唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

祝日雑感 「提言」  原発を考える

2011-07-18 12:21:50 | 信心について

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 地元の夏祭りのクライマックスを飾るだんじり競演が昨夜鶴見神社前の車道で繰り広げられました。

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 古くは五穀豊穣を祈願し、民の平安を祈る日本独自の風習ではあったようですが、そのなごりを地元の地車保存会の人たちが今にその伝統を伝えています。

 日本は農耕民族ですから、夏の風物詩として全国で神を讃え、秋の収穫が豊かであり、民が元気で平安に暮らせるように祈願したのでありましょう。

 今、日本列島は原発問題で揺れていますが、その問題提起の視点は今の生活が維持できるのか、あるいは原発無しでは企業は海外に拠点を移行せざるを得ない状況になるのではないのか、その結果国内が空洞化になるのではないかという不安ですね。この問題の視点が人が人として生きるという原点を忘れているように思えてなりません。夏祭りから教えられることは、私たちの祖先は大地と共に生きてきたのだということです。そこから自然と共生し、自然から教えられ、自然に感謝してきたのです。そして「今」、私たちは大地と共にという大地性という私たちの居場所を忘れ去ってしまっている、ということなのではないでしょうか。

 1986年4月26日午前1時23分、ウクライナの首都キエフから北約150キロの同原発4号炉が、出力調整実験中に大爆発を起こしました。いわゆるチェルノブイリ原子力発電所事故です。二週間の火災で大気中に放出された放射性物質は、広島・長崎の原爆で放出された量の二百倍とみられ、風に乗り旧ソ連から欧州全域にまで達し、被爆者は五百万人といわれました。そして「死の灰」の十年として1996年4月27日~29日まで中日新聞に検証記事が掲載されています。またチェルノブイリからもんじゅへという国のエネルギー政策に疑問を呈した記事も掲載されました。その中で、「過去のプルトニュウム被害の実態がまだ解明されきっていないのに、今度は安全性が世界のどこでも実証されていない高速増殖炉の建設。ここが第二の チェルノブイリになる恐れもある。」と警告をしていました。何故、教訓が生かせず、事実を隠蔽してきた背景には国家主義、もしくは大国ロシア復活をもとめる国論の高まりがありました。その結果新原発計画を宣言したのです。福島原発についても情報の開示が国民に伝わってきません。このことはすでに「事故についてなんお情報もなかったからなの。一年くらいして突然、息子はおかしくなった。覚えたことばも、すべて失った。」と、原発から南西に百四十キロのジトーミル市で四十二歳の女性は語っているということです。原発事故の恐ろしさはすべてを破壊するということ、そしてその影響が半永久的に残るということです。原発事故から十年経過したチェルノブイリ十キロ圏内の放射線量は通常0.1マイクロシーベルトの百倍を超える10マイクロシーベルト超だということです。

 秘密主義ということはなにもロシアに限ったことではありません。中日新聞には「 チェルノブイリ事故から十年を目前に起きた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の高速増殖炉「もんじゅ」の事故。地元・福井県や関係市町村への連絡は一時間も遅れた。そして、事故現場のビデオ隠しや改ざん。原子力開発に付きまとう「秘密主義」を浮き彫りにした。」と記されています。そして当時の橋本首相は「原子力安全サミット」において「原子力利用には公開性と透明性が重要。もんじゅ事故を機に情報公開の大切さを再認識させられた。」と述べました。しかしこの教訓は全く生かされたてはいません。なお秘密主義は横行しています。これはとりもなおさず、私たちの行き着く場所が鮮明ではなく「豊かになれば幸福がやってくる」という幻想と妄想のなかに身を置いているからですね。一つの欲望が次の欲望を引きずり起こしてくるのです。便利さと快適さを追い求めてきた結果の闇が露呈しているのです。闇がすべてを覆い隠してしまっているのです。私たち一人一人が足元を見つめなをさないといけません。そうでなかったならば、やがて原発容認に動かざるをえないでしょうね。それは「天然ガスも石油もロシアから十分買えない現状では、原発は止められない」というところに落ち着いてしまうのではないでしょうか。日本でもこの当時から「省エネで脱原発を目指すべきだ」という声が高まっていたのです。「低コストより、省エネ対策が急務」だと。しかしその後の対策は、コストと安全性を強調して限りないデメリットを公開してこなかったのです。原子力は人も環境もすべてを破壊するのです。いうなれば、全破壊兵器です。「生命の尊厳」を第一にする人間は原子力の安全性を高める努力をするのではなく、全世界が一丸となって自然エネルギーで共生できる枠組みを作ることを一刻も早く実現し、脱原発を推進し、すべての原子炉を廃炉にすべきなのではないでしょうか。

        「ああ もったいない

         もったいなし

         この手は

         どちらにあはせたものか

         今 日がはいる

         うしろには月がでている」

                  山村暮鳥  「ある時」

                                                          


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