上天気だったので、SINDO YARDS テラス席に行ってみた。

2023-12-09 10:13:18 | つれづれ思うまま
 
青空にクッキリ浮いたような「ナンキンハゼ」や木造の建物外観を眺めてご満悦。

駐車場(まだ工事途中ですが)に車を止め、図書館へ行くまでのその道中
  

新堂駅ホームを下から見ていたら、
 
あの空のムコウ必ずと言っていいほど、 やカラスが視野に入ります。

ブレンドコーヒーを求め、
ぽかぽか陽気だったので外の南側テラス席、「霊山」を眺め一人で悠々自適。
あの山の遠く遥かには「お伊勢さん」、元伊勢伝説」も残るよなぁ…
 

東側のテラス席ですが、
 
そのお隣の駐車場整備は着々と進む。
加太の山々を見て「神君の伊賀・加太越え」や「義経の加太越え」に思いを馳せてたり…
 

歴史の奥深さを垣間見るにはいいところだなぁと。(撮影:2023/12/6)
原稿を書いている今日(12/9)もいい天気のよう、ぜひまったり過ごしてみてください。

ところで、12/9・10は「NHKのど自慢」予選・本選だそうですね。
伊賀市文化会館界隈は大にぎわいでしょうか(笑)。
ではまた
コメント (4)
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柘植浪漫を追っかけて、「都美恵神社」「雨龍神社跡」「斎宮芝跡」へ

2022-05-17 15:44:06 | 松尾芭蕉と横光利一のふるさとを訪ねるウォークイベント
コロナ禍で3年ぶりに開催されたという「柘植の郷を巡るウォークイベント」(5/8開催)。
参加して、歴史や文化・鉄道の事などいっぱい知ることが出来ました。
各所周っても時間に限りがあるので、この日は10ヶ所ほど。
ゆっくり4時間ほどかけて楽しく歩いていましたが、まだまだそんなもんではない!
ということが、下記の資料を読んでいるとわかりますし、
実際現地研修へ行っても頭に入りきらないくらいのお話がごろごろあります。

「柘植の昔ばなし」(柘植地区まちづくり協議会教育文化部会編集)には、
 「柘植地区市民センター」にて販売(@1,000/限定品)
「柘植の歴史年表」が載っていて、古代から明治頃までの様子がわかります。


かく歴史は古く、見どころいっぱいなのですが…
1~2年ほど前に何故か、
俄か『倭姫命』の追っかけをしていたことがあります。(過去ログより)
「東大和・西三重観光冊子」を見たことがきっかけで、
「伊賀の『元伊勢伝説地』」を知りたいとの思いで、
深くも知らず出掛けけていたものです。

2021/1/19の都美恵神社」訪問記

下の写真は、ごく最近の様子から
 
「都美恵神社全景」と「拝殿」、

 
「神宮遥拝所」と参道から「旧大和街道」を望む。

そして、2021/1/20の史蹟:雨龍(ウリュウ)神社跡です。

柘植地区にも『斎王群行』が通り、
選ばれし斎王たちの『頓宮(トングウ=宿泊所)』があったとのこと。
その場所が「斎宮芝(サイカシバ)跡」として今も残っているとのことです、
この場所は流石に地図にも載っていないのでさっぱりわかりません。
今回(2022/5/14)、嬉しいことに教えていただける機会に恵まれたので、
忘れないうちに…

  
柘植地区の「浄化センター(瓦屋根デス)があります、そこの前を通って
  
「柘植川/白橋」を渡る、ここは上村地区になります。
 
田園風景を眺めつつ、振り返ると素晴らしい霊山の姿。
午後になってやっと晴れてきたので嬉しかった

いよいよ、着きました…

  

では、配布資料を参考に~~
斎宮芝跡】は、伊賀市柘植地区に残る斎王が伊勢神宮に向かう時の宿泊所
「斎王」とは国の安全と平和を祈願するため、京の都から伊勢神宮に派遣され、
天皇の名代として神に仕えた人のことで、「斎王」には、皇女や皇族の未婚の女性から選ばれました。
「斎王制度」は、天武2年(674)、壬申(ジンシン)の乱に勝利した(大海人皇子=)天武天皇が、
勝利を祈願した天照大神(アマテラスオオミカミ)に感謝し、大来皇女(オオクノヒメミコ)を神に仕える御杖代(ミツエシロ)として
伊勢に遣わしたことに始まります。

「斎王」に選ばれると、都で2年間精進禊(ミソギ)をし、3年目に伊勢の斎宮に向けて5泊6日の旅をします。
この斎宮芝平安京遷都(794年)から鈴鹿峠開通(886年)までの92年間、
斎王群行の重要な役割を果たしていました。
その間、「九人の斎王」が任にあたったとあり、一人が約十年務めたことになります。

京の都での「別れのお櫛」の後、斎王群行の3日目、勢多頓宮、甲賀頓宮の宿泊をへて、
伊賀に入り柘植で300名を越える群行を迎えました。
その道中で泊まられる所を、「頓宮(トングウ)」といいます。
群行の都度、仮宮として設けられました。
 
柘植川と倉部川の合流地点近くに古来より「斎宮芝」というこの場所が頓宮場所とされています。
看板にはこの斎宮芝で宿泊した道程は赤く描かれています。
役目を果たした斎宮の復路は全て②の道で一志から西に向かい青山地区を通り、
大和地区を経て山城国岡田賀茂(木津川)などで禊を済ませてから京に帰ったそうです。

という、選ばれた人とはいえ、華やかそうに見えても、
ちょっと悲哀のこもった群行ではなかったのかと勝手な想像をしてしまいます…

参考までに、柘植川倉部川です。

ではまた

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「藤原宮跡(フジワラキュウセキ)」(橿原市) de 菜の花と桜吹雪。

2022-04-07 14:49:50 | 花や風景など
宇陀の「又兵衛桜」さんでは、🚙は少し離れた宇陀市の施設に駐車させていただいたので、
800mほど歩きました。(近くの駐車場はとても人&車が多かったので…)
その帰り道阿紀神社とか、
  「元伊勢伝承地」

かぎろひの丘/万葉公園など
  かぎろひの丘から「高見山系」望む
今まで知らなかったところを発見し、宇陀ではゆったりまったり過ごしてました。
いつか機会ができたら報告します、今は「桜三昧」で…
高見の郷のしだれ桜の山を近々訪問予定なので、
「そうか、あの山まで行くのかぁ」と眺めてたわけです(笑)。

その宇陀から移動すること約20分。
 あの山の方から来た…かな
又兵衛さんで一緒に見学していた家族と、ここ「藤原宮跡」でも一緒になるという、
同じルートで行き来する人が多かった気がします。
朝からBS放送で「藤原宮跡」が放送されていたらしく(同級生から偶然教えられ)、
ここも人出は半端なかったです、車も臨時駐車場が解放されており、やれやれでした。

さて、「藤原宮跡」に来ると、周りは「大和三山」に囲まれています。
今回は「天香具山・耳成山・畝傍山」を背景に撮ってみようと挑戦。
は花吹雪状態、菜の花満開、なかなか素晴らしい眺めです。

臨時駐車場のすぐ目の前から入場(無料)できました、
たまたま駐車場が解放されていたので、醍醐池のほとりから入れたわけです。

天の香具山」と「歌碑」
  
🚙と民家の屋根の向こうになだらかな山が見える、それが天の香具山です。

耳成山
 
北側にある、これもなだらかな山…

畝傍山
  
金剛山系の山の手前にこんもりと…(3枚目は場所を変えて撮ってます)

「絵」を描く人と共に…
  東方面の山々と

そして、遠くですが二上山」雄岳と雌岳
  真ん中辺の二つのコブ

「菜の花と桜」と「醍醐池の周りの桜並木」
  

最後に、
「藤原宮跡」の北側ゾーンの「菜の花と桜」、広さが伝わればいいのですが…
時々白いものが飛んでいるのは「桜吹雪」(笑)、
それと風の音が若干耳障りです、あしからず。


今日は、2度目の投稿になります…
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「山の辺の道 」その2、「檜原神社」から二上山眺望と三ツ鳥居、 「井寺池」から大和平野

2021-11-01 12:56:14 | 山の辺の道
山越えも無事終わり、秋が一歩ずつ進む「山の辺の道」を歩き、
10分足らずで辿り着いたここ、
 (再掲「大神神社摂社・檜原神社」正面)
境内入口の鳥居と言いたいところですが、ちょっと雰囲気が違います、
調べると「標柱」=しめばしらと読むようで、二本の柱に注連縄が張られ、
ここから聖なる山の「二上山」が見えるらしいと……確かめに来ました。

 煙たなびく大和平野の向こうの「二上山」
そうそう、この景色
「二上山」に向かって参道が伸びているように見えます。
檜原神社からほぼ真西の方角に当たるので、
春分・秋分の頃には、「二上山」の雄岳(右)と雌岳(左)の間に夕日が沈むらしい…
 
素晴らしい眺めをこの目で確かめられ、来て良かったなと。
(二上山にこだわるのは、この山に登りたいから~~ただそれだけ(笑))
「二上山」眺望

では、境内へ
 「倭笠縫邑」(ヤマトノカサヌイムラ)
玉砂利が綺麗に掃き清められ、踏むのもはばかられるほど、
その奥に、3つの鳥居を横一列に組み合わせた「三ツ鳥居」
 
初めて見ました、本殿はなく、ご神体は「三輪山」

檜原神社】は、「元伊勢」伝承地
「元伊勢巡り」(過去ログより)をしていたこともあって、
「倭姫命」が伊勢へ行くまでに立ち寄った先は、伊賀にもいろいろ伝わっていました。
それよりまだ時代はうんと遡るお話です。

「産経新聞『社寺三昧・檜原神社』」では
伊勢神宮(三重県伊勢市)の祭神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が現在地に移る以前に
一時的に祭られ、「元伊勢」と呼ばれる伝承地が各地にある
大神神社の摂社、檜原神社は元伊勢となった「笠縫邑(カサヌイノムラ)」の地≫と伝わっているとのこと。

『ご由緒書き』

同床共殿

由緒ある神社であることは十分に理解できましたし、
多分ココはもう一度来ることになるという予感もあり、
神社前の道をもう少しだけ進んでみます。
 
足元にも「山の辺の道」案内、「水森かおり歌碑」(桜井市観光親善大使ダソウデス)
ここは小公園のようになっていて、柵を開けて自由に出入りでき、
ボタンを押せば「大和路の恋」が流れるようです。
地元の散歩人が休憩されており、なるほどそういう仕組みになってるのね、と(笑)。

確か、地図には「井寺池」があるとのこと、
 
秋の雲を見上げつつ、竹林傍を抜けると
  一つ目の池
池の間の小径を行けば
 大和平野と葛城山系の山々
「井寺池」眺望(奈良県景観資産)

思わず動画撮っちゃいました…


さて、帰る時間が迫ります、同じ道を帰るとしても小一時間。
15時58分発
 ここから県道50号線に入ります

 峠道から二上山

「笠山荒神参道」前
  

檜原神社ご朱印
 帰宅後まじまじと眺める(笑)。

多分、また「山の辺の道(天理~桜井コースmap)」の続きを歩くと思う、
所々を抜粋しながらしか歩けないほど長い行程ですので…

ではまた
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山の辺の道を行く、「檜原(ヒバラ)神社」(桜井市)へ その1

2021-10-31 14:21:49 | 山の辺の道
今年の4/16に「笠山荒神社」「瀧蔵神社」「天神社」などを巡った「上之郷コース」と、
ほぼ半分は同じコース、その先の未体験ゾーンの県道50号線

地図上では伊賀からだとほぼ一直線に見える道ですが…
最短距離&最短時間コースをチョイスした極道コースです(笑)。(2021/10/27、14時自宅出発)
写真を撮る間などなくひたすら走る🚙。
唯一「何?」と止まったのは
 「猿田彦之命」と彫られた巨岩、
神が宿る岩に安全を託して進みます。

「針IC」から20分ほど走り、
ストリートビュー予習で見たココ。
 
現地で見てみないと車が進めるのかどうか不安なところでしたが、
🚙は入れそうなので進みます。天気も上々、ハイキングの人多し。
(14時45分頃着)
ゆっくりと少しだけ走ると、対抗できる広い場所があったのでそこに車を止め、
ハイキングで行きかう人に尋ねました。
「この道は🚙は通っても大丈夫そうでしょうか?
この先の駐車場まで行けるかどうか見に行きたいのですが…」
「大丈夫だと思いますが、
ここへ止めたのならそのまま歩いてお参りされたらどうですか、近いですよ」
経路の下見だけして帰るつもりが結局そのまま「山の辺の道散策」と相成りました、
まぁよくあるパターンですね(笑)。
ここからは徒歩、大和の里山風景堪能
ドライブの疲れも吹っ飛ぶ景色、柵の向こうの柿もたわわ、秋堪能


【大和の青垣】(大和青柿国定公園)
「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和し 美わし」と古事記にうたわれた。
奈良盆地は遠くに見える生駒山地や矢田丘陵、すぐ手前の景行天皇陵、
さらに右手の巻向 三輪の山々など幾重にも緑の垣根に囲まれたようになっています。
こうした環境を守るために、このあたりは大和青垣国定公園に指定されています。
 
「山の辺の道」から望む市街地風景と「巻向(マキムク)の山々」でしょうか、
この道は「三輪の山裾」…かもしれないと思いつつ歩く。

 「檜原神社」まで0.1㎞

  
三気大神神社」、「大東不動明王」
綺麗に整っている社なのですが、中には入れそうにない…
ちょっと気になるので覗かせていただきましたが、外からお参りのみ。

 「三輪山特別保存地区」です。
ワタシはココ(現在地)にいるのね…
じゃぁ目的地はすぐそこ? と思う間もなく
 北側?鳥居
道なりに石畳を進み、標識を曲がると200mほどで
   「檜原神社駐車場」着きました!
いや、ここが目的地ではないのですよ、

 「檜原神社」標柱(シメバシラ)
正面を撮りたかったので通過してたのです…

「山の辺の道」ハイキングコースと言えどもここは「生活道路」です、
地元の方の邪魔にならないようにしたいので、
この道はやっぱり歩くのがベストです。
風を感じながら歩くのは気持ち良かったです。

ここで思い出しました、「山の辺の道」、実は初めてではなかった…
今年の3月「石上(イソノカミ)神宮」(天理市)から「内山永久寺跡」の桜(2021/3/28 投稿)、行きましたわ。
これからもこの道にはご縁はありそうな気がしてきました(笑)。

では次回は、やっと「元伊勢巡り『檜原神社』」。
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岡田の谷の半夏生園近くに「東禅寺」、そして倭姫命「元伊勢」ご縁の「御杖神社」へ

2021-07-10 18:09:40 | 神社仏閣など
少し遡って、「「岡田の谷の半夏生園」を訪問し駐車場へ戻る途中、近くに「東禅寺」というお寺があるのに気づき、
駐車場奥に、廃校になったらしい小学校の運動場があり、
古びた階段のその上に立派な建物が見えたので上りました。
  
階段~手水舎~山門です

  「東禅寺本堂」、窓に映る「山門」
あまりにも立派な姿だったので(くぐった時には気が付かなかったオトボケナワタシ)

境内では
  なんとも可愛い子とナツツバキ

境内側からもう一度「山門」を眺めました…なんと立派な!
 【龍谷山東禅寺】。
8月には「地蔵盆が行われるようです…

では、ここからいよいよ予習した神聖なる場所へ
近所のおじさまにお聞きすると近いよ、大丈夫すぐだよ、とのこと(笑)。
確かに近かったのですが、ナビ通りに上手く行かず、ちょっとグルグルしてしまいましたが、
これはワタシは方向音痴だっただけのことで、相変わらずデス。
お勉強資料は☟コレ
御杖神社東大和西三重観光連盟HPの『やまとひめ”の巡幸地「元伊勢」めぐり』より

  
御杖神社鳥居はすぐそこ、手水舎(ペーパータオルが常備されていて、流石親切なと嬉しくなりました

「拝殿」と「上津江杉」を撮ろうと挑戦しましたが、杉の木があまりの大木で、、、
  横から撮ったこの写真で迫力を感じてください

お参りして頂戴した「御杖神社御神木・上津江杉」の説明書きです

では、
御杖神社の御神木
上津江杉(かみつえすぎ)
樹齢600年、
幹周り6メートル、
室町将軍足利義満公の時世に植えられたと伝えられています


祭神久那斗神(くなどのかみ)は、イザナギノミコトが
黄泉から出てみそぎをされたときにミコトの杖から
お生まれになられた神さまで、災禍を防ぎとめて人生
行路を守護し、幸福をもたらす大神さまです。
拝殿前の杉二本は、大神さまの杖(かみのつえ)にて
人々に降り掛かる災いを払い除けてくれます。
当神社は、杖から生まれた大神さまと倭姫命(やまと
ひめのみこと)の杖をおまつりすることから御杖神社と
称され、村名の由来にもなっています。
此の地は「かみのつえ」の御名が転じて神末「こうずえ」
となったとも云われ天文23年(1553年) 川中島の戦いと
同年の当神社棟札には「伊賀國上津江村」の名をみることができます。
なお、祇園祭は7月海の日の前日、例大祭は11月第一日曜日です



もうひとつご参考に
御杖村の由来/奈良のむかしばなしより」(奈良県HPより)

「倭姫命」の伝説から「御杖」という名前が由来しているとか、
神の杖が「神末(こうずえ)」という地名に転じているなど、
この場にいると古とつながっている気分になれます、半夏生と言い御杖の話と言い、
行ってよかったです、では次は一転ビックリの場所をご紹介しますね(笑)。

ではまた、後日
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桜井上之郷③「小夫天神社(斎宮山)」、元伊勢伝承地であり道真公も…

2021-04-20 13:59:27 | 神社仏閣など
「天神」という名前にビビッとくるのは、伊賀上野城下町人間の性ですかねぇ(笑)。
瀧蔵から県道に出て針インターに向かう途中、
   何かの因果です…

   弘法大師直筆の額か!?

小夫 天神社】(桜井市小夫(オオブ))
≪天神社の名の通り太陽信仰に関係した社で、
天照大神を主神とする元伊勢の伝承地のひとつ≫とのこと。

  

境内へ
  

 小夫天神社本殿

ココには、巨木の欅(ケヤキ)があります、なかなか有名なようで、
樹齢1500年とか、幹回り11mとか、
 小夫のケヤキ由来

実際に見ても驚きのケヤキです…
    
顔のようにも見える幹に年輪を感じます…

歴史ある奈良の隠れ里のようなところで、感じるものをいっぱい見てきました、
スリルもあったけどいい旅でした。


ところで、これを書いているのは 2021/4/19。
三重県から「緊急警戒宣言」(4/20~5/5)が発令されて、
再びの「行くな、来るな」って、言われても…

ギリギリの県外移動(2021/4/19)で「室生寺」・「室生山上公園・芸術の森」…
シャクナゲ Love になりました(笑)。
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桜井上之郷編①-2 「閼伽井(あかい)不動」「天満神社」「竹林寺」「鏡池」、待望の笠そば。

2021-04-19 09:36:32 | 神社仏閣など
閼伽井不動
   
鳥居(再掲)をくぐり、「閼伽井不動明王」と「不動の池」と龍さん
ここは「修験者の霊場」だった…

 「由来」によりますと
≪古来より高僧修験者の霊場として知られる。
弘法大師空海は2年余の遣唐使留学から大同元年(806年)に帰朝。
高野山開創を志し、鷲峰山 笠寺(竹林寺)に寄寓。
ここ閼伽井の地で21日間の行を修める。
下山後、空海は高野山金剛峯寺建立を目指したものの、
火災や疫病に見舞われ、空海は再び笠山に登り、閼伽井で水行を行い
この地へ不動明王を祀り、荒神を高野山に勧請。
高野山に戻って見事建立された伝えられている。
以来、閼伽井不動明王と名付けられ、
池の水は荒神参拝の前に身を清める浄水として用いられている。≫

最後に、≪古からのこの表参道から閼伽井不動明王参りを経て、
笠山荒神社への参拝がおススメ≫とのこと。
ワタシ、また逆コース辿ってるかんじ(笑)。

その先(奥?)、不思議空間へ
   
「元伊勢伝承地」のようです、ここで「倭姫宮」の名にお目にかかれるとは…

さて、
 
パンフレットに掲載されている境内図を参考に山の中ぐるり一巡りします。

ここで再び「ご縁」がでてきます…
 ご祭神 学問の神「菅原道真公」と。

天満神社】です。
  
鳥居、拝殿、苔生す牛さん(ちゃんと座布団に座ってます、大事にされているんですよ(笑))

笠山荒神社の表参道一の鳥居前すぐに鎮座する社。
ここは、深い山中、標高は480mほど。(らしい)
創建由緒等に関する資料はどこにもなく不明。
笠山荒神社は北参道へ行く方が行きやすいらしく、
(確かにワタシも看板に導かれて来ましたから(笑))
「笠そばで地域起こし」として頑張っているため、
この「表参道」を訪れる人はほとんどいなくなった感じで少し寂しい。しかし、
本殿、とても艶やかできれいでした…
 

 「天満神社」前の巨樹
撮ったものの、何の木かな?

そのまま、少し歩くと
鷲峰山 竹林寺
   
入口には日本の枝垂れ桜、辛うじて花が残ってました  境内全景など

≪元加佐寺(笠寺)と称し、聖徳太子或いは良辯僧正のの創建と言われ、
大規模な寺院であったことが、その跡地の名称からも知られている≫とのこと。

 重文薬師如来立像の説明
重文庫の中に入っておられるので残念ながら…ですが、
あとで行った笠そばのお店に貼ってありました、この方です
 薬師如来立像。
荒神例大祭の日に行けば見せていただけるようですね。

山道の坂をいい気になって降りて行きますが、ここで「鏡池」はこっち→と案内、

(写真に見える真ん中の道を下り、右に見える道を進みます)
見れば、降りてきた時の倍は登るんじゃないかというくらいの坂道が待っていました(笑)。
なんだ坂、こんな坂、山野草も綺麗に咲いているし頑張ります…
鏡池】(心見の池
  

≪この霊山より湧出する霊水の注ぐ鏡池(心見の池ともいう)、
良辯僧正笠山での参籠に際し身を浄めた池とのこと。
奈良の猿沢の池に通じ、池に落ちると猿沢の池に浮かび上がるとか、
また、二月堂のお水取りとなれば鏡池の水位が低くなり、
この水が二月堂の清浄水になるとか≫ 諸説伝承が残っているようです。

では、お昼も過ぎお腹も空き、(山道を上りきれば)駐車場に戻る…
心は「ソバソバ」と呟いております。
 この坂を最後に踏ん張り
見上げたら
 馬酔木のお出迎え

荒神の里 笠そば】地産地消を目指し地域おこしに頑張っているお店です。
  
美しい田園風景など見ながら野外でも食べることができるので、
この時期としては嬉しい限り、ふわっふわ の「卵とじそば+梅干し」です。
疲れ吹っ飛ぶ素朴な酸っぱさ、優しい味のお出汁でお蕎麦も美味しく頂きました。

 荒神大祭の時は臨時バスが出るようです、

 周辺マップを見て、
「瀧蔵神社」(長谷寺の奥の院とよばれ、権現桜で有名)が近いことを知り、回ることにします。

長くなりました、最後までお読みいただき嬉しい限り(笑)。
つづきます…
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元伊勢巡りのご縁、「大村神社」(阿保)へ

2021-02-02 12:35:50 | 神社仏閣など
大村神社】(当神社公式HP)

「倭姫命の巡行地」絡みで伺いました…
主神とする「大村の大神」は、『息速別命』(イコハヤワケノミコト)。
第11代垂仁天皇の皇子で倭姫命(ヤマトヒメノミコト)の弟君にあたり、日本武尊(ヤマトタケル)の叔父君だそう。

ということは、
「阿保頓宮跡」や「阿保親王陵」と深い関係がしのばれる。
と書いてみたものの、3回伺って初めて気が付いたのです。
ここは「なまず」さんと仲良くなれるところだとばかり思ってたので

2020年5月・9月に撮りためたもの、
2021年1月に伺った時のもの、いろいろmixで(季節の移ろいと手水舎の変遷にご注目あれ(笑))。

ここは、3か所の参道があるようで、(ワタシは)2ヶ所までは確認済みですが、、、
ひとつは、阿保の町を木津川に沿って遡ると、鬱蒼とした杜に辿り着く。
「桐ヶ丘団地」への登り口、多分昔からの石段のある参道。
  

ここから登ると、こんな子が鎮座する手水舎へ
  (9月)

 
2021年初参り時の龍さん、そして鳥居へ

もひとつは、大きな駐車場完備の比較的新しい鳥居のある南参道?かな。
近くに「ミュージアム「青山讃頌舎(うたのいえ)」や「阿保の桜山公園」があります。
  大鳥居前

  (9月)と2021年初参り時
いずれの龍さんも何だか、苦しそうに見えるのはワタシだけか?…
きっと、みんなの疫病退散を一手に引き受けてくれてるんじゃぁないかと、思ってしまう。


鳥居の傍から、シカさん、龍さん、ナマズさんの揃い踏み(笑)。

境内に入ると「どんど焼き」真っ最中!
  (2021/1/15)

中途半端ですが、今日はここまで…

(午後、ハハの退院手続きをしてきます)
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葵紋残る「徳永寺」(柘植)、家康公とのご縁

2021-01-24 11:12:58 | 伊賀忍者回廊巡り
仕切り直し投稿… 時系列的には 1/21の日付で UPするつもりだったもの、
狐につままれたような私的アクシデントに見舞われ、せっかくの原稿が消失!
そのリベンジ原稿です…

(2021/1/17訪問)
大和街道・上柘植宿、
街道を歩いていて、このまま真っ直ぐ行けるのか?
と思いきや鉤の手に曲がる…
軍事上の事か、景観上のことかワタシには知る由もありませんが、
これは、町並みを考える方々の意見に任せるといたします。

「倭姫命」の時代から思いを馳せると、(神仏一体でいいのかどうかは別にして)
歴史の大きな流れに組み込まれていたのが「柘植」という地域なのかもしれない…

「元伊勢」巡りの関連で『敢都美恵宮(都美恵神社)』・『史蹟・雨龍神社跡』を訪問し、
改めて今度は『家康公』絡みで柘植地区をお邪魔することにしました。

前日のgoogle map予習では、このお寺から「不動明王」(裏山伝いで)→「秋葉社」→
大和街道を戻る計画です。
(山中を歩く=家康公に迫れるか!という実体験をしたかった(笑))

事前にちょっとおさらいをしました。
 徳永寺駐車場から

ええもん探し隊見聞録より(2005/12/1読売記事)
≪天正10年(1582)、本能寺の変で信長が倒れた直後、
泉州堺に滞在していた家康は、伊賀者の案内でわずかな供侍と三河に難を逃れるが、
その道筋でこの寺に立ち寄りもてなしを受けたと(1泊したとか休憩であったとか、諸説いろいろ)。

この時の「おもてなし」を大層喜んだ家康は、そのお礼に領地を与え、
「葵の紋」の使用を許したといわれています。

藤堂藩下となって後、一旦家康から与えられた領地を返上したが、
改めて代々の藩主から永代寄進するとの書状は、幕末まで続いたとされており、
初代高虎から十一代高猷までの(八代を除く)各藩主の寄進状10枚が現存しています。≫とのこと。


大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ大詰め、
「本能寺の変」はもうすぐ、その後の家康のことはこのドラマでは表現されないけど、
「神君伊賀越え」ルートが諸説あることは知っています。
「伊賀コース」であれば、まさにこのお寺の裏山辺りなのかしら…と好奇心が芽生ます。

前段が長くなってしまいました、
徳永寺の駐車場は山門の左右にあります。

平庸山 無量寿院 徳永寺】(へいようざん むりょうじゅいん とくえいじ)
「忍びの里」案内板があるので、伊賀忍者回廊巡りのカテゴリーに入れました。)
  「忍びの里」案内板、クイズもあります

   山門、白壁にご紋…

  (憧れの?)「葵紋」
徳川家とのご縁を感じますね、本堂の軒「三つ葉葵」。

本堂の脇にはデッカイ鬼瓦
 「立ち葵」

   
立派な「梵鐘・鐘楼」、横には「ロウバイ」とても綺麗です。今が見頃かな…
(「ロウバイ」は再掲になります)

  これが「石造宝篋印塔」(ホウキョウイントウ)
南北朝時代後期の作とか、霊山を望むように立っています。
 憧れの霊山
(一度登りましたが、山を見ているともう一度挑戦してもいいかなぁって…
多分、頂上からの見方が変わるかもしれない。)

一巡りさせていただき、できることなら「ご朱印」をいただけないかと、
寺務所に当たる玄関へ、先ず目に入ったのが

「この寒い冬に牡丹って咲くんですね」と、いきなり「花」の話題から。
「そう、『寒牡丹』です」…

ここで応対していただいた方・・・
「どこかでお目にかかってますか? 表札のお名前はずっと変わらず?」
「ひょっとして、高校で一緒だった? 同級生!?」ってな話になっちゃって、
いっぺんにくだけちゃいました、こうなったら高校生の頃の会話になっちゃいます(笑)。
卒業以来の出会いにお互いびっくりしながらも、
ちゃんと「御朱印」はいただき、ついでに
「この近くに『不動明王』があって、大きな椎の木があると聞いてるけど…どう行けばいい?」
「お墓をずっと進んだら階段があるから、そこから登れるよ」とのことで、お互い完全タメ口ですね(笑)。

家康公が霞んでいく

では、イレギュラー道ではありますが「柘植成田山の不動明王」へ~~
 山歩き決行!
コメント
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