伊賀へお出でよ「大人編」&「子ども編」は『NINJAフェスタ2023』始まるよ。

2023-05-01 23:50:07 | つれづれ思うまま
嬉しいことに、
『男の隠れ家』という連載があって、
伊賀へ忍者と酒、グルメを求めて旅に出る!】とな。
あそこもここも案内されております、ぜひお読みいただきたくご案内。


子どもたち向けには、こちらのご案内をいたします。
伊賀上野NINJAフェスタ2023】(パンフレットより)








ハイトピア伊賀での「忍者衣装」の貸し出しは、
先着200名ですので、お早めに~~

では、子どもも大人も伊賀へお出でよ~~

(ちなみに、ワタクシむらい萬香園さん辺りでウロウロする3日間です(笑))
ではまた
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「新大仏寺」de 御衣黄桜、新緑は目に優しい…

2023-04-28 00:31:28 | 花や風景など
ピンクの桜の次に薄緑色、というか「萌黄色」(モエギイロ)の桜が咲き出します。
この桜を見るなら伊賀ではここ。
ということで毎年恒例訪問させていただいております。

≪ソメイヨシノが散った後、4月中旬~下旬頃に咲く桜で、
サトザクラの品種の1つ。開花したばかりの花は淡い緑色、
徐々に黄色に変化していき、やがて花びらの中心部が赤く染まっていく。≫
萌黄色といえば雅な色なんて勝手に思っていますが、
とても気になる『御衣黄桜』(ギョイコウサクラ)なのです。

新大仏寺】(大山田富永)山門から
 

山門から入り、奥への参道を進む途中には
 
淡い色のシャクナゲも咲き出しています。

御衣黄桜』です。
  

その先には「八重桜」もまだ残っています。
 

山に近いので少しひんやり感が漂う境内から、
山の新緑と白い藤に目が癒されます。
 

カエデやモミジの新緑、光に透過され緑のグラデーション、

心落ち着くひとときでした。

賓頭盧尊者さまにご挨拶。


帰り道、広瀬あたりの水田を通ったら、
水入り出し、しらさぎ遊ぶ姿かな。


農家さんにとっては忙しいゴールデンウイークを迎えます…


伊賀上野城下町では、「伊賀上野NINJAフェスタ2023」開催です。
私的に3日間、交通整理のお手伝い。
むらい萬香園さん辺りでウロウロ…

ではまた、
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「伊賀上野語り部の会養成講座4回目」城下町東コースまちなか散策。

2023-02-22 13:19:28 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
いよいよ「語り部養成講座/まちなか散策編」突入です。
前後編2回に分け、城下町東西のコースを歩きます。
ざっと、心の中に目印をつける程度の散策です、
細かいことは、これからこれから~~

では、集合場所は「ハイトピア伊賀」1階コンコース(といえばいいのか?)。
 
「はくほう幼稚園児」たちの手作りおひなさま展示中!
こんなコース予定です、約3.8km、列が長くならないように、
車に気を付けつつ、見守り隊として後方支援いたします。


上野天神宮(菅原神社)】(上野東町)
*藩主藤堂高虎は、城山(現上野公園)に城郭を築くため天満宮社殿を現在地に築く。
*「鳥居」と「楼門」があるのは「天神宮」と「薬師寺」があった神仏混淆(コンコウ)の名残。
*芭蕉さんは、1672年ここに「句集:貝おほひ」奉納し、江戸に旅立つ。

芭蕉翁生家】(上野赤坂町)
   
*足元のカラーマンホール(伊賀市では3つしかないので、つい撮ってしまいます)
*上を見れば「琵琶の花」咲く
*ここは芭蕉さんが幼少~青年期(30歳くらいまで)を過ごしたところ、 
*昨年保存修理が行われやっと一般公開(2022/4~)にこぎつけました。

愛染院/故郷塚】(上野農人町)
   
*松尾家の菩提寺
*句碑「家はみな 杖にしら髪の 墓参り」
*「摩尼車」(マニグルマ)、一回転させる事でお経を一回読誦(一回一誦)した事になる…
*「故郷塚」には芭蕉の遺髪が収められています
 (芭蕉の門人の貝増卓袋・服部土芳、義仲寺より持ち帰る)

『寺町通り』
*1611年、藤堂高虎は街づくりを進め、有事の際の城郭の意味もあり、
 7ケ寺を町の東部に集めました。
それぞれのお寺に見どころはいっぱいあります。
今回の散策であちこち撮り貯めたものをご紹介。
いずれ時あれば、ゆっくり散策されたし…

寺町通り入り口辺り、元三重銀行の駐車場から見えるのが、
田中善助翁/倉庫・蔵群」(裏から)、煉瓦積み倉庫が今も健在。

元三重銀行があった辺りには、明治の学制により
上野町に配置された小学校3校の一つ「小学第二校」が建てられ、
その後新築され「東部学校」となった、とか。
銀行が置かれたのは昭和になってから…

***ここで追記(2023/2/24)投稿
2/22に「旧小田小学校」を訪問し、
そこで明治時代に作られた学校についての資料がありました。
それを一部ご紹介しておきます。
上野の学制の歴史』紹介


「南部学校」&「東部学校」絵図
  

「東部学校の看板」&「当時の学校写真」(冊子から撮ったものなので鮮明ではありません)
  
*明治15年(1882)創立、津幡藤堂高猷(タカユキ)の揮毫(キゴウ)による
*当時上野町には「東部」と「南部」の二つの学校があった、とのこと。
「上野学校」の沿革(上野西小学校HPより)
以上***

順不同になるかもしれませんが、それぞれ趣のある「山門/薬居門」や
彫り物、誰それのお墓等など・・・
『妙典寺』山門
*上野城内の朱塗りの「薬居門様式」の門、津城藤堂高刑(タカノリ)より賜り、
 通称:赤門寺と呼ばれた…
  

 
山門(薬居門)には「うさぎ」の彫り物であったり、
力士が力こぶを入れて天蓋の板を支えていたり、
それぞれの「組み物彫刻」を見ていくのも楽しいです。

大超寺』本堂建設中!
散歩の度に出来上がり具合を観察していましたが…
ほぼ完成に近い、令和5年2月現在です。
 

   
*田中善助翁供養塔はテラコッタ製
*藤堂玄蕃家菩提寺、代々の墓
*大津事件/津田三蔵の墓、ひっそりと…
他にも「美旗新田の開発者/加納藤左衛門」などもあり、
いろんな歴史に思いを馳せることができるかも…

この後、「蓑虫庵」「赤井家住宅」「むらい萬香園」など中之立町通りを北上しました。
ここら辺りは、いつでもご紹介できるので、またいつか…

ではまた
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むらい萬香園de「手裏剣術」に励み、一服してだ~こ

2022-05-05 00:36:55 | 伊賀忍者回廊巡り
今日は、「こいのぼりの日」(正式には「こどもの日」だったかな…)
我が家では飾るものもないので、むらい萬香園のショーウィンドウから
  
伊賀焼の武者人形、なかなかご立派!

さて、昨日も書いたんですけど「中之立町通り」は『一方通行(7-21)』と。
念のために、三之町筋(サンノマチスジ)の交通標識です、
 東向きを見る

 
西向きを見る


電柱の上部を見る(指定方向以外進行禁止標識デス)、、、
「忍者道場」へ来られるお客様やここを通行される方のために、
危険のないよう事故のないよう(ご近所住人の方々には甚だ迷惑なほど)
「注意喚起」しておりました、が。

そこに、南方面から「パトカー」が来てしまい 、、、
ここは、勇気をもって「すみません、この通り『一方通行』なので…」とご案内。
はい、パトカーさん静かにバックして横道(東方面)へ行かれました。
プロ?でも間違う「イッツウ(一通)通り」なんですね、
5/4だけで数台同様のご案内させていただきました、それだけややこしい道なんです。
「前方」だけでなく、「上の方」へも目線をお送りくださいませ
しつこくて大変申し訳ないのですが、
『行き先指定案内』を道路にペイントしていただけないか?」という提案でもあります…

さて、今日の楽しいショット「いつも家族と一緒のマンチカンニャンたち」
   
マンチカンの二匹、なかなかお互いを見つめ合うことはないそうです(笑)。

 むらいさんご主人とその仲間たち

さぁ、今日も元気で「手裏剣術修行しよう!」

ではまた
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【伊賀忍者道場】こんなんやってます!

2022-04-30 13:20:54 | 伊賀忍者回廊巡り
通年「城下町で『忍者修行』ができるといいなぁ」と動き出したようです。
一日おきに天気が変わるので、遠くへは行けないなぁ、という方、
近場でこんなんいかがでしょ?

【伊賀忍者道場】伊賀忍者認定の激レアバッチ(非売品)をGETせよ!!


 表紙

 修行案内

むらい萬香園では「手裏剣」と茶々さんが待ってますよ~
 看板あり!

お問い合わせ先 
 伊賀上野DMO 0595-26-7788
 伊賀市丸之内122-4 http://igaueno.net まで
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ハハんちで「利休梅」、「利休梅模様」ってこんなん…

2022-04-01 15:14:06 | 花や風景など
先ず、こんな柄です☞「利休梅模様
これはいつものお茶屋さん「むらい萬香園」さんとこで見せてもらいました。
茶をたてる時に使う「ふくさ」や「風呂敷」などにその模様が良く使われるそうです。


木興の「ハクモクレン巨樹」鑑賞から帰ると、(2022/3/30(水)のことです。)
ハハから「庭木が大きくなり過ぎたので剪定してほしい」との依頼。
ここは一丁家人と共に出かけねばなるまい。

ということで、伸びすぎた枝をバサバサと切ってもらう、
その作業の途中、ハハは「これはシデコブシ、それは利休梅、こっちは○○」と話したい放題。
作業中の家人はちょっとイライラっとしますが、そこは話し相手のいないハハなんで
まぁまぁ、作業に集中できるようにお母さんちょっと静かにしてね…

ここから本題、
剪定した枝木をもらってきたわけですがその一本が「利休梅」というもの。
茶人好みの木だそうで、派手な花が咲くわけではなさそうですが、
いかにも名前が「ザ・茶人」ですね。(千利休さんも好きだったとか)
まだ「蕾」ばかりだったのでどんな花が咲くかはわかりません、
google検索で調べると、なかなか愛らしい 花ではありませんか。

「茶人好み」ということなので、これはむらいさんちに寄ってプレゼントしよう!と
思い立ったわけです。
「名前は聞いたことあるけど、実際に花は見たことがない!」とのこと、
「では、一枝ずつ挿すなり、一本丸まま活けるなり、お好きに~~」と
もらった枝を差し上げただけですけどね。

我が家ではこんな感じで活けました…
 
我が家で活けた「利休梅」&「シデコブシ」&「ハルジオン」
※『利休梅』って(植木ペディアより)
 ・中国の揚子江下流域を原産とする落葉樹で、明治末期に日本へ渡来した。
 ・開花は4~6月。主張し過ぎない清楚な花が茶人に好まれ、茶庭に使われることが多い。
  名前も千利休にちなんでおり、「千利休の命日に咲く」という逸話も。
 ・晩春から初夏の、やや花が少ない時季に咲くことも人気の秘訣。
 ・ウメとはいってもヤナギザクラ属であり、ウメとの関係性はやや低い。
※『利休梅模様』
 奈良・平安時代にシルクロードを渡り伝わった、正倉院の宝物裂(キレ)や名物裂。
 その優秀な模様の織物。
 撚りの強い先染め糸で繊細に織られ、しっかりとした柔らかな風合いを特長とする緞子(ドンス)生地。
 古来より、幾多の茶人に好み所有され、今も茶道のわび・さびのせかいに愛用し楽しまれている。


ちょっと話は逸れますが、
相変わらず「桜はどうかいな?」とあちこち様子伺いに行っています。
とある場所で桜の花びらを拾ってきました、雑草の大きな葉っぱの上に乗せ、
車のダッシュボードに置いて持って帰ってきました。
お皿にひと盛り、食卓で「春」
  (3/31、13時ごろ)
1日経っても「利休梅&シデコブシ」はまだ「蕾」。
「ハルジオン」はとても元気。
どんな花が咲くのか楽しみなので定点観察っぽく、集中して見ることにします。

 (3/31、夜、シデコブシ咲く)
この日の晩ご飯時、我が家に来ていた長女が、
「あのさ、お母さんの『ご朱印帳』の模様って、『利休梅模様』ちゃうの??」と、
 あらぁ
ワタシは何も知らずに買って、いっぱいになった『朱印帳』を飾ってあっただけなのに…
まさか、この表紙が
 「利休梅模様」とは、知らなかった…
なんか急に「高尚な朱印帳」に見えてきた(笑)。

 下駄箱の上に活けた「利休梅」、やや開花

  (4/1、午前中に一輪開花!)

花びら1枚ずつに雄しべがいっぱいついていて、
深緑のグラデーション湖を覗いているいるように見えなくもない。
その中にきっとめしべが隠れてるんだろうなぁ~~と想像。
でも決して派手ではなく、しっとりと咲いています、
そして花が開いた様(サマ)が、「利休梅模様」になったんでしょうねぇ。
一輪、また一輪と咲いていくと思われます、
いろいろ勉強させてもらったハハに感謝です。

ではまた、
紀行につづく

追記(2022/4/2)
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「マンサク(万作)」見つけ、むらいさんちで抹茶ラテ…

2022-03-07 14:56:19 | つれづれ思うまま
月ケ瀬へ行った日の午後、歩き足りぬと再ウォーキング。
「上野公園」一周して、とあるところで「塀の隙間」で見た!
ここで「マンサク」を見るとは…


城下町を下って本町通り中町の町屋、「芭蕉の句」が変わってました、

≪香に匂へ うに掘る岡の 梅の花
 貞享5年 芭蕉45才 季語 「梅の花」 春
 早春の故郷では梅が咲き匂い始めた。
 泥炭を掘る丘の辺でも野梅が咲き梅の清らかな香りをもって、
 泥炭のあしき香りを少しでも和らげてほしいと詠む。
 (泥炭:石炭の成長過程における最初の段階の燃料)
 「昭和39年古山老人クラブ建立 建碑 菖蒲池 市場寺
 うに:伊賀地方の方言
  元豪商山田屋野松館 雪芝亭≫

「市場寺の芭蕉の句碑」
  (2020/5/ 撮影)

さすがにちょっと疲れて甘いものを欲するワタシ、
丁度「まち百貨店」開催中の「むらい萬香園」さんの『みたらしちゃんの抹茶ラテ』で休憩。
 
わかるでしょうか? しっぽが「みたらし団子」です(笑)。
今回特別にオマケをいただきました、「使い捨てのマスク入れ」ですが
 なんと「お茶の香り」~~

茶殼リサイクル
 このマスク収納袋に使用されている紙は株式会社伊藤園の茶がらを再利用しています。
 お茶の香りと、 緑茶成分(カテキンなど)の働きによる抗菌性、消臭性があります。≫

なるほどね、nice idea!! 一石二鳥にも三鳥にもなるわけです
明日は「笠置町飛鳥路の勧請縄」デス

ではまた
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「伊賀上野城下町のおひなさん2022」その2、本町通り和菓子に漬物、そしてお茶

2022-02-09 22:57:01 | つれづれ思うまま
今日は、知人と誘い合わせて、というか
知人のお昼休み時間内に行ける範囲で「お雛巡り」。

ここは、いつも通る場所、
ちょっと立ち止まってじっくり見たら…
  エロお雛さま だった
期間内に通ることがあったら、じっくり鑑賞してみて、、、
ついでに「おひなさんを数えよう!」クイズ。
「お雛さんとお内裏様」が一組です、さぁ何組いるかな??
正解者の方には「2000円分のお買い物」できますよ~~って
「正解数の近い方」には、粗品プレゼント! by『むらい萬香園』。

さて、本町通り『桔梗屋織居』(上野東町)
 ショーウィンドウの🎎
向いの「コンビニ工事」の様子が映ってしまいます

店内に入らせていただき、奥の和室に鎮座している 🎎 、
  
楽しそうに楽曲奏でるお囃子連、
昔懐かし「火鉢」にお雛さん。

隣のお菓子工房前では
 天平美人。

ここは『おおにし御菓子司』(上野中町)、
 
黒猫のくうちゃんが、時々悪戯をするらしいけど、
それも許せちゃう可愛さでお店番です(笑)。(写真はナイ)
伊賀の冬、定番おやつは『丁稚ようかん』、おおにしさんちでは『桜でっち
 香り良し、味良し、さっぱり良し

ここも老舗『養肝漬 宮崎屋』(上野中町)、
店内に入らせていただき、定番古代🎎の数々、
   「御殿雛
御殿の中は、夢の世界…ほろ酔いか?踊り出してます

  「雛萬歳」
 「やまざとは
  まんざい遅し 梅の花」 (芭蕉)
 毎年、春を過ぎて来郷する漫才師。
 伊賀の人々は彼らを見て、春の訪れを感じるのでした。(養肝漬宮崎屋 所蔵)

伊賀の春は、ちょっと遅いかもしれませんが、
最後に、「梅」を添えます…
 by くれは水辺公園

では、おやすみなさい。
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むらい萬香園のおひなさま、さぁ何組並んでるかな…

2022-01-30 14:23:43 | つれづれ思うまま
 むらい萬香園(上野小玉町/七福神商店街)
ご主人がお店番もしながら幾日もかけて、お客様が来られるたび、
並べるその手は止まり…(お客様最優先ですから
やっとの思いで先日見事に並べられました。
「苦労してましたけど、まぁ見てやってください」と、奥さま。
 「さぁいくつ?」

では、「来て見て数えて、疲れたらお茶でも一杯、いかがでしょ」
 
ショウウィンドウ越しなのでちょっと見にくい…

  「豆猫雛」とか

 
やっぱりニャン雛が多いかな、でも芸術作品もございますよ…

こんな子も待ってますよ~~
 

 「お茶飲んでだぁ~こ」by 茶々

こんなんもあるよ


ではまた
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「伊賀七福神めぐり」その① いきさつを少々…

2021-12-03 16:36:32 | 神社仏閣など
「開運招福 伊賀七福神めぐり」(web情報youより)という企画に参画しちゃいました。

 
「七福神めぐりチラシ」「ご朱印帳」「ご案内」など

ここで少し皆様にご紹介を…
伊賀上野城下町、「小玉町の七福」があるということ。
古くから伊賀上野城下町にお住まいの方はご存知かもしれませんが、
小玉町は「印・三社の託宣(サンシャノタクセン)」と「だんじり・小蓑山(コミノヤマ)」があり、
そして過去には、「宝船と七福神」の練物が「上野天神祭」の行列に参加していた町です。
現在では行列に参加することはほぼないのですが、
「小玉町の蔵」にはまだ「宝船」や「七福神の面・衣装」などは残っており、
印と七福神」が同居(七福神蔵)してるらしく、
だんじり」は単独(だんじり蔵)で収納されているようです。
(むらい萬香園ご主人のお話による…)

ここで、「冊子『上野天神祭だんじり・おに』」(上野文化美術保存会発行)より抜粋


『小玉町の七福神』について
上野天神祭にくり出す七福神には、寛延年間(1748~1751) 高井五兵衛(友月)が、
京都の供物練物の七福神にならって自ら仮面を作成したという逸話が残っています。
宝暦元年(1751)以来、小玉町が七福神の練物を祭礼の供奉にくり出すことになったとも記録にあり、
約270年の歴史がしのばれます。

『小玉町七福神踊り』について
七福神踊りの初期の踊りは〈七福神〉を踏襲して踊っていましたが、
昭和の初めに作詞家 西条八十氏を当市に迎え、長唄風に従来の歌詩を改作し、
踊りは花柳流を継承、現在に至っています。
この七福神も上野天神祭当日の行列に参加していましたが、
現在では行列に参加することは珍しくなっています。 

いつの頃だったか、「七福神踊り」を見せてもらった記憶があり、
何の機会だったか、遠い昔の「祭りの記憶」だったか忘れましたが、
とても楽しい踊りで、それぞれの「神様」に合わせたユニークな振り付けだったと覚えています。

そんなこんなの由縁があって、若者たちが考えたこの「伊賀七福神めぐり」企画に
参加してみようと思い立ったわけです。


※【七福神】とは、(上記冊子より)

七福神は、古くから日本の民間信仰の対象とされた幸福をもたらす神々です。
恵美須・大黒天・福禄寿・寿老人・布袋・弁財天・毘沙門天の七柱を指します。

恵美須は「夷」「蛭子」とも書き、家業を護り福利をもたらす神です。
元来生業(なりわい)の神であり、農村では田の神、の漁村では大漁の神とされます。
大黒天はインドの摩訶迦羅(マハカラ)天が変化して伝わったものです。
もとは三宝を守り飲食を司る戦闘の神でしたが、南中国の諸寺で台所の神となり、
日本に入って農産、福徳の神である大国主命(オオクニヌシノミコト)と習合しました。
福禄寿(外法ゲホウ)と寿老人は、中国の福徳、財産、長寿の神で、
南極寿星の化神とされます。
布袋は中国の唐代末から五代十国時代にかけての禅僧契此(カイシ)を表しており、
その独特の円満な風姿が喜ばれました。
弁財天はインドの水神で、音楽、弁才、財福、智徳を備えた天女の姿で信仰されています。
毘沙門天はインドでは仏法守護の四天王であり、「多聞天」とも呼ば れます。
甲冑を着けて北方を守る財施の神です。  

今日は、
 チラシ裏面より
「七寺社」のご紹介まで。

追伸、(資料が見つかりましたので(笑))

「小玉町七福神」が最後に「上野天神祭」の供奉行列に参加したのは…
 平成8年(1996年)

 「上野天神祭冊子」より
この年は、小玉町さんが「1番くじ」(⇒だんじりの先頭)を引いたそうです。
「鬼行列」「七福神」「だんじり」の順に巡行したとのこと、
今、この資料をむらいさんから頂いて来ました(笑)。
これ以降、町民の数もどんどん減り、
「だんじり」と「七福神」二つの行列を出すことが困難になったようです。
何かおめでたいことがあった時など、単独イベントに参加することはあったけど
「上野天神祭」にはもう出られない と、寂しそうでした…


初冬の「伊賀七福神めぐり 七寺社参り」は、また次回から…
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