長女の女子高の卒業式にPTA会長として挨拶する機会があった。
PTA会長の挨拶は退屈の極みと相場がきまっているが、彼女のために今まで一度も話したことがない飛び切りの挨拶にしたいと思った。
娘の学校は富士山の麓の裾野にある。少し恥かしいが以下がその全文である。
祝辞
皆さん、ご卒業おめでとうございます。卒業生のご父兄の皆様、ご卒業おめでとうございます。
又卒業生の父兄を代表致しまして、先生方を初め、不二聖心に関わるすべての方に、厚くお礼申し上げます。これまで影になり日向になり、私達の大切な子供達をご指導頂きまして、誠にありがとうございました。
卒業生の皆さん、卒業のお祝いに、本当はバラの花を一本づつ差し上げたいと、思っておりましたが、暮に学院五十周年記念事業の寄付として、その分も寄付してしまいましたので、今日は差し上げられません。ですから今日はお祝いの言葉だけです。(失笑)
先程、この六年間、貴女達に関わった、すべてのものに感謝致しました。しかし、もう一つ、大切なものにお礼をしていません。それは富士山です。今日も美しい姿を見せている富士山にも、お礼を言いましょう。そしてどうして富士山に御礼を言わなければいけないかを、お教えすることが、私のお祝いの言葉です。
私は風景を創る仕事をしています。 私達は、いつどこでも眼を開けて見れば、見えるものは風景です。今、私達が見ているのは卒業式の風景です。同じものを見ていても、他人が見ているであろう風景と自分が見ている風景は同じではないのです。何より自分が見ている風景の中には自分が見えないのです。
富士山に登ると、そこに富士山の風景はありません。皆さんが富士山だと思って下さい。貴女が何者であるかは、貴女は見ることが出来ないのです。貴女を見ている貴女以外の人達が貴女の風景を見るのです。
あなた達は六年間、この不二聖心の富士山を見てきました。初めは富士山だけを見ていたでしょう。やがて富士山を取り巻く、空や雲、廻りの山々や茶畑も一緒に見ることが出来るようになったでしょう。夏の富士山を見ながら、冬の富士山を想い描くことも出来るようになります。さらに時間を越えて、噴火している富士山、富士山が出来る前の富士山、これはもう富士山ではないのですけど、そこまで風景を見ることが出来れば、もう達人です。
私達人間は風景の過去から未来さえも見ることが出来ます。そして風景の時間の連続の未来の先に夢があるのです。富士山、この美しい、何もない山は、シルエットの他は何も見えないが故に、抽象化され、何もないことで私達に美しいものが、何であるかを教えてくれています。
皆が富士山を美しいと感じるのは、何も富士山自身が飾っていないからです。
もし富士山に羽衣の松が生えていたら、もし富士山にビトンのマークが付いていたら、富士山はより美しくなるでしょうか。
私達の人生は自分の風景を作る作業です。あの人はこうゆう人だと、人が言うのは、その人が作りあげた、その人の風景を見て言っているのです。
この頃、彼女はきれいだと言います。私もきれいになりたいと言います。皆さんが本当にきれいになりたいのなら、私は誰でもきれいにする方法を知っています。
そう、お風呂に入って、良くシャンプーをすれば、きれいなはずです。
きれいとは、掃き清めたと言う意味です。つまり明日はほこりで汚れてきたない、と言う意味です。美しいものは、よごれていても、年を取っても、美しいのです、富士山のように。そしてあなた達は誰でも美しい人間になることが出来ます。それは何か色々なものを、くっつけて、自分を隠して美しくなろうとするのでなく、富士山のように、空や、雲や雪、廻りの山々を、そして太陽を、月を味方にして美しくなれば良いのです。
そしてそれは夢を叶える方法でもあります。
残念ながら、私は神様ではないので、自分自身だけの幸福を願う夢の叶え方はわかりません。しかし自分だけでなく、他の人も幸福になる夢は、必ず叶うと信じています。
それは自分一人の力だけではなく、その夢に賛同した人が必ず応援するからです。
大西洋を初めて飛行機で横断したリンドバークは、お金がなくて、飛行機の図面だけを見せて、大西洋を越える夢を協力者と実現したのです。本田宗一郎と言う人がいました。彼は、失敗に失敗を重ねても、困難な道から逃れることなく挑戦を続け、今日の自動車のホンダを作った人ですが、彼には、彼の夢に掛けた、藤沢という人がいて、初めて彼の夢が叶ったのです。世界のソニーを作った井深さんには、盛田さんと言う協力者がいました。 あなた達の学校を作ったマグダレナ・ソフィアにはお兄さんや、たくさんのシスター達の協力がありました。そして今もシスター達が協力を続けています。
貴女達が人の幸福も願う夢の実現に挑戦するなら、必ず協力者が現われます。協力者と共に努力することで、貴女の力は何倍にもなるのです。富士山と不二聖心はそのことを教えてくれたはずです。ですから私達は富士山にお礼をいうのです。私達、大人は、貴女達の夢の実現に協力する用意があります。
失敗しても、失敗しても夢の実現に努力して下さい。挑戦すべき夢をさがして下さい。協力したい夢をさがして下さい。
祈るほどに希望すれば、その希望は必ずかなうと信じています。
そしていつか、先生方と共に、美しい貴女にお眼に懸かるのを楽しみにしています。
ご卒業、おめでとうございます。
私の考えている風景が娘の人生を豊かにする助けになればと書いたものです。
今彼女も28歳となり、オーベルジュ・スミのシェフを立派に勤め、この秋には結婚するそうだ。今、再びこの挨拶を読むと感慨ひとしおな気持ちになる。
PTA会長の挨拶は退屈の極みと相場がきまっているが、彼女のために今まで一度も話したことがない飛び切りの挨拶にしたいと思った。
娘の学校は富士山の麓の裾野にある。少し恥かしいが以下がその全文である。
祝辞
皆さん、ご卒業おめでとうございます。卒業生のご父兄の皆様、ご卒業おめでとうございます。
又卒業生の父兄を代表致しまして、先生方を初め、不二聖心に関わるすべての方に、厚くお礼申し上げます。これまで影になり日向になり、私達の大切な子供達をご指導頂きまして、誠にありがとうございました。
卒業生の皆さん、卒業のお祝いに、本当はバラの花を一本づつ差し上げたいと、思っておりましたが、暮に学院五十周年記念事業の寄付として、その分も寄付してしまいましたので、今日は差し上げられません。ですから今日はお祝いの言葉だけです。(失笑)
先程、この六年間、貴女達に関わった、すべてのものに感謝致しました。しかし、もう一つ、大切なものにお礼をしていません。それは富士山です。今日も美しい姿を見せている富士山にも、お礼を言いましょう。そしてどうして富士山に御礼を言わなければいけないかを、お教えすることが、私のお祝いの言葉です。
私は風景を創る仕事をしています。 私達は、いつどこでも眼を開けて見れば、見えるものは風景です。今、私達が見ているのは卒業式の風景です。同じものを見ていても、他人が見ているであろう風景と自分が見ている風景は同じではないのです。何より自分が見ている風景の中には自分が見えないのです。
富士山に登ると、そこに富士山の風景はありません。皆さんが富士山だと思って下さい。貴女が何者であるかは、貴女は見ることが出来ないのです。貴女を見ている貴女以外の人達が貴女の風景を見るのです。
あなた達は六年間、この不二聖心の富士山を見てきました。初めは富士山だけを見ていたでしょう。やがて富士山を取り巻く、空や雲、廻りの山々や茶畑も一緒に見ることが出来るようになったでしょう。夏の富士山を見ながら、冬の富士山を想い描くことも出来るようになります。さらに時間を越えて、噴火している富士山、富士山が出来る前の富士山、これはもう富士山ではないのですけど、そこまで風景を見ることが出来れば、もう達人です。
私達人間は風景の過去から未来さえも見ることが出来ます。そして風景の時間の連続の未来の先に夢があるのです。富士山、この美しい、何もない山は、シルエットの他は何も見えないが故に、抽象化され、何もないことで私達に美しいものが、何であるかを教えてくれています。
皆が富士山を美しいと感じるのは、何も富士山自身が飾っていないからです。
もし富士山に羽衣の松が生えていたら、もし富士山にビトンのマークが付いていたら、富士山はより美しくなるでしょうか。
私達の人生は自分の風景を作る作業です。あの人はこうゆう人だと、人が言うのは、その人が作りあげた、その人の風景を見て言っているのです。
この頃、彼女はきれいだと言います。私もきれいになりたいと言います。皆さんが本当にきれいになりたいのなら、私は誰でもきれいにする方法を知っています。
そう、お風呂に入って、良くシャンプーをすれば、きれいなはずです。
きれいとは、掃き清めたと言う意味です。つまり明日はほこりで汚れてきたない、と言う意味です。美しいものは、よごれていても、年を取っても、美しいのです、富士山のように。そしてあなた達は誰でも美しい人間になることが出来ます。それは何か色々なものを、くっつけて、自分を隠して美しくなろうとするのでなく、富士山のように、空や、雲や雪、廻りの山々を、そして太陽を、月を味方にして美しくなれば良いのです。
そしてそれは夢を叶える方法でもあります。
残念ながら、私は神様ではないので、自分自身だけの幸福を願う夢の叶え方はわかりません。しかし自分だけでなく、他の人も幸福になる夢は、必ず叶うと信じています。
それは自分一人の力だけではなく、その夢に賛同した人が必ず応援するからです。
大西洋を初めて飛行機で横断したリンドバークは、お金がなくて、飛行機の図面だけを見せて、大西洋を越える夢を協力者と実現したのです。本田宗一郎と言う人がいました。彼は、失敗に失敗を重ねても、困難な道から逃れることなく挑戦を続け、今日の自動車のホンダを作った人ですが、彼には、彼の夢に掛けた、藤沢という人がいて、初めて彼の夢が叶ったのです。世界のソニーを作った井深さんには、盛田さんと言う協力者がいました。 あなた達の学校を作ったマグダレナ・ソフィアにはお兄さんや、たくさんのシスター達の協力がありました。そして今もシスター達が協力を続けています。
貴女達が人の幸福も願う夢の実現に挑戦するなら、必ず協力者が現われます。協力者と共に努力することで、貴女の力は何倍にもなるのです。富士山と不二聖心はそのことを教えてくれたはずです。ですから私達は富士山にお礼をいうのです。私達、大人は、貴女達の夢の実現に協力する用意があります。
失敗しても、失敗しても夢の実現に努力して下さい。挑戦すべき夢をさがして下さい。協力したい夢をさがして下さい。
祈るほどに希望すれば、その希望は必ずかなうと信じています。
そしていつか、先生方と共に、美しい貴女にお眼に懸かるのを楽しみにしています。
ご卒業、おめでとうございます。
私の考えている風景が娘の人生を豊かにする助けになればと書いたものです。
今彼女も28歳となり、オーベルジュ・スミのシェフを立派に勤め、この秋には結婚するそうだ。今、再びこの挨拶を読むと感慨ひとしおな気持ちになる。