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感謝するということ

2012年10月24日 | 動物のこと
『こげんたちゃん事件』という事件があります。

拾ってきた子猫をバスタブの中で虐待して殺害するまでを
ネット掲示板で実況放送したキチガイと、それを煽った便乗犯による凶行です。

こいつは懲役6ヵ月の判決を受けましたが
執行猶予が付いているのでのうのうを社会復帰などやらかしているわけです。

ただ本名も顔写真も晒されていますので
ちょっと検索すればすぐに出てくると思います。

この本は
虐待された子猫への思いをつづったレポートや詩集などが一冊にまとめられたものです。

可愛いものを無残に殺されたという前提で始まりますので
人によっては非常に感情的だと受け取る人もいるかもしれません。

しかし
僕は感情で始まった犯行は感情で裁かれないといけないと思います。
動物虐待はやがて人間へ向かう傾向もあるとか、そういう机上の論理ではなく
生き物を虐待の末に殺した、その事実だけで糾弾されるべきだと思います。

こういう動物愛護のニュースが流れると必ず
「肉を食ってるやつが何言ってるんだ」とか
「牛や豚は殺して良くて猫はダメなのか?」とかいう人がいます。

殺しているのではなくて
いただいているのです。

そのために作られたという言い方は強引ですが
やっぱり役割に対する感謝というものはあって当然です。

体を作ってくれる役割、
心を作ってくれる役割、

偽善かと問われれば『原罪』です。
食べるためには殺さなければなりません。
だから『いただきます』と手を合わせるんです。
屠畜場の人だって流れ作業で死なせているとは思えません。
やはりそこには食べるという行為に対する感謝はあると思うし
無ければならないと思います。

他の生き物を殺さないと生きられないからこその責任もあるのだと思います。

捨て犬や捨て猫には『殺処分』という現実もあります。
以前見たドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と』の一場面に
動物愛護センターの職員に
【動物は、好きですか?】
という質問を投げかける場面がありました。
苦しい問いかけだと思います。
ですが職員さんは
「好きですよ、毎回苦しい思いをしながら(処分を)やってます。だけど嫌いな人はやっちゃいけない、
動物に対する申し訳ない気持ちだとか、力が及ばなくて助けられなかった命に対して謝って手を合わせるっていうのは
好きな人でないとやっちゃいけないと思います」

助かる命なら助けないといけない
奪わないといけない命なら、たとえ偽善であっても感謝する。
そのおかげで自分たちが生きていられることに対して感謝する。

【いただきます】というのは
そういう言葉なんだと思います。

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