袖振り合うも多生の縁 そでふりあうも・たしょうのえん (故事・ことわざ辞典より)
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならないという仏教的な教えに基づく。
「多生」とは、六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味。
「多生の縁」は、前世で結ばれた因縁のこと。「袖振り合うも他生の縁」とも書く。
「袖擦り合う(擦れ合う・触れ合う)のも多生の縁」ともいう。
『上方(京都)いろはかるた』『尾張(大阪)いろはかるた』の一つ。
お講席などご信者が多く集まった場所で、よくこのことわざを申し述べております。
お互い、常住寺というお寺のご信者となり、同じ連合、同じ教区、同じ部に所属して、いっしょにお看経をあげ、ともに祈り、祈願し、亡き魂の回向をさせていただく仲間。
浅からぬご因縁で結ばれた、お互い本当に大事な、大事な大事な存在です。
それぞれ、馬の合う合わないはありますが、それでも、みなさん同じようにご法様を信じて敬い、同じ感覚で喜び、そして戒めあっていく信心の友なのです。
(王子教区 甲・お講席)
(志茂1教区 甲・お講席)
なつかしいご信者さんのお顔も写っています。
ここにアップするために、ため込んだ写真をずーっと眺めておりましたら、ただただ、ありがたい気持ちで一杯になりました。
(役中さんの会議風景)
(朝参詣)
これからも皆さんと、異体同心の和を以て、ともにススメ励まし合ってやっていきたいと思うものです。
ご弘通発展。多くの方がお題目で救われますように。みんなが、そう願っていっしょにご奉公させていただいてます。
ありがたいと申すよりほかありません。
次回は布教区や支庁、信友のお教務方などの写真を貼っていきます。m(_ _)m