昔、長田から淀川まで「木津川の水運」 あった?

2020-08-07 22:55:12 | つれづれ思うまま
ちょっと前の話、、、
芭蕉の森からの帰り道、まだ雨は降ってこないようだったので寄り道しました、、、

【淀川遡航終点の地】
≪上野城から大和街道を約1キロほど西に進むと木津川にさしかかります(小田・長田地区)。
俳聖松尾芭蕉が活躍した17世紀後半は、旅人は長田橋で渡河して大坂や京都・奈良に赴いていたと思われます。
時代が下って人や物の流れが増えてくると、木津川を用いた水運が望まれるようになってきました。
一方、木津川の水運は、伊賀の西側(京都府笠置町)までは古くから整備されていました。
しかし笠置から、さらに約20kmも上流にある伊賀上野までの水運の遡航は、岩倉峡などの地理的難所※があって、
実現が大変に難しかったようです。
19世紀(1815年)になって、ようやく笠置と長田を結ぶ水運が開通しました。
岩倉峡を拡幅したり掘り下げるなどの難工事を実施して、高瀬舟が通れるようにしたのです。
淀川から、こうした山間部にまで、水運が通じたというのは画期的だったでしょうね。
しかし自然の力には勝てず、安政の大地震(1854)でせっかく広げた岩倉峡が崩壊し、
長田まで船が遡航できなくなりました。さらには1870年の洪水によって、水運そのものが中止となり、
以後復活することはなかったそうです。わずか40年ほどしか機能しなかった遡航ルートでしたが、
現在は小田にある「淀川遡航終点」の石碑によってのみ当時の様子をうかがえるだけです。≫
(じゃらん木津川上流の口コミ投稿より
芭蕉が歩いた伊賀の街道より)

10年ほど前か、「伊賀の売り込み(=PRともいう)」のための出張イベントにあちこち行っていた時期があります。
(とくに関西方面が多かったのですが…)
その折、よく淀川と木津川のお話をしていたことを思い出しました、
伊賀の水は大阪に流れてる、青山から向こうの水は伊勢湾へ流れててね、、、
だから伊賀の人は「伊賀は関西やと思ってます、水の流れがそうなってるんです」とか
「伊賀は関西の入り口なので、意外(伊賀い)と近いんですよ」とかね、
だから三重県人とは思っていない、伊賀人なんです(笑)と。(ワタシだけかな、こんなこと思ってるの?)

その歴史的遺産としてこんなんがあるんですよね
  「淀川遡航終点の地」石碑

 
ここらが船着き場だったのか、定かではありませんが安政地震とその後の大洪水さえなければ、、、

観光的に「高瀬舟にお客様を乗せて~~」、伊賀と笠置間くらいは往復できたかもしれませんねぇ、
なんて冗談ですけど ちょっと「夢」を見てしまったワタシ(笑)。

参考《「三重県伊賀地域の情景」さんブログ》(追加:2020/9/2)

さて次に、
【木津川上流の様子をご紹介】
≪木津川は、鈴鹿山脈や布引山地・青山高原などの渓流を源流としますが、伊賀盆地(平地)にさしかかると
中流域のような表情になります。文字通り「盆」のようなので、源流から流入する水や盆地に降り注ぐ雨は、
多くは外に流れ出せません。唯一、※岩倉峡という狭窄部が盆地の西部にあり、
ここから南山城地域に向けて流出されます。お盆の縁に小さな切れ目があるような感じです。
盆地で川幅が広がり、ゆるやかになった流れは、岩倉峡にさしかかると狭くて急峻な姿に変貌します。
このままでは盆地と南山城方面ともに大雨の時に水害・土砂災害が起きやすいので、
岩倉峡の手前(伊賀市)に大きな遊水地※や堰が作られ、木津川の流量を調整しやすくする治水対策がなされています。
いざという時は、広い遊水池に莫大な量の水をプールして、南山城方面に一挙に流れ出さないようにしてあります。
岩倉峡はいかにも上流域の渓流という印象を受けますが、
さらにその上流はゆったりとした流れ(普段は)である事が興味深いですね。≫(同上:じゃらん口コミ投稿より)

みなさま、うまく表現されますねぇ、
伊賀に住む者として、この地の説明をしたくてもなかなかうまくできないのですが
外から「伊賀盆地」の川の流れを見た方は、簡潔な説明をされてます、恐れ入りました!

上野遊水池について(国交省木津川上流河川事務所より)
遊水池などいらない、川上ダムもいらない、オオサンショウウオの保護が大事だとおっしゃる団体もおられます。
でも、いろんな地理的条件を見てみたら、一概にあれもいらない、これもいらないとは言えなくて、
今住んでいる地域を守りつつ、下流域の人たちの生活もあるわけで…
そこはなんとか折り合いをつけましょうよ

 淀川流域図

 上野遊水池図

 その凡例

 岩倉峡狭窄部
以上、上流事務所HPより

  新居遊水池、只今稲がすくすく成長中!

  服部川上流から下流そして岩倉峡へ
(7/11・撮影)

大洪水になったら冠水してしまう農業地帯もあるわけで、その犠牲のもとに人間の生活が守られているということです。
人間と自然 共存共栄できるよう、いがみ合わないよう、水と緑と人とが仲良くできますように~~



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2 コメント

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私も終点碑のところへ行ってみました (dawn)
2020-08-12 18:02:16
hana@kuroさんの記事を拝見して、ここを訪れてみると、よくここまで下流から舟で遡ってこれたなという感じでした。

伊賀には水に関わる観光資源が少ないので、ご提案のように高瀬舟を復活して観光利用できるといいですね。
返信する
夢はゆめとして… (hana@kuro)
2020-08-12 23:47:13
認めていただけたこと、素直に嬉しいです。
大概は、何をアホなこと言うてんねん!と一蹴されることですから(笑)。
例えば、タイムトンネルとかバックトゥザフューチャーのように(今風の)バーチャルでもいいんで、あのゴツゴツの岩の合間をぬって流されてみたいなと…
カヌーじゃなくて「高瀬舟」なんです、
「夢」ですから。
実現できたらぜひご一緒に~~
返信する

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