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悦山人の“モノ”がたり

人間として生まれてきた限りにおいて、その目的、意味、価値、そして生死去来、これらと向かい合う悦山人の小説を紹介します

純粋ガラクタ批判-f

2024-12-30 | 日記

 

 

純粋ガラクタ批判-f

 

 

「子守歌」

赤ちゃんのころの子守歌の記憶はないけれどもこれぞ母性本能の表白そのものであり男の出る幕など初めからなかった。何故ならば母親の子守歌の周波数はすでに胎児のころから暴露されていて生まれてきた瞬間からも赤ちゃんは同じ周波数に安堵するのだった。あるいはモーツァルト法という音楽療法があってモーツァルトの8000ヘルツ前後のクラシック音楽が胎教に優れている。それに比して日本の<五木の子守唄>や<竹田の子守唄>などはもの悲しい曲想になるもののこの裏には被差別の子守娘の悲哀と心情が隠されていた。

 

「とんとん昔」

この<とんとん>とは遠い遠いとか尊い尊いとかの意味になりつまりはその昔の面白いお話のことを指していた。だから現代のようにテレビや絵本やインターネットがなかった時代は祖父母の昔話・夜話に耳を傾けて眠りに入ったものである。そうすると昨晩の続きが待ち遠しくて祖父母にせがむあたりは生来の集う家族のコミュニケーションでやはり大家族の崩壊とともに消えていくことも仕方なかった。その当時の昔話の多くは民話や逸話などに傾注してその土地柄の風土に根づいたもので口々に伝わる郷土愛に花が咲くのだった。

 

「児童唱歌」

明治期の子どもの教育では大人社会の一方的な強制力が働いて問題視されたことから情操教育の一環として音楽の授業に力を注ぐのだった。音楽教育として押しつけ的なところは残ったもののその後の流れで<童謡>や<わらべ歌>などが人口に膾炙して一大ブームをつくることになる。歌の中に出てくる物事やら情緒やら場面やらがコトバとリズムを通して広がり脳裏に焼きついて大人になっても涙する。因みにあの<鉄道唱歌>は鉄道の駅名と沿線の風物などを七五調で作詞したもので1番~334番まで続くというから凄かった。

 

(フォトイメージ:鉄道唱歌)

 

 


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