唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変  受倶門 (44) 三受について 第四門

2013-02-01 22:59:43 | 心の構造について

 問。初禅には(有漏の)鼻・舌無くとも無漏(の鼻・舌識)は即ち有りと言うといわば、(二禅)以上には(有漏の)三の識無けれども無漏(の三識)は応に有りと言うべし。
 答。一に云く、初禅には(有漏の鼻・舌)二の識無し、余の三識(眼・耳・身)有るが故に、類なるを以て余の二識(無漏の鼻・舌識)も有りという。上地には五識本来無ければ、彼の種類も無し、如何ぞ有らん。
 又四静慮に皆五識有り。但仏は多く第四定を起こすというは、殊勝なるを以ての故なり。
 又解す、(五識は)唯第四定にのみ有り、七・八識の如し。此れが中の三の解は情に任せて之を取れ。

 上来は已に六識の六門、一に差別、二に体性、三には行相、四には三性、五には相応、六には三受を解し訖んぬ。無漏の八識を束ねて義を為して幾ばくの師の所説かあるべきや。
 成唯識論述記巻第五末 

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 第二は、六位五十一の心所について、個別に説明される。

 「前(さき)に略して標する所の六位の心所において、今広く彼の差別の相を顕す応し」(『論』第五・二十六右)

 (前に略して説明をしてきた六位の心所について、今まさに詳しく個別の相を明らかにする。前所略標は三段九義中・心所相応門の略標六位にあたる。)

 「唯識三十頌科本」という法蔵館から出版された書物があります。三十頌を読むにあたって、そこには何が書かれているのかを知る道知りるべになるのが科文です。第三能変には三段九義として科文が施されていますが、元は『述記』によります。『述記』本文は「此の能変に就て総じて九頌有って九門を以て分別せん。第一に能変の差別を出し、第二に自性、第三に行相、第四に三性、第五に心所相応、第六に三受倶起、第七に所依、第八に倶転、第九に起・滅。唯四頌有つて明かす所なり。知る可し。然るに中間に有る初遍行等の五頌は重ねて前の相応法の体を明かす。別に六識を分別する門には非ず。九頌有りと雖も総束して三段と為す。一に初め四門を明かす、即ち此の一頌是れなり。二に心所相応と及び三受倶とをいう、次の六頌是れなり。三に依止と倶転と起・滅とをいう、後の二頌是れなり」と記述されており、『三十頌』を読み解く上ではっきりとした方向づけがなされています。手元にある「三十頌科本」からより解りやすく説明しますと、次のようになります。

 三・第三能変相九門三(第三能変の相は九門有って、それが三段に分かれる) 初めに四門を明かす。

 初めに能変差別を出す  次第三能変差別有六種

二に自性門         了境為性

三に行相門         相

四に三性門         善と不善と倶非

                       以上 ・ 第八頌

 二に二門を明かす

五に心所相応門      此心所遍行別境善煩悩随煩悩

                不定

六に受倶門         皆三受相応

                       以上 ・ 第九頌

 重ねて六位の心所を明かす(重解六位心所)

遍行(5) ・ 別境(5) ・ 善(11) ・ 煩悩(6) ・ 随煩悩(20) ・ 不定(4)

                以上 ・ 第十頌~第十四頌

 三に三門を明かす

七に所依門         依止根本識

八に倶転門         五識随縁現 或倶或不倶

                如濤波依水

                      以上 ・ 第十五頌

九に起滅門         意識常現起 徐生無想天

                及無心二定 睡眠与悶絶

                      以上 ・ 第十六頌

 以上が三段九義の科門になります。

 これから「重ねて六位心所を明かす」に入ります。法相唯識では、心所は五十一を数えます。これが六種(六位)に区分されますので、六位の心所というのです。即ち六位とは遍行・別境・善・煩悩・随煩悩・不定をさし、その心所総数は五十一になります。

 第三能変は前六識(表層意識)、前五識と第六識になります。前という言い方は初能変・第二能変が深層意識として働いていることを意味します。簡単にいいますと、初能変(阿頼耶識)は純粋経験・人間の根底に在って、すべての経験を蓄積し記憶していく命の在り方です。しかし個人的な命の在り方で、世界が狭められています。また第二能変は末那識ともいわれ、我執のこころです。我執の心は寝ても覚めても、命ある限り、能動的に働いていますので、さらに世界を狭めているのです。この深層の世界の上に表層の意識が働くわけです。それが前六識といわれる、私たちが覚知できる意識なのです。覚知できるというのは、自覚できる心作用ということができます。自覚できるという働きが有るということが、自分の人生をどう切り開いていくのかを能動的に選択することが出来るということになります。しかし、その選択は深層の意識との関わりの中で決定されていくということになり、深層意識の解明が第三能変に課せられた使命を決定する重要なポイントになるようです。

         ―      ・     ー

 成唯識論述記卷第六本上    沙門基撰論。
 「前所略標至彼差別相 述曰。自下重解六位心所。於中有二。初標所説總勸教興。次隨解釋。此即初也 就解釋中大文有二。初以五頌別顯心所。後總料簡心所與心爲一爲異。就此初中分爲五段。初一頌辨二位。次一頌辨善位。次半頌辨煩惱位。次二頌辨隨煩惱位。後半頌辨不定位 以一頌辨二位中。有二。初問起論端。後隨問答。」

                        (つづく)  


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