慶応ボーイの植木屋修行

ランドスケープアーキテクト福川成一のエッセイとオーベルジュ・スミの庭の記録

カスレの神が降りてきた

2012-02-15 14:11:52 | エッセイ
 先日、コティディアンで夕食を食べた。
その晩のカスレはすばらしかった。
シェフに今日のカスレはまるで神が降りてきたようにおいしかったと伝えると。
今日はちょっとレシピを変えて見たんですといっしょに喜んでくれた。
まだまだ進化して行くのだと感じて嬉しくなり、急に酔いが廻って暖かくなった。

 例によってサービスの北野さんとワインの選択の意見の相違を楽しんで、私の好きなワインを選択した。
そういえば日曜にNHKのコロンビア大学のシーナ・アイエンガー先生の選択に関する授業を見てとても面白かった。

 彼女は選択する自由を持つことの大切さを色々な角度から学生達に教えていた。選択は同時に日常の繰り返しから脱することでもあり、新たな挑戦に向かうことでもある。若い人たちに勇気を持たすことは、どの先生にも共通の課題であろう。

 ソムリエがピタッとその人の好きなワインを選ぶのは難しい、かなりの確立で好みを選ぶのはやはり大したものだと思う。昔、銀座にアムステルダムという小さいバーがあって、マスターは木村さんというバーテンダー協会の会長もした名物親父だった。
良く、セカンドのバーテンダーをアイスピックの柄で殴っていた。ひどいとそれを見るのがいやだった。
 理由はお客様が店に入って来た瞬間にその方がその夜何を食べ、何を飲んで来たのかが解っていないというのだ。そんなのは解るはずが無いと思うが、常連ならそれまでの会話で解るし、初めてのお客様でも注意深く観察すれば、或いはいくつかの何気ない会話で解るはずと言うのだ。それによって彼はカクテルのベースを強くしたり調整して、いつもお客様の変化に対応して美味しいと言われるお客様の好みのカクテルを作っていたのだ。

 北野さんは薄いワインと称するワインが好きらしく、つまり軽いワインが好みのようだが私のように重めのしっかりしたワインが好きな人にも自分の好みのワインを飲んでもらいたいらしい。それはやめたほうが良いのではと思っている。そも重めのほうが値段も高く、売り上げに貢献するのだから。

 ワインの楽しみは選択の楽しみで失敗を自分がしても不快にならないが、ソムリエの選択の失敗はうれしくない。北野さんは何本かの特徴の違うワインを持ってきて選択させる方法を取っている。それはとてもビストロ的で良い。彼の選択でこれはお父様のお好きなタイプですというのは間違いが無い。

 客の好みは千差万別で全部を満足させることは不可能だ。ビストロの楽しみは選択の楽しみと思う。仕事では選択の自由を奪われたフランス人が夜、開放され、自分の好みのハチャメチャな選択の許されるアラカルトのビストロが愛される理由だろう。

 コース料理でシェフのお任せのコース料理には選択の自由がない。日本人のように選択することを負担に思う国民には良いのかもしれないが、私のようにわがままな自由好きには何だか最大の楽しみを奪われたようでつまらない。今のビストロ・コティディアンの選択の幅は中々日本人の壷を押さえているかも知れない。

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