5月7日のつづきを述べます。
「心所の法は識に随って応に説くべし。始めには但四のみ有り。乃至一有り。復各自と相応の心即相応の依を加えたり。初の五識の心所には五の所依有り。乃至第八の心所には二の所依有り。此れより前の三の師も皆自所立の識の所依に随って其の多少を説き、復各、自と相応の依を加うべし。」(『述記』第四末・九十八左)
第二の段・心所の倶有依について説明するところです。
「心所の所依をば識に随って説くべし、復各々に自の相応する心を加う。」(『論』第四・二十一左)
(心所の所依は識に随って説かれるべきである。また、各々(各心所の所依)に自らの相応する心識をも所依の一つとして加えるのである。)
五識と相応する心所の倶有依は「五の所依有り」と。即ち、五根・第六識・第七識・第八識と、その心所が相応する識のひとつが加えられる。
第六識と相応する心所の倶有依は、第七識と第八識と、その心所が相応する第六識そのものを加えて三の所依である。
第七識と相応する心所の倶有依は、第八識と、その心所が相応する第七識そのものを加えて二の所依である。
第八識と相応する心所の倶有依は、第七識と、心所が相応する第八識そのものを加えて二の所依である。
以上のように、心所の倶有依については、その心所が相応する識の倶有依と、さらにその心所の相応する識をも倶有依(相応依)として加える、と説明しています。
第三の段・総じて正を結ぶ。
「若し是の説を作すときには、妙に理教に符えり。」(『論』第四・二十一左)
(もしこの説をなす時には、妙に理と教にかなうのである。)
倶有依(増上縁依)についての結びになります。『述記』には「総結正」と述べられ、護法の義を正説として結び、護法正義によるならば、理と教にかなうのである、と説明がされています。その間の事情について「第四の説は妙に理と教に符えり。前に引く所の如し。此れ等の義理は諸論に有りと雖も、文いい散じ隠れたるに由って諸賢究むること勿(な)し。今夜光に類して彼の義を顕す矣。(『述記』第四末・九十八左)と、感銘を以て述べています。この護法の説は諸論に説かれてはいるが、その文は不明確であった為に、意味が隠れ、諸賢もこれを明らかにすることが出来なかった。今、護法菩薩が夜光の珠玉に類するともいうべき説を明らかにされた、と。護法正義の倶有依説によって、依と所依の区別が明らかにされたのである、と。
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