元々「大邊神社」は、ここにあった(のかもしれない)伝承地散策。(後編)

2022-06-07 23:31:21 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
「菅原大邊神社」から一路、大野木の田園地帯に向かいます。
 

大昔と違って、すっきりと整備されている田園地帯を行きます、
その一角に、小さな「杜」らしき…中には「石碑」が、
北の山並みとマッチング!
  


裏に回ると「昭和4年…清水氏子」と彫られています、
これはシミズではなく「ショウズ」と読みます。

 
南方面から見ると右に「国道25号線=波多野街道」、


この先に見えるのは「中世城館」が残る景色、その先の西方面の山裾に「菅原大邊神社」。

「菅原大邊神社」の境内社のご祭神の一柱に『山内首藤 経俊(ヤマノウチスドウ ツネトシ)』がおられます。
 ≪平家滅亡以後、元久の頃(1204~1206)、須藤刑部丞經俊(1137-1225)=山内首藤 経俊、
 (⇒2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第10回で源頼朝に乳母兄弟であるとして命乞い、助かる。
  以後頼朝の家臣となる。
  その後『伊勢、伊賀の守護』となり鎌倉より来て、
  『清水の郷に館を建てて居住す』≫との言い伝えあり。

その山内氏の「館」がここにあったのではないかという「証」の石碑かもしれない。

歴史と現世の狭間を垣間見た次第。
ではまた
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