唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第二 所縁行相門 (2)

2014-10-19 23:29:18 | 初能変 第二 所縁行相門

 行相・所縁を解す。(一) 略解

 「此識行相所縁云何。謂不可知執受處了。了謂了別。即是行相。識以了別爲行相故處謂處所。即器世間。是諸有情所依處故。執受有二。謂諸種子及有根身。諸種子者謂諸相名分別習氣。有根身者謂諸色根及根依處。此二皆是識所執受。攝爲自體同安危故。執受及處倶是所縁。阿頼耶識因縁力故自體生時。内變爲種及有根身。外變爲器。即以所變爲自所縁。行相仗之而得起故。」(『成唯識論』巻第二・二十五左。大正31・10a11~a20)

 (「この識の行相と所縁云何。謂く不可知の執受と處と了となり。了と云うは了別。即ち是れ行相なり。識は了別を以て行相と為すが故に。處と云うは謂く處所。即ち器世間なり。是れ諸の有情の根依處なるが故に。執受に二有り。謂く諸の種子と及び有根身となり。諸の種子とは、謂く諸の相と名と分別の習気なり。有根身とは、謂く諸の色根と及び根依處となり。此の二は皆是れ識に執受せられ摂して自体と為して安・危を同ずるが故に。執受と及び處とは倶に是れ所縁なり。阿頼耶識は、因と縁との力の故に自体の生ずる時に、内に種と及び有根身とを変為し外に器を変為す。即ち所変を以て自の所縁と為す。行相は之に杖て起こることを得るが故に。」)

  この識の行相と所縁はどのようなものか?

 十門分別の中、第四・第五の行相・所縁分別である。「不可知」というのは、麤細を分別するものであり、所縁に約し、行相に約して、不可知を明らかにする。

 「不可知」は本頌を挙げて答える。「不可知執受處了」(不可知の執受と了となり)

 無意識の領域は、私たちには解らない存在である。有るのか・無いのか、それが不可知という概念である。知ることが出来ない、知り様がないことであるが、他の識と同様に了別(ものごとを区別して理解すること)の働きをもって能縁・所縁がある。了別は行相である。「識は了別を以て行相と為す。」 これは識の自体分である。行相とはまた、見分である。「識体転じて二分に似る」という形で働いている。識体は自体分ですね。自体分が転じて見・相二分に開かれるのですが、具体的は働きは見・相二分になるのです。

 能縁が了別です。これを行相という言葉で言い表しています。では所縁は何かといいますと、認識対象のことですが、「種・根・器」という。諸の種子と、有根身と器世間、これが所縁である、と。

 第八識は、内に種子と有根身(五色根と根依處)を変じ、外には器世間を変じます。器世間が有情の所依處になるわけですね。

 種子と有根身は「摂為自体同安危故」(摂して自体と為す。安と危とを同ずるが故に)と言われていますように、執受が有ります。「執受に二有り。謂く諸の種子と及び有根身なり」。器世間には執受はありません、外のものですから執受はなく、處といわれています。

 種子と有根身は、第八識の見分がこれを境と為すと共に、自己自身として執受しています。厳密には「阿頼耶識は種子を執持(種子を保持する働き)し、有根身を執受(維持されるもの)する」と説かれています。これが第八識の相分になります。私のものであるというふうに、第八識自身が、つまり阿頼耶識の中に、ものを執着していく、或は保持する働きをもって命を維持している。それによっていろんな経験をしていくのですね。有根身は合聚の義と言われていますように、いろんなものが合わさって体が出来ています。それによって痛かったり、痒かったりですね、そういうことが起ってくる。これが内側の問題ですね。

 それともう一つ、外側には器世間ですね。外界の一切、「是諸有情所依處故」(是れ諸の有情の所依處なるが故に)。これは所縁であり、識の相分であるということですね。

 「内変」・「外変」の「変」ですが、識所変の変ですね。自体分から二分が出てくる。この二分に依って、我・法を施設する。「由仮説我法」(仮に由って我法と説く)の我・法です。此れに離れて相分・見分はないわけです。ここが自体分・相分・見分の三分説になります。もう少しいきますと四分説が説かれます。そこと関係があるのですね。識所変を以て、自の所縁と為すということになります。相分も見分も識が変じたもの、識体が能変、二分が所変という構図です。所変の見分が能縁になり、相分が所縁になるわけですね。

 「変」につきましては、もう一つ「内識転じて外境に似る」という二分説があります。識体が見分であり、能変ですね、境が所変になります。見分が能縁・相分が所縁になります。これが二分説です。二分説・三分説、それに護法菩薩は証自証分を加えて四分説を立てました。この四分説が大事な教説になってくるわけですが、この後にでてまいります。

 今日も、概略を説明しました。次回から『成唯識論』に従って読んでいこうと思います。


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