唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変ー自相行相(本質とはたらき) その(1)

2010-04-19 21:33:49 | 心の構造について

 第三能変は「差別なること六種有り」といわれますように、六識であることです。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識ですが、「差別なること」つまりそれぞれが対象(所縁)を明瞭に認識する働きを持っているという事です。六識は第八識(根本識)を依り所としているのです。所縁はそれぞれ色境・声境・香境・味境・触境・法境であることが述べられています。前五識はニ群に分類され(A)眼識・耳識・身識の群で欲界と初禅に働き、(B)鼻識・舌識は欲界のみに働くといわれます。前五識と第六意識はともに表層のこころで、深層の第七・第八識と区別されるわけです。そして表層のこころは麤であり、深層のこころは細に働いていますから、表層のこころは自覚できる心作用であるということができます。第三能変は表層の心の働きを分析した心所論を展開します。具体的には六位五十一の心所論です。心所論は第九頌から第十四頌まで展開されます。そして第十五頌に「根本識に依止す。五識は縁に随って現ず。・・・」第十六頌に「意識は常に現起す・・・」心は何に依って動き、働くのかを明らかにしていますね。「縁に依る」ということです。それでは自相・行相をみていきます。

 「次に了境為性相(りょうきょういしょうそう)と言うは、雙(そう)じて、六識の自性と行相とを顕す。識は境を了するを以って自性と為すが故に。即ち復彼を用って行相と為すが故に。」(『論』)

 次に「境を了するを性とも相ともする」と言うことは、六識の自性と行相とを並べて顕すのである。なぜなら、識は境を了別することを自性(本質)としているからである。すなわち、また、そのことを以って行相(働き)ともするからである。所縁の境を了別するのは見分の作用(行相)であり、本質は直ちには顕すことができないので、作用をあげて本質も復、了境であるといわれています。(『唯識学研究』取意)

 「中に於いてニ有り。初めに頌を釈し、後に経を会す。此れは初めなり。前の第七の性相の中に解するが如し。」(『述記』)(第七末那識には識の所依論が述べられています。識の所依を種子依(因縁依)・倶有依(増上縁依)・開導依(等無間縁依)により、識相互の関係が述べられています。『専註成唯識論』p79~88)第七末那識では我執がどのように捉えられているのかが論じられ、第三能変では六識の具体的な働きについて論述されているのです。