唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(27)二部を破す。

2017-08-31 20:13:56 | 阿頼耶識の存在論証
  
 前段で護法は経量部の本計を論破しましたが、経量部はこの論破に対して、さらに論陣を張って自らの主張の正当性をアピールしますが、再度護法はこの主張をも論破することになります。
 経量部の再度の説明は、「身と命根が相互に保たれ(相持)互いに保持して食となる」と主張するのです。
 「彼の上界に在りて無漏を起せる時には、有情の身と命と既に互いに相持して即ち互いに食と為す」(経量部の主張)「と言わば、此れ亦然らず。」と。
 論破の要旨は、
 「四食に彼の身と命とを摂せざるが故に、彼の身命は定んで是れ食に非ざるべし。四食に摂せざるが故に。生・住等の如し。」(『述記』第四末・十一右)
 身とは、有根身(五根)、色法
 命とは、命根、心不相応行法。
 経量部は、上二界にあっては、身にとっては命根が食となり、命根にとっては身が食と為るとといているのですが、護法は、このようには説いてはならないと云うのです。
 「復、上界の有情は、身と命と相持して即ち互いに食と為るとも説くべからず。四食には、彼の身と命とを摂せざるが故に。」(『論』第四・三右)
  詳細は次科段で述べられます。
 語句説明
 生・住等とは生・住・異・滅のこと。現象的存在が生じることと、存続すること。変化して異なることと、滅してなくなることの有様。有部は実有の法と主張し、唯識は仮有の法と説きます。
 上記の『述記』の説明から、
 〔宗〕 四食に彼の身と命とを摂せざるが故に。
 〔因〕 彼の身命は定んで是れ食に非ざるべし。四食に摂せざるが故に。
 〔喩〕 生・住等の如し。
 となります。
 つまり、無色界には色法は存在しないのですから、本科段は、上二界の色界においても、色界の身は命根の依り所とはならないし、命根は心不相応行法ですから、食の體とはならないのです。