ブクログより
中国王朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀については、映画などで知ってはいましたが、その弟、溥傑やそのお嬢さんの嫮生さんについてはまったくの無知でありました。
溥傑の妻、嫮生さんのお母さんは日本人(嵯峨家ご出身の浩さん)、最初は政略結婚だったにも関わらず、お互い信頼と深い愛情で結ばれ、二人の子どもをもうけられますが、終戦となり溥傑は戦犯として捕らえられ、五歳の嫮生さんは、日本人ではあっても気持ちは中国人という、確固たる信念を持つお母さんとともに、言い尽くせない辛酸の後、日本に引き揚げてこられたのでした。
時代が時代なら皇女として何不自由なくぬくぬくと暮らしていけた立場の方なのに、戦争により満州国の消滅、日中断絶による家族分裂となんと数奇な運命を歩まれてきたことでしょう。
そんな中にあっても、溥傑や母浩は自身はいつも清貧簡素、自分より他人、そしてなにより日中友好に心を砕いてきました。
そんな両親を見て育ってこられた嫮生さんも日中友好の架け橋となって力を尽くしておられます。
「命さえあればよろしいのでございますよ。生きてこそ、でございます」という言葉、苦労をしてきた人の心に響くなんと重みのある言葉であることでしょう。
流転の子 - 最後の皇女・愛新覚羅嫮生 / 本岡典子
☆☆☆☆☆
保育園の運動会がありました。
何をしてもみんなかわいい~~。
お弁当。