情も思いを
     馳せることもできないのだ。

     やがて自分も年老い、こんどは子供や十代の青年
     たちを見ると、ほんとに若いなあ、とつくづく思う。

     ある人がいっていたけれど、
     若いことの素晴らしさを感じることのできるのは、
     それが失われたときになって、である。

     人は一つの時間を二度体験することができる!
     一度目は当事者として。
     しかしそれは、渦中にいるから、その素晴らしさも
     分からない。

     そして二度目は、
     それを失ったとき。

     ならば、「老い」とは、
     人間の一生をトータルでみると、人生の「刈り入れ」
     のときなのかもしれない。

     人生の仕上げにあたる、この夕刻の最も自由な時間帯
     を輝かしく生きたいものだが……。

     それにしては、わが人生は日々あわただしく、
     煩瑣なことに追われている。
     優雅な「刈り入れ」とはほど遠く、
     余裕のない日常だなあ、という実感である。

     雨が再び降りだして、草むしりは終了。

     ※ 雨どいから流れてくる水でスミレに似た花が
       咲いているのをパチリ。