失念と不正知とは遍染の随煩悩であることを明らかにします。
「若し失念と不正知が無くんば、如何ぞ能く煩悩を起こして現前せん」 という問と答えが述べられます。
煩悩が生起する時には必ず失念と散乱不正知が存在する、と六遍染師は主張してしていましたが、護法はこの説を踏襲してこの三は遍染の随煩悩であると説いています。
「要ず曾受けし境界の種類を縁じて、忘念と及び邪簡択とを発起して、方に貪等の諸の煩悩を起こすが故に」(2011・11.17の項を参照してください)
失念は正念を障へ散乱を所依とし、また不正知は正知を障へ毀犯(罪を犯すこと)することを業と為す、といわれていますように煩悩は失念と不正知によって起こされるわけです。その性は染汚であり、不善と有覆無記であり。この二の性は穢らわしい心があるので染汚性の法であるといわれるわけです。
正念を障えるから散乱が生起し、正知を障えるから悪を為すという、即ち失念とか不正知が煩悩を起こして現前させるのであって、失念と散乱と不正知もまた遍染の随煩悩であると護法は主張します。正しい認識理解をあやまることが煩悩を生起させるわけですから、私たちが迷っているという、正法に対する疑惑が煩悩を生起させ現前させるのであると教えています。
「若し失念と不正知と無くんば如何ぞ能く煩悩を起こして現前すという。必ず正念を失し及び正しく此れは是れなり非なりということを知らざるが故に、而も煩悩を起こす。失念と不正知との二法有るに由って、彼の染心いい是れ正念等に非ざるが故に。」(『述記』)
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