秋の雲に彼岸花、出会った蛙に蟻さん、そしてそこは「蓼畑」だった。

2023-09-25 23:32:57 | 花や風景など
 
パソコン作業で目が疲れたので、空を見上げたらいい感じの雲。
今だ! ”出かけたい病” が襲ってきたので行っちゃいました、
昨日再掲した「依那古辺り2023年版」です。

なんの番組だったかもう忘れたのだけれど、
ワタシが今見上げている雲は多分「ひつじ雲」だな…どうだろう??
木津川河畔の彼岸花、ほぼ満開ですがよく見れば蕾もポツポツ。
ガーデン風のところを見れば、白い彼岸花も咲いています。
よしっと思って近づいたらなんとゲストさんが陣取っていて、
なんとか目を合わすことができないかと挑戦しましたが、
この子はただじっとするばかり、怖かったのかな?
  
蛙さんと目を合わすのはなかなか難しいものでした💦

場所を変えて「無量寿福寺」の下で
  
覗き込んでいると「彼岸花の花粉が金色」に見えた。
輝くおしべたち、多分開いたばかりの花かもしれないな、と。
そしたら、こんなお客様が忙しく動く…
 
黒くて小っちゃいコ、見えるでしょうか?

さてさて、今年の秋桜はどんな具合だろうかと、
せっかくここまで(下神戸)来たので、比自岐経由で帰ろうと。
丸山駅の踏切を渡って一路北へ向かう。
遠目に畑が「ピンク」に見えた!
蕎麦の赤い花でも咲いているのかと、、、ワクワクしつつ畦道を走る。
 

よくよく見ると「蓼が一面」でした
 
雑草と侮るなかれ、「蓼食う虫も好き好き」なんて言わないで、
一面に生えていると、これは何かに使うのか?と思っちゃいます。
無粋なことは考えずに、
青く澄んだ秋の空とぷかり浮かぶ雲とピンクの蓼、
似合いませんか

帰り道、比自岐市民センターで伺いました、
「今年の秋桜のご機嫌はいかがですか?」
「残念だけど、この夏の暑さで上手く育ってないんですよ」とのこと。
ワタシ「残念だけど、ピンクの可愛い蓼畑見てきたのでこれで満足です」
なんちゃって、帰路に着きました、とさ。
「蓼」とはどんな植物

ではまた
 あのね、百鬼丸さん、ご注文の切り絵が多くてホテルで缶詰めになって作品作ってるらしい…と風の噂です。
 もひとつあのね、
 今晩、三重テレビでチャンカワイさん出演の「ええじゃないか」見ました。
 なかなか楽しくて「伊賀ってええとこやん」って思わせてくれる内容でした。
 コメントにいただきました「土曜日に再放送と、おそらく2週間後にYouTubeで見逃し配信される」とのこと。
 ぜひどうぞ。
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(再掲)「彼岸花は蟻さんのジャングルジム」、「無量寿福寺」界隈で

2023-09-24 11:55:47 | 花や風景など
昨年2022/9/16の記事です、あしからず。
今年は歩いて行ける範囲しか見ていないので、
そういえばあんなとこ、こんなとこ、もう一度行きたいなぁという願望を込めて~~

・・・・・・・・・・

台風通過地域のみなさま、ごめんなさい。
四方を山に囲まれた伊賀、山々に助けられてる伊賀というべきか、
曇天たまに風、今のうちの「彼岸花」探索決行!(2022/9/18のこと)
 
「こんな日にどこ行くの?」とニャンにいぶかしがられつつ、
台風前の静けさに不気味さを感じつつ、
「彼岸花を見に行くなら今!」と、知人とLineしつつ、
あちらへこちらへと記憶をたどりつつ、まずはココ。
  
「萩と彼岸花」、龍に見えるは錯覚か?

伊賀上野城下町の台地の西の端、寛永年間からの古地図にも名の残る武家屋敷。
昔、この先は崖だった。
台地の際で、毎年忘れずに花開きます。
「ホトトギスの葉と彼岸花」。
義理堅く咲く赤い花が終われば、きっとホトトギスも咲くでしょう…
 

次は、多分あそこにも咲いてたような、記憶を辿る木津川沿い。
「郡橋(コオリバシ)」を渡ると川の堤の土手一面、
  
「紅白彼岸花」も仲良く、
 
「郡橋」を望み、南の「水門」までの間、
お彼岸の週末にはきっと満開になりそうな予感。
群生している「彼岸花」に近づくと何やら黒くうごめく小さいコ。
 ここは蟻さんのジャングルジムだった
上へ下へ、右へ左へとっても忙しそうに働いてました、
見にくいと思いますが、動きが速いのでワタシなんぞには撮れません
きっと「雨の予感」がするのかも…

ここまで来たら、このまま南へ進んで気になるお寺へ、
正直、「彼岸花」がこういう風に並んでいるとは想像外でした。
ごめんなさい、知らなかった。
  
「土手全体の彼岸花」
真っ赤に染まる土手を見てみたい、再訪問予定NOワン。

ここは、石段の傍に大きな銀杏の木、
香しい!?匂いと共に…「彼岸花」。
 

石段を上って境内に
  
土手の上から、川向こうの山を見る、
天正伊賀の乱発端の地丸山城址」のある山がすぐ目の前。


天童山無量寿福寺」の過去ログより

雨にもふられず、風にもふかれず、少しの間の花探し。
ひとつ新発見の場所を見つけ、思わず知人に「エエとこ発見」と連絡。
最後に、定番の寄り道、どうしても「電車」を撮りたかった…

「ひまわりと忍者電車」!

・・・・・・・・・・・

ではまた
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いがぶら2022冬編-№14 無量寿福寺や丸山城跡で中世伊賀の風、吹いてました。

2023-02-03 00:18:48 | いがぶら2022冬deいが巡り
青空のぞき、雪残る丸山城址の碑を見上げつつ周りを見渡す。

2023年現在、樹木が生い茂り視界はあまりよくないのですが、
440余年前に思いを馳せて、天守や石垣・櫓などがあったのか…と。
寿福寺にてお話を聞いているときに、
当時(中世の頃)の「丸山城想像図」を見せていただき、
※出典(戦国の城・中・目で見る築城と戦略の全貌・西国編/学研社1992年
著者/西ケ谷恭弘・イラスト/伊藤展安)
  (追記、後日古本ヲ購入シマシタ)
また、家にあった「伊賀の中世城館」(伊賀中世城館調査会/会長:福井健二)の測量図を見ても、

これはなかなか素晴らしい城郭だったと…しかし、
当時、ここは伊賀の中心地、ここに織田方がこの城を建てかけた、
その様子を向かいの天童山無量寿福寺から見ていた伊賀衆たち。

「伊賀の中世の城館は、近世の城と違い、草深い山地に密かにたたずみ、
古くから合戦話や城にまつわる秘話とともに、身近に語り継がれている。」と、
福井健二先生が書かれているように、この伊賀の人間だからこそ、
しっかり見て聞いて紡いでいくことが大切な使命なのかもしれないと感じた次第です。

では、丸山城跡及び供養塔に別れを告げ、問題の下り道。
 
やはり下山はコワかった…生い茂る木々に残る雪。
低山とはいえ雪道・泥道・枯葉道は「横歩き、カニさん歩き」がベストと教えられ…
おかげで、誰一人コケることも滑ることもなく無事に麓に着きました。

比自岐川の支流の小さな小川沿いに「丸山駅」に向かいますが、
途中、ここにも登山口(二つ目)見つけました、
その先は「石の橋」、やっぱり雪はそのまま残っています。
石橋から見た「丸山城跡」の山(なんていう名前かなぁ?)。
   

ここで「忍びの里」の案内板、地図を確認すると

3本の登山口があります、ということは・・・
昔、「ここに案内碑があるけれど、この川をこの橋でわたるのか??」と、
撮った写真を引っ張り出しました (撮影日:2020/8/25)
   
登山口三つ目、北側です。
ワタシはこの橋を渡る勇気はなかったので パス。
 

私的に寄り道しましたが、無事にみなさん「丸山駅」到着、
天童山を背にした「雪だるま」。
 
再び伊賀鉄道で忍者市駅へ戻る、
車内で子どものように運転席の後ろでスマホ片手にはしゃいでいたのです(笑)。

最後に、一緒に参加した知人とのツーショット、
 
ご一緒していただいたdawnさんに撮ってもらった記念写真。
恥ずかしいけど、見てください。とてもいいミニ旅だったので。
主催してくださった「2023中世伊賀自治国再発見委員会」のみなさん、
ありがとございました。

そこで感じた風は、確かに「中世伊賀の冬の風」だった気がします。

ではまた。
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いがぶら2022冬編-№14 いざ、出陣!気分で「丸山城跡」へ

2023-02-01 18:28:55 | いがぶら2022冬deいが巡り
「無量寿福寺」を出て、国道422号線を渡り、
 
伊賀消防署丸山分署前を通過、しばらく歩くと「案内板」があります。
  
前の2枚は2020/1/10撮影のもの(雪はなかった)、
当日は日差しの中の雪中行軍のような雰囲気でした(笑)。

ここで、2023/1/28の「いがぶら2022冬編-№14」の参考資料として、
伊賀市デジタルアーカイブに「校正伊乱記・上」に『無量寿福寺』及び『丸山城』が掲載されています。
そのページの下欄関連資料辺りをプチっとクリックすると読むことができます、ぜひ。

ちょっと「おさらい」として、
伊賀という地域にとって、また伊賀に住むものとして、
これは知っておいた方がいい、というか見方が変わる!というか…
過去「伊賀忍者回廊巡り」をして思ったのは、
ここまでするか!?というところばかりでした。
寺社仏閣ことごとく焼き払われ、百姓・農兵・おんな子どもまで犠牲になり、
一説には「伊賀全体の人口9万のうち、およそ3万余が殺害されたとも」(当日配布資料より)
信長の「伊賀憎し」は、なんで??
焼失した寺社仏閣をほぼ復活させてきたこの「伊賀の底力」はどこから?

そういえば伊賀に「自治基本条例」なるものができたとき、
伊賀には昔から「惣」という言葉があり、「伊賀惣国一揆」の「『一揆』は、
トラウマのように覚えていた『戦い(騒動)』という意味ではなく、
いわゆる「自治組織」のことであったのか?ということを思い出した次第。

配布資料で久々にこの条例の冒頭部分・・・
伊賀地域は、四方を山に囲まれた盆地で、
古来から伊賀の国として一つのまとまった圏域を形成。

(中略)
これまでの伊賀の自治について見たとき、
中世には
(そう)” という村落の自治運営組織が存在し、
その連合体として『伊賀の国』が形成されていた。


信長・秀吉も「伊賀衆の集団力・団結力」には一目置いていただろうし、
怖かったんだろう、そして「伊賀国」を放っておけないと…
これは「乱」ではなく、仕掛けられた「戦」だと福田先生は言っておられました。
(ココだけの話、信長は現プーチンに似ている…という声も漏れ聞こえました)

前置きが長くなりました💦 では、
「天正6年(1578)、織田の軍勢が伊賀を攻略しようと修築した城。
 天正7(1579)年の第一次天正伊賀の乱で落城するが、再築され、
 現在も天守台、櫓台、土塁、空堀、武者隠しなどの遺構が残り、
 県内中世城郭では最大の規模を持つ。」
丸山城】(伊賀市枅川(ヒジキガワ))へいよいよ潜入開始。
  
最初の広場のような場所、ここには何か建物があったのではないか?
今では「祠」があり、いつも地域の方はお参りされている様子が伺えます。
整備された一本道ですが、枯葉やら雪やら微妙に滑りやすいのです。
転ばないことばかりを考えていました
案内担当の方は「行きはまだよい、帰りこそ気を付けて」と…
周りの方にも声をかけていただき感謝、感謝でした。

雪も枯葉もなければ10分ほどで登れます。
途中には、神戸地区自治協さん設置の案内板もあるはず…
今回は雪に隠れていたか、見逃したか?💦


最後の急坂を上れば、そこには「天守台」があったのか?
「丸山城跡石塔」が見え、土塁の上には「三角点」もあります。
 
裏に回れば「神戸村」(カンベムラ)と刻まれており、
 
地区の方々が建立され、大事に守られているおかげで、
こうやって歴史の一場面を垣間見ることができるのだと感じました。

少し下がった広場には「宝篋印塔」の供養塔。
 
後日語り部の先輩に教えられたのは…
『右側には
  焼災神社佛閣  伊陽郷士一族郎党
 中央に
  為天正兵乱伊陽全域犠牲者各霊追善菩薩也
 左側に
  殉難社司僧尼 織田方将士横死者』とあり、
伊賀衆のみならず織田方の兵士たちの供養もされているのです。
やっぱり何があっても「戦」は避けたいものですが…
歴史の証人たちがこのような形で、伊賀人の心に残っているのかなぁと。

あと少し、続きます。
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いがぶら2022冬編-№14 ここは天正伊賀の乱、きっかけの地。ここから見ていた…

2023-01-31 14:59:30 | いがぶら2022冬deいが巡り
 
「無量寿福寺」境内の見晴らし台から「丸山城跡」の山を望む。
(左)2023/1/28撮影、(右)2022/1/10撮影

伊賀びとの原点・天正伊賀の乱超入門
【無量寿福寺と丸山城跡を歩いて感じる中世伊賀の風】
案内文から
「伊賀惣国一揆の12人の評定衆が議会を開いた場所の1つ、無量寿福寺。
 中世伊賀の風を感じながら、戦火を生き残った本尊阿弥陀如来と大黒天を仰ぎ、
 無量寿福寺第49代住職瀬木英俊さんと伊賀上野城城代家老福田和幸さんからお話を伺います。
 その後、天正伊賀の乱の口火を切った丸山城跡を目指し、ハイキングを楽しみます。」

いざ出陣!みたいな気分だったのに、前日夜半から降り積もる
当日集合場所のこの景色、

降り立った駅でも、一面この状況、


参加者20数名、天候による交通機関不通などで
伊賀まで来られなかった方も若干名いらしたようですが、
集合できた我々の行く先々では青空が見え隠れ…
さすが「隠れ里、忍びの地」。

丸山駅から雪道を一路南方面に進んで、ここは
天童山 無量寿福寺】(テンドウサン ムリョウジュフクジ) 伊賀市下神戸(シモカンベ)
 
ここに映る「武将」、特別参加の地域盛り上げ隊長かな?
(以後、時折映っちゃいます、あしからず。)

寺務所に入らせていただき、熱いお茶と「草ころ」(byいせや)でおもてなしを受け、
冷えた体がほっこり 、そして温まったところで本堂へ移動。
全員で「般若心経」を唱え、
「天正伊賀の乱精霊」の慰霊をさせていただく。
ここから講義二題
「天童山 無量寿福寺」の歴史
「天正伊賀の乱」のこと

第49代住職の瀬木英俊様からお話を伺いますが、

実はこの方「ロート製薬取締役CSO(最高戦略責任者)」であり、
多気町VISONプロジェクト立ち上げも担い、
江戸時代から受け継がれている「薬草」を生かした「本草(ホンゾウ)」を
広める取り組み
もされている、とか。
ご住職とCSOの二つのお顔を持つまさに「忍び」のような方、
お話もとても上手でつい惹きこまれてしまいました…

当寺の歴史として
 境内説明版①
*奈良時代・天平勝宝年間(749~757)、孝謙天皇勅願、行基菩薩の開基
*文永元年(1264)、伊賀出身の応準和尚により興隆
*東福寺の高僧聖一国師の行脚の折、中国:天童景徳禅寺の美しい景色に似ていると、
 天童山の山号を授かる。

本堂には、平安後期作といわれる本尊「阿弥陀如来」様★と
脇侍には四天王のうち二天「持国天・多聞天」様★がおられます。
  
本来、釈迦三尊像と四天王他多数の仏像があったそうですが、天正伊賀の乱の際に焼失されたとか。


また阿弥陀如来のことを無量寿如来ともいい、
量を推し量ることができないほどの寿命を授けるという意味だそう。
無量寿寺とは、それに加え福も付いているとのこと。

ご住職による「薬師堂」内のご仏像の説明、
大黒天」様★台座には、ねずみさん
 

薬師如来様、天正伊賀の乱戦没者慰霊、お大師様など
  
(ご住職様から撮影許可が出ており、
 また★は庶民により戦火の中、焼失を逃れた仏様たち)

次に、「伊賀上野城城代家老」福田和幸氏の講演で、
伊賀の国は「戦国の覇者(戦国大名)」がいない群雄割拠の時代。
*信長・秀吉など天下人も恐れていた「伊賀衆の集団力」。
*「天正伊賀の乱」まで500年続いた戦なき国であった。
  ※(伊賀忍者オフィシャルサイトより)

 
*室町時代、伊賀の国の自治共和体制確立(=伊賀惣国一揆)
 12人の評定衆による運営、主な議場が無量寿福寺。
 フランス革命より200年も早く議会制民主主義の原型だったのか?
*634もの「中世城館跡」があり、東大寺などの大荘園支配に対する
 独立機運が契機になった。
*室町幕府配置の守護大名仁木氏支配に下らず
 伊賀北部は六角氏、南部は伊勢北畠氏と融和。
*「丸山城」修築開始時、伊賀衆は木津川を挟む天童山に集結
 総攻撃をかけ落城させる。
 第一次天正伊賀の乱では、無量寿福寺は「本陣」(拠点)としての役割を担う。
*第二次天正伊賀の乱では、当時議場であり政庁であった上野山平楽寺などと同様に
 信長に焼打ちされる。無量寿福寺では本尊など数体のみ難を逃れた

 境内の説明版②

私的にずっと考えてました…
何故信長は伊賀を攻めた??
「語り部」仲間の大先輩曰く、
 『伊賀が織田方の守護、仁木氏を追い出し、丸山城を燃やしたのが直接の原因ですが、
 それ以前から北畠家と伊賀とは関係が深く家臣としても柘植氏、日置氏、がいました。
 伊賀は信長にとって気味が悪い隠れ地としても遺しておけない地だったのでしょう。』

この一年後、信長は本能寺で明智光秀に…
 『名張市を中心とする南伊賀では、毎年お盆に「本能寺の変」で
 織田信長を打倒した明智光秀を讃える「お蔭祭り」が催される』とか…
これもある意味納得の儀式のような気もしますが。

御仏様たちに送られ、住職ご夫婦にはお世話になりました。
「当寺へ来られた際はぜひお声がけください」とのことでした。

外へ出ると、なんと「白梅」が咲き誇ります。
これは伊賀乱の精霊たちの見送りか…
 

では、いよいよ「丸山城」が築かれていたという対面の山へ
 

ではつづく
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いがぶら2022冬-№14、出発前からレアな雪景色&忍者電車

2023-01-29 17:45:04 | いがぶら2022冬deいが巡り
昨年「秋編(西山棚田周辺&拓本体験)」に続いて「冬編」。

「いざ、中世伊賀の風を感じよう!」とお出かけの準備中だった。
夜半、外を覗きに行ったら、またまたの降雪でどうなることかと…
 再掲(城下町にしんしんと降る雪)

2023年1月28日、集合は9時15分に「忍者市駅(上野市駅)」。
当日朝、参加者の知人から「決行!」という連絡をもらい、
防寒対策、足元の雪道対策(トレッキングポール含む)、万全を期して、駅に向かいました。
受付で手続きなど終え、伊賀鉄乗車時間は…

9時32分、この掲示板よく見ると4本全部「忍者(くノ一)電車」です。
これを見てるだけでも嬉しくなります、
「ピンク・緑・青のくノ一電車」は誇りだと思っているので。

待ち時間に、駅前にて
(左)「メーテルと鉄郎」に雪、
(右)「巨大クナイ」にも雪積もる。
 

「ピンクのくノ一電車」入場(伊賀上野側から入線)、
くノ一の見つめる先は、、、ワ・タ・シ。
 

前一両ほぼ「いがぶら参加者」、貸し切り状態(笑)。
知人と二人、まるで子どものように右に左に…
 
沿線の風景も撮ろうと思いましたが、なかなかよく揺れる
街中の軒先すれすれに走るので小さなカーブが多い、
そこをスピードを落として慎重に走る電車。
 
※1/24に踏み切りから撮った「広小路駅」のカーブ…
スリル満点の城下町内を抜けるとそこは「雪原だった」。

(左)一気に雪原の猪田辺り、(右)市部駅から垂園森付近
 
(揺れる電車内から撮るのはイマイチ

伊賀盆地内の雪原を電車内から撮る、
これはレアだしある意味とてもラッキー
楽しく乗ること約20分、「丸山駅」到着!
再度確認「参加者は揃ってますかぁ??」。
では、ここから南方面に見える小高い山を目指しま~す。
道中、雪道です、気を付けてゆっくり歩きましょう~
  

国道422号線(青山街道)丸山の🚥を渡り、木津川を越えますが、
ここ「上郡丸山橋」の上は「雪中行軍」、
橋の上ってなかなか融けない ということを再確認。
欄干の向こうには渡り鳥元気に泳ぐ!
  

丸山駅から歩くこと約1km、
最近では秋に「彼岸花」を見に
「忍者回廊巡り」では御朱印も頂きに来たし、「丸山城跡」の山も
今日は雪の「無量寿福寺」で、講和など聞く予定。


嬉しいことに、我々のゆく先々「青空」なんです
みんなの心がけのおかげさま。

では、続きます。
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伊賀の大雪、その後。城下町東西の道は凍ってる…

2023-01-27 14:25:21 | つれづれ思うまま
あくまでも個人的見解ですが、名阪国道を日常的に使う人間として、
「名阪国道が通行止めで良かった」と、思いましたが…
何年前だったかの記憶は曖昧ですが、その時も豪雪!だった。
名阪国道に何時間も(実際は出勤時から退勤時くらいまでだったかも)
閉じ込められた人を知っているので、
管理者側の人たちに、同じ轍は踏まないでほしいと願っていました。

名阪国道の予防的通行止め(早めの判断)が今回の「新名神の渋滞」を誘発したのか?
みたいになっちゃいましたけど、雪でも雨でも容赦なく降ってはひとたまりもないのが
この「自動車専用道路」(極道と言われる由縁)の宿命みたいなものなので、
こういう日は(名阪に)乗ってはいけない!としか言いようがない。
しかも、今回の雪、一気に来ましたね、
ものの1時間で盆地は雪原のようになりましたもの

以下、Web読売新聞から抜粋
 『三重県と奈良県を結ぶ名阪国道を管理する同省の国道事務所は、
 気象予報を受けて、24日午後7時から亀山IC―天理東ICを予防的通行止めにした。
 名阪国道が規制された結果、新名神下り線に多くの車両が流入し、渋滞が発生。
 そこに大雪が降り、車列で除雪車も稼働できない事態に陥った。』(2023/1/26記事)

次に、外へ出るのも嫌になるほどの雪、しんしんと…(2023/1/27:13:00現在)
仕方ないのでネットで「名阪国道」を調べてました。
的確な記事を見つけたのでリンクいたします。
冬の名阪国道の「雪」について注意点』(「奈良まちあるき風景紀行」さんの過去記事ですが)

・・・・・・・・・・・・・


我が家では、ハナさんストーブ独占中!!

さて、大雪だった1月25日、15時過ぎ所要のため外に出ました。
城下町の南北の通りは全面融けました(撮影場所:(左)ハイトピア5階から)
  
が、(中)東西の通りはこの通り 、これは27日もほぼ変わらず。
この上に、また新しい雪が降ってます…
(右)お城は単独、北の山並みは雪雲で見えません
たまたま5階で出会った職員さんの話では、
「朝は本当に雪景色が綺麗だった、駅の赤い屋根も積もってましたよ」とのこと。
公園まで行けず残念でした

アイスバーンのようなのでスケートができそう(=転ぶということ)なんですが、
これは所々(笑)とはいえ、ほんと凍った道は歩くも、🚙も要注意 です。

夕刻の木興田園(遊水池)から、一瞬で太陽が沈んでしまって
(左)名残の夕焼け
(右)木興田園に残る雪と遠くに室生火山群の山並み
 

そして、北の山並みを見ると…
あれ?「高旗山」だけ雪が残ってるのか?
多分そうであってほしい、という写真(笑)デス。
 
リンク写真は「高旗山の芝生にて」
 きっと、この芝生部分に残る「雪」だと思われる。。。
以上、2・3日分のまとめ、でした。


明日は「いがぶら2022冬編」
伊賀びとの原点・天正伊賀の乱超入門
【無量寿福寺と丸山城跡を歩いて感じる中世伊賀の風】
行けるかな…
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台風前の閑さや、彼岸花は蟻さんのジャングルジムだった…

2022-09-19 16:14:42 | 花や風景など
台風通過地域のみなさま、ごめんなさい。
四方を山に囲まれた伊賀、山々に助けられてる伊賀というべきか、
曇天たまに風、今のうちの「彼岸花」探索決行!(2022/9/18のこと)
 
「こんな日にどこ行くの?」とニャンにいぶかしがられつつ、
台風前の静けさに不気味さを感じつつ、
「彼岸花を見に行くなら今!」と、知人とLineしつつ、
あちらへこちらへと記憶をたどりつつ、まずはココ。
  
「萩と彼岸花」、龍に見えるは錯覚か?

伊賀上野城下町の台地の西の端、寛永年間からの古地図にも名の残る武家屋敷。
昔、この先は崖だった。
台地の際で、毎年忘れずに花開きます。
「ホトトギスの葉と彼岸花」。
義理堅く咲く赤い花が終われば、きっとホトトギスも咲くでしょう…
 

次は、多分あそこにも咲いてたような、記憶を辿る木津川沿い。
「郡橋(コオリバシ)」を渡ると川の堤の土手一面、
  
「紅白彼岸花」も仲良く、
 
「郡橋」を望み、南の「水門」までの間、
お彼岸の週末にはきっと満開になりそうな予感。
群生している「彼岸花」に近づくと何やら黒くうごめく小さいコ。
 ここは蟻さんのジャングルジムだった
上へ下へ、右へ左へとっても忙しそうに働いてました、
見にくいと思いますが、動きが速いのでワタシなんぞには撮れません
きっと「雨の予感」がするのかも…

ここまで来たら、このまま南へ進んで気になるお寺へ、
正直、「彼岸花」がこういう風に並んでいるとは想像外でした。
ごめんなさい、知らなかった。
  
「土手全体の彼岸花」
真っ赤に染まる土手を見てみたい、再訪問予定NOワン。

ここは、石段の傍に大きな銀杏の木、
香しい!?匂いと共に…「彼岸花」。
 

石段を上って境内に
  
土手の上から、川向こうの山を見る、
天正伊賀の乱発端の地丸山城址」のある山がすぐ目の前。


天童山無量寿福寺」の過去ログより

雨にもふられず、風にもふかれず、少しの間の花探し。
ひとつ新発見の場所を見つけ、思わず知人に「エエとこ発見」と連絡。
最後に、定番の寄り道、どうしても「電車」を撮りたかった…

「ひまわりと忍者電車」!

では、大したことになりませんように祈るのみ…
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再訪問「天童山・無量寿福寺」、ここから見ていた!?

2021-01-13 10:13:37 | 伊賀忍者回廊巡り
「丸山城跡」訪問から続き
 この山を見て、
向こうに「天童山寺院」(伊賀惣国一揆の評定所)があって、
そこから伊賀衆が「丸山城」を攻めた!という…
同じ地域であるにもかかわらず、築城者が伊勢国司の養子(織田信雄)だったからなんですね。
(この説の真偽は別にして、自治国伊賀を治めるのは至難の業だったのでは?)

伊賀忍者回廊巡りの際、このお寺から確かに「丸山城」のある山を見たのです。
その時はなんとなくそういう歴史があったんだ…という程度の理解力でした。
今回は違う、
実際に「丸山城」があった場所に行って、戦いの跡に思いを馳せると
また別の風景が見えてくるのではないかと、そんな気がしたので…
 例の石段、90段ほど

階段上り終え、そのまま対面の「山」を見に行きました
 巡る季節を感じます。
前に行った時は、田んぼの青さが目に染みた…
確かにここからの眺めは、丸山城築城の様子は丸見えだったかもしれませんねぇ。
攻撃に行くのも速かったろうなぁ 、伊勢の国の人たちは

あえて「案内板」を区切って撮りました
 「寺の歴史」

 「天正伊賀の乱のこと」

 「寺の復興について」

久しぶりに境内など散策させていただきましたが
  全面凍り付く水槽

   
滅茶苦茶寒いけど澄んだ空気で背中がピッと伸びる。
そういえば、ここを訪問させていただく時は、いつも

下に降りると山裾に案内版、「神戸神社」は ☚ と(これも神戸地区自治協制作)
  では、これより進路は右へ
雲の動きが面白かったので、もう一度あの山とともに…

伊賀の自治は、一筋縄ではいかないと、今も昔も

では、【穴穂宮 神戸神社】 (あなほのみや かんべじんじゃ)へ続きます…
と、書きかけて、歴史話はちょっと休憩。

「森林公園&上野公園お堀のカモちゃんたち」の投稿入ります(笑)。
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伊賀の田んぼの様子、気になります④…猪田「垂園森・哀園森」界隈

2020-08-27 11:24:06 | つれづれ思うまま
「垂園森」や「哀園森」の風景は、2020年6月22日に掲載済み!
なのですが、その後の田園風景を~~

田植えが始まったころ、一部麦畑もありました。
丁度、ゴールデンウイーク真っ最中stay homeで遠出もできず
でも、伊賀にはエエトコあるやん!を見つけるいいチャンスでしたね。
市部辺り
  5月5日

   5月22日

  6月22日
「麦」が終わった後の水田(左)と5月に田植えをした水田(右)

 8/25、遠くに忍者電車

  8月26日
(Google フォトで自動修正してみました(笑)、金色に見えるといいなぁ、ほんまそんな色に見えましたよ)

 8/26、麦畑後の稲

ここも、刈り取りは始まっていました、、、


ここから移動して、木津川を挟んで両サイド地区へ
「忍者回廊巡り」をしていたころ、下神戸「無量寿福寺」から眺めた田園地帯(左)
   6月23日ごろ
「下郡・猪田神社」辺り(右)

  8月26日
(左)あの山の中にはゴルフ場があるらしいよ(笑)

また少し移動して、猪田辺り
伊賀では、大豆もたくさん作っているようで、麦の後の畑には大豆?でしょうか
 美味しそうに育ってますね
暑かったので、ワタシの脳にはは「枝豆」が浮かんだ…

  8月26日

そこかしこで、コンバインが忙しなく動いていました。

ではまた

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