「余野公園」と「モッコ山」とその伝説。

2022-04-27 18:12:53 | 花や風景など
 
知っているようで何も知らずに、
「ツツジが綺麗に咲き出したらしい」とか、
 
ここには「デゴイチ(D51)があるから子どもたちは喜ぶだろうなぁ」とか、
 
何度も来ている、又は通っている伊賀と滋賀の県境の地。
草津線より北東方面や土山方面へ行くときによく通ります。
 余野公園案内図(パンフレットより)

余野公園(余野公園パンフレットより)
昭和43年(1968) 鈴鹿国定公園特別地域指定。
この公園は明治30年ごろから漸次整えられ、約8ha の面積がある。
園内には根元から多幹状に伸びるアカマツの大木や、
ヤマツツジ・モチツツジ・ミヤコツツジなどに代表される約1万5千本のツツジが
自生または植栽されており関西随一のツツジの名勝地。
 
また園内には前モッコ山・後モッコ山があり山を覆うように咲くツツジは見事です。
また桜をはじめ多数の花や樹木など四季折々が楽しめる自然公園である。
古代から余野公園は周辺の人々にとって「歌垣」の場所だったと云われてきた。
 空は広く、飛行機雲通る

余野公園のある場所は、
100万年前に隆起してできた「油日岳」(アブラヒダケ)を南端とした鈴鹿山脈
その三重県側の麓に位置しています。
 (再掲)
この余野公園から東へ林道を進むと奥余野公園へ。
林道途中には「壬申の乱古戦場跡」があり、
奥余野公園駐車場から鈴鹿山脈最南端の山々への登山ルートがあります。
「ゾロゾロ峠」を通るルートは「源義経木曽義仲追討の道」と言われています。

余野公園」の「巨人伝説/二つの『もっこ山』(余野公園パンフレットより)
(「風土記」 (8世紀) に書かれ、 他の地域にも各種伝説が残っているようです)
余野公園内にはほとんど似た形をした小山が50メートル程隔てて二つ並んでいる。
これが 「巨人伝説」 が伝わる「もっこ山」である。
昔、ダダボーシと呼ばれる無双の巨人がいて、毎日近江の地を掘って「もっこ」 に担い
駿河の地まで運んだが(これが琵琶湖と富士山の由来と云われる)、
最後の日あまり欲張って担ったため途中で休み 「もっこ」の網の目からこぼれたのが
この二つの小山だと云われている。
「もっこ山」の土質は周囲の黒土と異なり、
いかにも他所から運ばれたようであるのが不思議である。

  
写真は、上り道・頂上・下り道の順です…
前モッコ山へのツツジ道、頂上には「碑」が建立されています。
山全体ツツジ一色です。
※伝説とは別に、100万年前に噴火した溶岩や岩石が
 この「モッコ山」だったと思われ、一面に火山性軽石層が出来たのでは…と。
 ツツジ科は酸性の土を好むらしいので、この山の土壌と相性が良かった、とも言われています。

余野公園と松(余野公園パンフレットより)
余野公園の松は、 直幹性多行松で笠松状の樹冠など見事な様相は
近在になく、平成7年3月20日、 市指定天然記念物 (旧伊賀町) に指定。
また「みえの樹木100選『余野公園のアカマツ』」 (平成10年3月、 県農林水産部) にも選定 された。
しかし、当初は50本ほどの大木があったが年々減少。
公園 内では「後もっこ山」にあった松の根っ子を掘り出し、 保存している。
  
3本の松の根っこが絡み合って1本に見える

「モッコ山」、壮大な伝説なので読んでいて楽しいです、夢があります、
原文のまま掲載させていただきます~~
   **********
【モッコ山】のおはなし
むかしむかし、ずーっとむかしのことでした。 まだまだ
日本の国が生まれるか、生まれないかというせとぎわのときでした。
なんでもこのころは 、晴れた日が少なく、雨の日ばかりがつづいていました。
ある日のこと、日本の中ほどに大きな穴をほって、雨の水をためて、
大きな畑を作ってやろうという大男があらわれました。
伊賀の国をひとまたぎするほどの大男で、たいへん力持ちでした。
名をダダポーシといいました。
「ひとつ、日本のまん中に大きな湖をほって、雨の水をたくわえてやるぞ」
といいながらどんどん湖をほりだしました。
みるみるうちに大きな穴があいていきます。
ところがその土をどうしまつするか、はたとやり場にこまってしまいました。
そのとき、駿河の国から、美しいお姫さまがあらわれました。
「ダダボーシさん、ダダボーシさん、いったいこの土をどうしなさるのじゃ」
「うむ、土のやり場にこまっているのじゃ」
「それならば、わたしの国に小さい湖がたくさんあるので、
ひとつうめてくれませんか」
「ようし、 ようし」
とダダボーシは、大きなモッコ (土をいれて運ぶあみ)に土を入れ、
天びんぼうでかついで駿河の国へ運んでいきました。
毎日毎日、モッコで土を運んで行ったので、
駿河の国には大きな山ができあがりました。
駿河の国にできた山が富士の山で、富士山へ土を運ぶ途中、
モッコのあみの目からこぼれ落ちた土のかたまりが、
大きなモッコ山となりました。
また、ほったあなは琵琶湖になりました。

余野公園のモッコ山についての伝説です。とにかくモッコのあみの目からこぼれ落ちた土のかたまりが、あんなに大きな山を作ったのですから、ダダボーシはさぞ大きな男だった のでしょう。
   **********


最後にこの巨樹も「余野公園の歴史」を見守ってきたと思います。
エノキとツツジ。
 

2022/4/26現在、まだまだ蕾は多いです、
これからどんどん咲いてくると思います、是非どうぞ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする