百鬼丸切り絵展 in 史跡崇広堂、いが☆グリオも来る…前編

2023-09-17 23:11:42 | 百鬼丸の切り絵展in伊賀市崇広堂
開催初日9/15、所用でゆっくり見られないのでざっくり見学。
ここ「史跡旧崇広堂」は、三重県で唯一残る藤堂藩の藩校。
津に本校があってその支校みたいなもの、
小学生の頃は「図書館」でした、今は国の史跡として大事に残されていて、
時折展示会などのイベントに使われますが、ほんとここは雰囲気がいいのです。
まして今回は「武将」などの切り絵、この建物と雰囲気にぴったしなのです。
そこんところを体感していただければいいかなぁと、私的に推し です。

では、少々御案内を~~イベント時は入場無料ですよ!
外の赤門から玄関へ
  

ここから入ると藩主だけが入る玄関、
鬼瓦には藤堂家の蔦紋。
  

  

 
いかがでしょ、武将たちいい感じに陣取ってます(笑)。

さて、本日9/17伺いました。
行くまで知らなかったのですが今日は「伊賀☆グリオ」が参上して、
「グリオの切り絵」の実演があるそうな。目の前で見れるんだって…
その前に、建物内至る所に展示されている作品~
  
戦国武将など迫力満点でお目見えしてますよ…
   

  縄

講堂に行きましょう
 
グリオくん、来ましたね。

では続きはまた次回
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堪らなく暑いけど、少しずつ秋の気配かな…

2023-09-17 00:23:46 | 花や風景など
どこかで見たことのある花だなぁと、水仙か彼岸花かと思いましたが、
googleさんに聞けば「ヒガンバナ科の夏水仙」と。
梅雨の時季「紫陽花ロード」だった大山田真泥のあの道、
名前に「夏」とついていますが、しっかり「彼岸花」風…
ここまで書いて、自分のblogを調べたら
「ヒガンバナ科で彼岸花より1か月くらい早く咲くらしい。
 彼岸花は花を咲かせて枯れた後に葉が伸びるのに対し、
 夏水仙は春に葉を出して枯れた後に花が咲くとのこと。」なんちゃって書いてます。
2021年の9月の今ごろ、ちゃんと撮ってました💦💦

この道で
  

十念寺と百日紅


  
この蕾を見ていると「彼岸花の蕾」そっくり、と思うのはワタシだけかな(笑)。
撮影日:2023/9/13でした。

おまけのトンボ、上野公園辺りで見ましたが、
ぼちぼち夏の終わりを告げに来た??
何トンボかな?
 

では
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阪神がAREしたそうで…道頓堀と伊賀の縁。

2023-09-15 00:06:27 | つれづれ思うまま
「道頓堀と伊賀の徒然咄」を…
といっても再掲です。
『不思議なご縁「道頓堀つながり?」、愛宕・天神・西蓮寺にある灯籠…』(2022/6/25投稿)
・・・・・・・・・・
愛宕神社本殿向かって右奥の灯籠、撮影日は昨日。
本殿の周りを囲む格子の間からもバッチリ見ることができたので再掲。
 ①「愛宕神社の灯籠」

どこにでもありそうな「灯籠」ですが、なかなか面白いエピソードがあることを知り、
また、同じ年に「愛宕神社」「上野天神宮」「西蓮寺」の三寺社に寄進されているらしい。
・・・
なんだか面白そうなお話が隠れているようなので俄か調べをしていました。
三寺社巡りの紹介は順不同になりますが、どこかに何かの説明版でもないかいな…と。
google などで調べていたら説明版の写真を見つけたので、速攻訪問して確かめることに。

では「西蓮寺
 仁王さんのお出迎え
広い境内を探してもなかなか見つからず寺務所で尋ね、
ココですよと案内されて見つけました。
 
西蓮寺説明板より
 ≪安井九兵衛寄進の燈籠
 燈籠の竿に「奉寄進貞享三(1686)丙寅年 十月十五日大阪堺筋日本橋施主 安井九兵衛定元」と刻まれている。
 定元は大阪道頓堀を手掛けたことで有名な安井道頓(ドウトン)第三代目の当主で幽ト(ユウボク)と称した
 又道頓は藤堂藩の請により藩の御用金を融通し其の代償として塩の一手販売権を握り
 藩の治水事業にも功績があった等で定元が当寺へもこの燈籠を寄進したものと思われる。≫ ふむふむ。
 ②「西蓮寺の灯籠」

上野天神宮(天満宮・菅原神社)編
東町側から鳥居をくぐり、そのまま南側(右手側)の奥にあります。
  

 ③「天神宮の灯籠」

それぞれの「灯籠」に刻まれた文言はワタシには何となくしか読めませんが、
確かに『安井九兵衛(「クヘイ」と読みます)』と読めるような…

愛宕神社に関しての資料の中にこの灯籠の説明が見つかりました。
 ≪愛宕神社の灯籠について
 本殿の右側に二基ある灯籠の奥の灯籠。
 大阪の商人、安井九兵衛は、藤堂藩の美旗新田開発に出資して、
 見返りに塩専売特許の権利を得た塩の専売で利潤を得たことに感謝し、
 上野天神宮、西蓮寺、愛宕神社に灯籠を寄進した
内の一基。高さ185cm。
 「貞享三(1686)丙寅年 摂茘大阪住 奉燈愛宕山 朔月廿四日夜 十二月吉日 安井九兵衛」と刻まれている。≫

では、同じく「上野天神宮」の資料では
 ≪大坂の商人安井九兵衛が、藤堂藩の小波多新田開発を請負
 見返りの塩専売特許で利潤を得たことに感謝し寄進したもの。
 愛宕神社と西蓮寺に同時期の寄進灯籠がある。
 西蓮寺の灯籠の竿に「奉寄進貞享三年(1686)丙寅年十月十五日大阪堺筋日本 橋安井九兵衛定元」と
 刻銘があることから安井家三代目九兵衛と推定される。
 慶長17年(1612) 大阪道頓堀の開削に着手した安井道頓は、大阪夏の陣で戦死し、
 従兄の安井九兵衛(道ト(ドウボク))が事業の後を継いだ
 その、道トから三代目が安井九兵衛定元(幽ト)
 安井(道ト)家は、代々九兵衛を名乗り、上野天神宮の灯籠には「貞享三年丙寅九月大阪惣年寄」(1686)の刻銘がある。
 九兵衛定元は伊賀の治水工事・新田開発の資金提供者であり、藤堂藩の経済を支えた商人である。≫

全説明において出てくるのが
①安井道頓 (1533~1615) 戦国時代から江戸時代初期の商人。
 1582年に「大坂城の外堀掘削」
 1614年 「大坂冬の陣で外堀埋める」
 1615年 「大坂夏の陣で戦死」商人でありながら秀頼に味方し参戦するも討死。
②安井九兵衛(道卜)(1582~1664) 江戸時代の日本の資産家・治水家。
 1615年  道頓の遺志を継ぎ「道頓堀」を完成させる。
③安井家二代目
④安井家三代目九兵衛(幽卜)安井家は大坂三郷の一つである南組の惣年寄を務める。
 1658年頃 名張の「新田開発」に出資、藤堂藩の経済を支えた豪商。

また、安井道頓の話に至っては、
司馬遼太郎さんの短編集「最後の伊賀者の中に『けろりの道頓』という短編があります。
これは1999年にドラマにもなっており、なかなか面白そうなので読んでみようかと思っています。

「安井九兵衛さん絡みの灯籠」から「短編・けろりの道頓」まで、
あの有名な「道頓堀」の歴史を垣間見るような話を伊賀でみつけたっ!

蒸し暑い日々が続き(伊賀ではこの時期の最高気温が出たとか)、
正直辟易しており、タオルで汗を拭きつつですが、
面白い話を追いかけていると、いつの間にか夢中になっておりました。
豊臣の時代から徳川の時代への転換期に活躍していた豪商たち
その豪商たちに助けられた藤堂藩、ちゃんと見返りの塩専売も取った
調べてて楽しかったです(笑)。
「道頓堀」ができたおかげで「淀川遡行の舟便」にもつながったわけですもんね。
昔の人、スゴい!
・・・・・・・・・・

以上、道頓堀徒然咄でした。
そして「阪神AREおめでとう」。

そして、再びの追記「最後の伊賀者」単行本
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「百鬼丸の切り絵展 in 崇広堂」(再掲)、いよいよ明日15日から

2023-09-14 10:48:30 | 百鬼丸の切り絵展in伊賀市崇広堂
 
【百鬼丸の切り絵展】ご案内。

うどん屋の知人からお手伝いしてくれへん?と頼まれました。
様子も何もまださっぱりわかりませんが、ワタシにできることがあるのであれば…
所用との兼ね合いもありますが、いつでも声をかけてください、と返事はしてあります。

楽しそうですやん

場所は『旧藩校崇広堂』(「伊賀ぶらり旅」より)です。
江戸時代から残る「藩校」にとても似合いそうな気がします…

 

 

※「講堂」写真は、過去の展示会の様子です。

ではご案内、でした。


追記1「崇広堂の百日紅」
 (2020/9/27撮影の百日紅)

2023/9/14の百日紅
  

追記2(9/14、10時ごろ)
うどん屋の知人から「お昼一緒に食べへん?」ってお誘いを受けたので、
歩いて2分のところへ行って来ます(笑)。
週末、所用を抱えていますが、何かしらPRというか、
何かお手伝いできることがあるのであれば…
この際(史蹟旧崇広堂は、イベント時は入場無料ですので)、このチャンスを生かして
来られるのもいいかもしれません

おしらせ、でした。

追記3
美味しいうどんと共に、百鬼丸さんにお目にかかってきました。
楽しそうな切り絵パフォーマンスも楽しみです。
伊賀しかも崇広堂でこの切り絵はいい感じに映えると思います。
鬼町の「鬼面」も似合いそうな予感がしてきました。(鋭意、準備中
ご本人百鬼丸さんは、
「これまでの展覧会と違い、展示物と拮抗する、
 お客の前で作るデモンストレーション切り絵で、
 僕にとっても、緊張感のある展覧会になると思います。
 必死の百鬼丸を見にきてください。」とのことです。



追記4
本日夕刻、準備の様子を…
すでに終了しており、明日の開催を待つばかり、
崇広堂の庭の萩、紅白揃って咲いておりました。
 

  



では、ぜひ。
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上野公園の「イガザサ」、記念館傍に無患子、あちこちに多羅葉…前編

2023-09-13 23:32:49 | 花や風景など
少し涼しくなり、これなら歩ける!と、上野公園まで来たのが9/7夕刻。
そういえば、、、
お客様をご案内する時、上野公園入口から入ることが多いのですが、
ここでひとつ「今どき!上野公園注目の植物は」、やっぱり「これでしょ!」。
ということで朝ドラ「らんまん」の主人公(万太郎⇒モデル:牧野富太郎)にご縁のある話を…
 
上野公園入口に生えているこの「ササ」はちょっとしたエピソード持ちで、
名前は『イガザサ(伊賀笹)』と言います。
2023/1/22にご紹介済みですが、クマザサに似て非なることがわかっています。
少し伊賀上野がらみの視点から…
郷土の歴史夜咄会で「伊賀の牧野富太郎『黒川喬雄』(クロカワタカオ)と門下生」というお話があり、
その資料をもう一度じっくりと読み返したことと、
上野高校「(創立)70年のあゆみ」(全264頁)がたまたま手元にあったことで
二つの資料をめくるめく見ておりました。

 
昭和44年(1696)発行ということは、ワタシ高校一年生です。
当時そんな本をいただいたことさえ忘れていましたが、
多分実家から持ってきたのかもしれません(記憶が定かでない、けど手元にあることがラッキー)。
「70年のあゆみ」というのは、明治32年以降の学制の歴史本みたいなもので、
その中に「黒川喬雄先生」なる人物が幾度となく出てきます。

こちらは「夜咄会資料」


今でいう「生物」という教科は、植物学・動物学に分かれていたようで、
その植物学担当が黒川先生だった。
「剣道」の指導をされ、生徒指導もされ大変厳しい方だったようですが、
余暇には山野を歩き厖大な植物を蒐集されていた、とか。
そんな様子のイラスト画が掲載されているのです。
  214,216頁

そして、上野公園を歩いていた時に「ササ」を見つけた、
それがなんと「新種」だったということで、それ以後も
伊賀地域でいくつもの新種植物を見つけられていたとのこと。

昭和6年に上野中学の黒川喬雄氏が発見
 植物学者の牧野富太郎博士の鑑定で「新種と認定」される。
 葉の裏側がツルツルなのが特徴≫です。
採ってはいけませんが、触ることはOKです、
ふつうのササ、葉っぱの裏側は細かい毛があるのでザラザラ感があります、
その違いを感じてもらえればいいかな、と思います。

その『イガザサ』はこんなところにもあって
  俳聖殿敷地内

伊賀流忍者博物館敷地内のイガザサ

ご案内する折があれば、こういうエピソードをお話しすると大変喜ばれる…気がします。

では、後編はまた…
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「後発白内障」でした、白内障術後確率20%、選ばれし。

2023-09-12 15:15:22 | つれづれ思うまま
最近、といってもいつの頃からかわからないのですが、
車を運転していても、新聞やスマホを見ていても、
テレビやパソコンを見ても、なんだかなぁ見にくいなぁ と。
老齢化による単なる視力の低下かと、眼鏡屋さんへいくことにしました。

このままでは「免許の更新」(更新は2027年だけど)に不安を感じたし、
会議の折のプロジェクター投影の文字が読めないし、
手持ちの資料も(いっそのことなら)眼鏡を取った方が読みやすいかも…
なんて具合で、何をどう見てもツライ!と訴えました。
遠くが見えて、手元も見え、目の前の人の顔をちゃんと見たい」。
「おまけに花の写真をアップで撮りたい」、なんて欲深なことか💦

視力検査をし、レンズを合わせてもらい、眼鏡を作り直してもらい、
一旦家に帰ってしばし過ごしてみたが、より不安を感じる始末。
ごめんやけど、眼鏡屋さんを変えて再度視力検査に挑戦。
同じような検査をするも「眼鏡だけではこれ以上視力が出ませんね …」
ハッと驚く私に、やさしく「一度眼科へ行かれた方がいいですよ
「眼鏡の調整よりも視力の出ない何らかの原因があるのでは?」とのこと。
ご親切に紹介状まで書いていただき(眼鏡屋さんと眼科は持ちつ持たれつではあるとは思いますが)、
眼鏡を売ればいい、という姿勢ではないこのアドバイスは大いなる励ましとなったことは事実。

「眼鏡」に見え方のすべてを賭けるのではなく、自分の「眼」そのものを見直した方がよいと。
ワタシは、眼鏡は必須だとしても、まだもう少し明快にモノを見たいし、運転もしたい、
パソコンもスマホも眺めていたいと思ったので、
数日後(所用が立て込んでいたので遅れた)、とある眼科へ。
初診でもWeb予約ができるので大変有難かったです。

9/8、金曜日、初診。
*左目、2019年11月に白内障手術済であること。
*眼鏡をかけてもかなり見づらい状況等々を説明。

眼科特有のもろもろの検査の末、
左目は「後発白内障」である、と。
*右目も白内障ではないが水晶体裏の方に薄い影がある。
 これが視力低下の原因かもしれない…

もう一度、9/11の月曜日に来てください、そこで治療方針を決めましょうと。

9/11、月曜日、2回目の受診。「にんまるバス/外回り循環東コース」で。
再検査と診察の結果「左目/後発白内障LAGレーザー嚢切開術」を受けることに。
瞳孔を開く散瞳剤を受けて、看護師さんから諸説明を受け、同意書にサインし、

先生によるレーザー照射を待つその間に調べました。

後発白内障』って
≪白内障の手術後、数ヶ月から数年が経過すると、
後嚢(眼内レンズが入っている袋の後ろ側の部分)が混濁してくることがあります。
後嚢の混濁により光が目の奥に届きにくくなります。
これを後発白内障といいます。
後発白内障は白内障術後5年で約20%の人に生じるとされており
ぶどう膜炎や強度近視、糖尿病などの基礎疾患を持つ方は発生頻度が増加します。
後発白内障により、視力低下、霧視(かすんで見える)、羞明(まぶしく見える)といった症状を自覚します。≫

先生から説明も受けましたが、聞くだけではなかなか理解が追い付かないので、
じっくり読むことで納得がいきました、まさにワタシはこれなのね!
但し、ワタシの場合、眼内レンズは事情により表面への縫い付け型です。

説明書と同意書から
「(前略) 放置すれば徐々に視力障害が進行します。
現在あなたの眼には後発白内障が認められ、手術療法を選択できる状態であると考えます。
他に有効な治療法はありません。
YAGレーザー嚢切開術を行っても、
眼や脳などに他の異常がある場合には視力の改善は得られ ないこともあり、
ひきつづきその病気に対する治療が必要な場合もあります。
後発白内障によっ て眼の奥の詳しい状態がわかりづらいことも多く、
手術後に異常が見つかることもあります。
<手術の説明>
濁った糞に YAGレーザーで穴を開け、 再び眼の奥に光が入るようにします。
通常入院は必要なく、外来で可能です。」

痛みも何もなく、粛々と行われた「レーザー治療」。
しばらく目の中に浮遊物らしきものが見えますが、さして気にならず。
この日(昨日)はめちゃくちゃお天気が悪く、太陽も見えなくてそれが却って幸いで、
日常生活を送っている間に、左目にスッキリ感!
モノってこんなにクッキリ見えるのか!?
もちろん視力が良くなったというのではないのですが、
「霞やくもりなく明瞭に見える」という、まるで別世界を見ているような感覚です。

9/12、火曜日、3回目受診。自家用車で行く。
先生への第一声報告「世の中こんなに綺麗に見えるとはおもいませんでしたっ」と。
先生笑ってらっしゃいましたけど「良かったですね、予後も大丈夫ですよ。」
「あとは右目、11月に手術しましょう」と。

人間、見えにくいと諦めてはいけない、
高齢化をそのまま仕方がないと受け入れるのではなく、
少しでもより良い方向へ進みたいと願うことは大事なことだと、悟りました。

なので、万が一「どうせこんなもんだろう、年も取ってきたことだし…」とあきらめる前に、
やるべきことはあるのではないかなと、何かのヒントになればと思い記録しておくことに。
今の気分は爽快、この景色のように爽やか(笑)。



もひとつ別の初体験記「にんまるバスで『外回り循環東コース』乗ってみた。
散瞳剤を点眼するので自家用車では来ないようにと注意を受けていたので、
「しらさぎバス運行表」を調べたら、なかなかナイスな時間に運行があることがわかり、
『向島町バス停』9:48に乗れば、アピタ着10:02。
治療時間と買い物含め帰りもバッチリ、
『アピタ』12:32発、ハイトピア伊賀着12:41。
合計乗車時間約23分、運賃1回200円×2乗車分。
凄く効率良く「にんまる」を利用できてラッキーでした。
走るにんまるを見て、中からはどんな風に見えるのだろう?って…

まさに見てきましたよ、
   
窓の近くだったのでドットのような〇がいっぱいですが、
景色はちゃんと見えることがわかりました(笑)。
しかもICOCAカードも使えます

何年か先、免許証返納の折にはこのバスを利用させていただきます。
お買い物に利用の方は多かったです。

では、長くなりましたが、あっという間に「視界明瞭」の妙、
そして「にんまる初乗車」体験記でした。

ではまた


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伊賀上野城、ちょっと気になる白壁。そして「秋の実」…

2023-09-10 17:56:21 | つれづれ思うまま
少し涼しさを感じるようになったので上野公園に行ってみた…
お盆のころの台風7号の暴風の影響で、ちょっと気になる「伊賀上野城」。
「白壁」が剥がれ落ちたとか、ニュースで見たので
現場検証ならぬ現場撮影で、しかと見てまいりました。
薪能』が近づいているので少し心配です
  



伊賀上野城の白壁がどうなるのかは、まだ何もわからないのですが、
修理は台風シーズンが終わってからかもしれないとか…

北側に回った時についでに見ちゃった『小豆梨の青い実』、
おっ秋だね! 
(「青い」と書いていいのかどうか気になるところ、要するに未成熟という意味ですが)
  

来たる冬には、こんなに可愛い赤い実になります。
小豆梨12月の実

遡って小豆梨4月の花

『小豆梨』別名:ハカリノメ、バラ科です。
一般的なのか、珍しいのか、ワタシにはわかりませんが、
訪れることがあったら是非探してみてください、
北側の小さな「栗石」が積もってる辺りです(笑)。
石垣を造る際に余った石を積み上げてるとか…聞いた記憶。

さぁ、ここで成熟前の青い実を見つけたので、
ついでに「あの実」も見に行こう!と思いつき、
芭蕉翁記念館辺りまで行くことにします。

では続きは次回。
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上野天神祭「籤取り式」にて、今年の一番は「小玉町・小蓑山」

2023-09-09 16:16:17 | 祭り
 

本日9月9日、午後、
上野天神祭の鬼・だんじり行列の令和5年度のだんじり巡行順を決める
「籤取り式」が行われました。
「鬼さん」は『先達』ですので、神様のあとから行列します。
その「鬼さん」のあとを「だんじり」が煽ってくれます(笑)。

祭りの準備が始まりました。

取り急ぎご報告まで

追記:2023/9/10//10:53
 2023/9/10中日朝刊より

情報Youより

朝日デジタルより
≪今年は夜間巡行を復活させる。
 露店も銀座通りなどの路上に並ぶ見通しで、コロナ禍前の19年と同様、
 約240店の出店に向けて調整を進めている。
 だんじりの勢ぞろいは2日目の21日午後2時ごろからで、 銀座通り一帯に9基を集結させる。
 同時間帯に銀座通りを横切る鬼行列とともに、各だんじりのお囃子で祭りを盛り上げる。
 勢ぞろいは17年にも企画されたが、台風で巡行自体が中止を余儀なくされ、
 今回実現すれば初めてとなる。≫

観光三重/【2023年】伊賀市の秋を彩る!「上野天神祭」とは?
見どころや歴史、巡行ルート、屋台の出店情報など徹底解説します!』
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【三重県伊賀市】9/17(日)伊賀者参上!!日本全国ふるさとマルシェ、おしらせ

2023-09-09 10:28:46 | つれづれ思うまま
三重県伊賀市・伊賀者参上!らしいよ!

『第19回ふるさと回帰フェア2023

近辺にお住いの同級生におしらせ!しました(笑)。

忍者ミッキー」もいるんですね。
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甲野の大日さん「大日殿極楽寺」へ

2023-09-08 00:25:30 | 神社仏閣など
大山田甲野『極楽寺山門』から外の景色「稲垂りぬ」。

いつこの景色が変わるかもしれないと、田園のなか車を走らせ、
ここに着いた時、「この景色は、今だっ!」と撮りました。
明日になればこの景色は「刈り取りの後」になっているかも、
明日のことはわかりませんが、季節は確実に動いていると思いました。

パラパラと「四季・二十四節気・七十二候」の言葉を眺めていたら、
9/2~9/6頃は「処暑の末候で『禾乃登』」、「こくもの すなわち みのる」と。
今日(9/7)からは「白露」に入るそうで…
暑い暑いと嘆いてばかりでしたが、朝夕に秋の虫も鳴き出し、
風も少しばかり涼風となり、来たか?秋と感じましたが、
内心では(騙されないぞ)と思っています。

さて、大山田平田の知人宅に所用があり、
ここまで来るなら、その前に寄り道をしようと決めて「愛染院」を出発。

振り返れば、同窓会をしようと集まり出してかれこれ数年が経ち、
高校時代は喋ったこともなかったのに、何故か存在だけは知っていた人。
もっと早くから「知人」とよべる存在だったら良かったのに、
と思いつつ、その知人に最初に連れて行ってもらったのがココ
 

とても珍しい神仏合体の本堂を見た時から、気になる存在なのです。
山門を入って振り返った景色が一番初めの写真。
広く開けた世界が広がる、あの風景が好き。

初めて伺ってから「展望台」が出来たという記事を読んで行き、
詳しいことを勉強して、
はて、何度目の訪問だろう??

  


この角度から拝ませていただくのがいい感じなんですよ…
左奥の方、ここにも「百日紅」ありましたね。

伊賀地方を代表する寺院の集大成である「伊賀百寺」(郷土出版社)という定本から
「極楽寺の山門」が朱塗りだった頃の写真を見つけました。
2020年もまだ辛うじて朱塗りとわかりますが、
遥かに「朱を主張」してる山門がコチラ…

新しくなった山門も素敵なんですよ、もちろん。


※伊賀市の文化財より

本堂におられる秘仏「木造大日如来坐像(胎蔵界)」と「同じく(金剛界)」
どちらも室町時代作。

※街道いまむかし(読売新聞社版:平成元年~2年取材)より「極楽寺」


「展望台」も久々に上りたいなぁと思いつつ、これは秋冬の宿題といたします。
駐車場で赤い槿(ムクゲ)を見つけ、一日気分よろしく過ごせそうです。

〆にお花はいいですね(笑)。

ではまた
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