唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第二能変 所依門 (38) ・ 倶有依 (14) 安慧等の説 (5)

2011-02-24 22:58:08 | 増上縁依(倶有依)

 根・識の繋異の難を述べていました。初は鼻・舌両根を難ずることを述べています。欲界繫に属するものとして、六根と六識が存在し、根は欲界・色界に通じるが、鼻識及び舌識は欲界のみに存在し、色界には存在しないといわれていますね。このことが難陀等の説の矛盾点なのです。五根が五識の種子であると主張しているわけですが、それならば、鼻識・舌識も色界に存在しなければならないのです。また鼻根・舌根は欲界・色界に存在するわけですから両方に矛盾が生じます。聖教に説かれている界繋と矛盾を起こし、難陀等の説は間違いであることを示しています。

 「『対法』第四に云く、謂く四の界と二(香・味)の処との全と及び余(十四界と十処)の一分とは是れ欲界繋なり。四界とは謂く香・味・鼻・舌識なり。色界繋の中には前の四の界を除いて余(十四界)の一分は色界繋なりといへり。五十六に云く、四は唯欲界繋なり。十一(五根・眼・耳・身・色・声・触)は唯欲・色二界繋なりといへり。故に知んぬ鼻・舌根は色界にも亦有り。若し識種即ち根なりといはば、根はまさに唯欲界繋なるべし。或いはまさに二識色界繋に通ずべし、識種は即ち根なりといはば、彼に根有るが故に明けし現の識も有るべし。翻返するに二許さば倶に教と違しぬ。」(『述記』第四末・七十二左)

 但し、意界・法界・意識界は三界すべてに通じる、即ち三界のいずれにも存在し得るのです。十八界とは、一人の人間を構成する十八の要素ですね。人間存在は五蘊・十二処・十八界を以て成り立っているのですね。十八の要素とは、眼界・耳界・鼻界・舌界・身界・意界・色界・声界・香界・味界・触界・法界・眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界の十八です。

 根・境・識を以て十八界をあらわしていますね。十二処は六根(六内処)・六境(六外処)をまとめて十二処といい、一人の人間を構成する十二の要素・領域を示しています。

 聖教には、十八界のうち五根と眼識・耳識・身識・色境・声境・触境は欲界と色界に存在するが、鼻識・舌識・香境・味境はただ欲界にのみ存在する、と説かれている。これが第四の根識繋異難になります。

 亦、『演秘』には具体的に述べられています。『瑜伽論』五十六の意を挙げ、十八界の界繋を明らかにする中、欲界繋・色界繋の十一を挙げて説明しています。

 「疏(四末・72右)に唯欲色二界繋なりとは、謂く、五色根と色と声と触との三と、眼と耳と身識となり。舌と鼻と香と味とは色界に有るにあらず。意(根)と意識界と及び法界との三は三界に通ずるが故に、斯れに由りて欲・色には唯十一のみ有り」(『演秘』第四末・三十一右)

 整理をしますと、欲界と色界の界繋には五色根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根)と色境・声境・触境と眼識・耳識・身識の十八界中の十一界が欲色二界繋であり。鼻識・舌識・香境・味境の四は唯、欲界繋である。意根界と意識界と法境は三界すべてに通ずると述べられます。