慶応ボーイの植木屋修行

ランドスケープアーキテクト福川成一のエッセイとオーベルジュ・スミの庭の記録

日本の風景 Ⅱ

2009-09-29 11:20:06 | エッセイ
多神教である幸せ
 一神教は砂漠だからこそ生まれた。アラビアの大地に寝転ぶと空しか見えない。無数の星があって、その運行を統一している絶対者がいるのではないかと自然に思えてくる。厳しい自然環境の中で生き残るためには常に生命の危機を感じ、神に祈るしかなかった。一方、日本のように山あり谷ありで1つの風景の隣に次々に別の風景がある風土ではそれぞれに別の神を感じざるを得ない。生命の危険のないやさしい自然の中では神といっても絶対的なものというより相対的なもので、先祖の延長線程度の他者といったイメージであったであろうと思われる。絶対的な父性的な神ではなく、やさしい、慈悲にあふれた相対的な母性的な神をイメージしていたと思われる。   
一木一草に仏が宿ると感じられる自然に恵まれた我々はいつも近くに神を感じていた。


自然という学校
 日本の風土感覚からはどうしても相対的にならざるを得ない。だから日本人は説明すべき建前がない。神道には教義がない。清浄であればいい。あっけらかんとして捕らえどころがない。神道は宗教とは言えないかもしれない。
つまり我々日本人のすべての規範はこの美しい、やさしい日本の自然なのだから、宗教も哲学も民族のルーツさえも考える必要がない。世界の民族がこだわっているもろもろのことを考えなくてよい楽園生活者なのだから、いつも上機嫌で問題解決は飛躍的に早かった。日本人というのは猛烈に聡い民族になることが出来た。
美しい自然という学校を持っていた日本人は自然以外のアイデンティティーを持つ必要がなかった。と同時に自然からはなれてしまうと日本人は自分達のことを見失う存在でもある。今日のモラルの荒廃はまさにこの点にあると考えられる。
若者達が沖縄のアーチストにあこがれのように共感を寄せるのも、つまり沖縄人の沖縄の自然に対する態度に共感しているからではないだろうか。

日本人の長所
 まだ水清く、山河も美しかった室町時代に西洋から宣教師達が日本にたどり着き、当時の日本人のことをローマに詳細に書き送っている。
日本布教の最高責任者であった東インド管区巡察師ヴァリニャーノがローマに送った日本要録に日本人の長所が書かれている。少し長いが面白い。
「住民はみな色白く、きわめて礼儀正しい。その社会においては、一般庶民や労働者といえども驚くべき礼節をもって上品に育成され、あたかも宮廷の使用人のごとくである。この点で彼らは東洋の他の諸民族のみならず、われらヨーロッパ人よりも優秀である。
 人々は有能であり、すぐれた理解力を有し、子供たちはわれらの学問や規律をすべてよく吸収し、ヨーロッパの子供たちよりもはるかに容易に、また短期間にわれらのことばで読み書きをおぼえる。また下層の人々のあいだにも、われらヨーロッパ人のあいだに見るような粗暴者や無能者がなく、いずれもすぐれた理性の持ち主で、高尚に育てられ仕事に熟達している。
 庶民も貴族もきわめて貧困である。ただし、彼らのあいだでは、貧困は恥辱とは考えられていないし、貧しくても清潔にして丁重に待遇されるので、貧者が目につかない。

 日本人は全世界でも最も面目と名誉を重んずる国民であると思われる。彼らは侮辱的なことばはいうまでもなく、怒りを含んだことばに耐えることができない。従ってごく下級の職人や農民と語るときでも礼節をつくさなければならない。
服装、食事、その他すべてにおいて、きわめて清潔であり、美しく、調和が保たれており、あたかも日本人すべてが同一の学校で教育されたかのような秩序と同じ生活態度が見られる。
結論的に言って、日本人は優雅で礼儀正しく、すぐれた天性と理解力を有し、他のことでは欠点もあるが、以上の点では私達よりも優秀であることは否定しえない。」(欠点はキリスト教の汝姦淫するなかれに関する貞操観念のことなのだが今回の主題ではないので別の機会に譲る)
 信長とも親しかった日本人好きの宣教師オルガンチーノの通信では「我らの主なるゼウスが何を人類に伝えたかったかを知りたい者は日本に来さえすれば良い」とまで書き送っている。

 日本人が安土桃山時代、人間として西洋人よりも優れていると評価されていたこと、それは何が理由であったかを知っている人は少ない。

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