あさやん通信

おいらの日記、徒然なるままに!

福沢近藤両翁学塾跡

2012-12-20 01:45:54 | 歴史探訪
JR浜松町の北口から線路に沿って数分北上すると福沢近藤両翁学塾跡の石碑があります。

ここは、慶応義塾の福沢諭吉と攻玉社の近藤真琴の学塾があったところです。

福沢諭吉は、明治元年(1868)から明治三年(1871)までの間、この地で学塾を開いていました。
それまで築地鉄砲洲にあった学塾を移し、年号を取って慶応義塾と名付けました。
明治四年(1872)には慶応義塾は三田に移り、この地を受け継いだ近藤真琴が攻玉社という学塾をつくりました。

昔、教科書に載っていた、福沢諭吉が戊辰戦争の砲声の轟く中、講義を続けたというのが、まさにこの場所だそう。

で、近藤真琴というお方は・・
鳥羽藩士で、幼少期より皇・漢・蘭学、蘭式兵学、蘭式/英式航海測量術を学んでいます。
安政5年には村田蔵六(大村益次郎)の鳩居堂に入門し、また軍艦奉行矢田堀景蔵の塾に入り、
文久3年には幕府の軍艦操練所翻訳方を命じられ、更に測量学科教授補助を務めました。
この頃から私塾を開いて蘭学、航海術、数学などを教えるようになり、これが攻玉塾、後の攻玉社の始まりだそうです。