襄が帰国して出会ったのが山本八重。
会津藩の砲術師範の家に生まれた八重は戊辰
戦争のときには若松城(現在の鶴ヶ城)にたて
こもって、一か月以上も攻めくる長州軍と戦った
武勇伝の持ち主。
実際に当時最新の七連発のスペンサー銃を持っ
て、である。
気性も男勝りなら、銃の腕前も男以上であった。
しかし幕府に味方した会津藩は薩長軍にやられ
て、ついに逆賊に。
失意の八重は兄の山本覚馬をたよって京都に
出るのだが、その時の心境はまだ調べきれて
いない。
新天地で銃のかわりに持ったのが英語であった。
襄は理想の妻は?と聞かれて、ヤマトナデシコ
ではない女性と答えている。
つまりアメリカで自分の意見をもってはっきり
主張する女性をみてきた彼は、夫のいいなりに
なる女性には人間として魅力を感じなかったの
であろう。
八重はうってつけの妻であった。
(写真は結婚したての新島夫妻
襄は初婚で33歳、八重は再婚の31歳)
ところがこの妻と結婚したがゆえに、襄には
かつてない難題が降りかかる……