一枚の葉

私の好きな画伯・小倉遊亀さんの言葉です。

「一枚の葉が手に入れば宇宙全体が手に入る」

年々歳々

2015-06-20 20:56:06 | 自然


     北国ではもっと早いだろうが、 
     当地では10日ほど前に田植え
     が終わったところである。
     今日、近くを通ったら
     蛙がしきりと鳴いていた。

     田植えとい、蛙の鳴き声といい、
     一年の季節のサイクルをこれ
     ほど感じることもない。

     鎌倉にも田んぼはある。
     買物のとき、わざと遠回りして
     田園風景を見ることがある。

     植えられたばっかりの早苗は
     あれよあれよと思う間に大きく
     なり、盛夏には勢いさかんな
     青田になる。

     秋風が吹く頃には穂が出て、
     やがて一面黄金に輝き
     そして稲刈りをむかえる。

     鎌倉に越してきて、この工程
     を4回みた。
     (引っ越して4年半になる)

     最初の年、3月のまだ寒い頃、
     おじいさんが一人、鍬で田起
     こしをしていた。
     一鍬、一鍬、土を起していく
     のである。

     2日目、3日目、亀のごとく
     に見えたおじいさんの作業が
     いつしか田んぼ全部を起して
     いたのに驚いた。

     それでも一年目は、
     ご苦労なこった、何もそこま
     でしなくても……と、
     半ば同情の気持ちもあったの
     である。

     しかし2年目、さらに腰を
     曲げて働くおじいさんの姿が
     ミレーの「種まく人」ではない
     が、神々しく見えてきたのだ。

 
     3年目、おじいさんの姿は
     なかった。
     もしや、入院でもしているの
     ではないか……などと思い、
     気にかけていたら、
     田植えの手伝いをする姿に
     ほっとした。

     しかし、鍬で田起こしをする
     姿は2年目までで、翌年から
     は息子さん
     (といっても60代)
     が耕運機を使ってやっていた。

     今年も田植えの手伝いをする
     おじいさんの姿はあったが、
     ほとんどが息子さん夫婦が
     機械でやり、おじいさんは  
     補助的な仕事をちょこちょこ
     するだけになった。

     まさに、
     年々歳々 花相似たり
     歳々年々 人同じからず
     である。