tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

岡崎宿から池鯉鮒宿まで・・・

2019-05-18 17:16:36 | 東海道五十三次の旅

5月18日(土)

今日も東海道五十三次の旅の備忘録になります。

二泊三日の東海道歩きも最終日になり、岡崎宿から知立宿に向かって歩き始めました。

昨日のゴール地点である八丁味噌の蔵元までバスで送ってもらってスタートです。

 

秀吉伝説

ここの味噌蔵からすぐのところに、矢作川が流れ、秀吉と蜂須賀小六の出会ったといわれる大きな橋が架かっております。

吉川栄治の太閤記では、この橋の上で二人は出会ったとされ、それが真実のように世の中に浸透しておりましたが、史実では、そのころの矢作川には橋が架かっていなかったということが分かっております。

 

雲龍松

街道沿いにある永安寺にひときわ目立つ松がありました。

上に伸びず、横に広がり東西17名m、南北24mという大きさです。立って歩くと頭がぶつかってしまいそうな高さでした。

江戸時代に、重い助郷役に苦しむ人々のために、その免除を願い出て刑死した柴田助太夫を弔うために建立され寺だそうです。

一見の価値あり・・・

 

東海道

松がところどこにポツンと建っている旧街道です。

家は建て替えおり、木曜日の10時ごろでしたがひっそりとしておりました。

 

根上りの松

広重の浮世絵にも登場している根上りの松です。

土手のようなところに生えていたので長年の雨風で土がなくなり根が幹のようになったそうです。

 

八つ橋伝説の公園

この公園は、業平伝説が生き生きと伝えられているところです。

平安時代末期の編まれた「伊勢物語」で有名な「東下り」の話の中に登場している。

三河の国の「八つ橋」という場所に着き休憩したところ、橋のほとりに美しく咲くカキツバタを見て、カキツバタの五文字を各句の頭において、旅の心を読んだと伝えられている場所です。

「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ」

 

在原業平の大きな墓所

この歌が「古今集」に在原業平の作として載せたところから、東下りの主人公は業平本人だと決めつけておりますが、業平が東下りをした事実もなく、八つ橋の場所すら明確でないという事が分かっております。

しかし、この物語を、多くの人々により語り継がれて来た伝承の場所は、ここ以外に当てはまるところがないという事で今に至っているそうです。

 

在原業平の墓

小高いところには業平の墓があり、地域の人たちの中には伝説の業平が生きているようです。

 

在原寺

在原業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折に、その塚を守るために御堂として建立したそうで、ひっそりとしておりました。

 

八つ橋

茶碗や棗などに描かれている八つ橋の光景です。

丁度「カキツバタ祭り」の最中のこともあり、大勢の観光客でごった返しておりました。

 

カキツバタ

この街道歩きで、カキツバタとアヤメの違いがやっと判りました。

花好きな私ですが、この違いが曖昧でしたが、決定的な違いを見つけましたので、もう間違うことはないと思います。

 

在原業平像

ここカキツバタの名所となっているのは、無量寿寺という妙心寺派の寺院です。

昔は、このあたりは湿地帯で小川が流れ、旅人は難儀をしたそうです。

そんな湿地帯に八つの橋を架けたことから八つ橋という名前がついたといわれております。

この地は、東海道から外れ鎌倉街道と呼ばれているとこです。

私たちは、ここを観光するために、寄り道をいた事になります。

 

来迎寺の一里塚

日本橋より84番目の一里塚で、塚の上には榎が植えられることが多いい中、この一里塚は松が植えられている珍しいところだそうです。

そして、この一里塚は街道の左右一対で現存する数少ない一里塚です。

松の元気がよくなかった・・・

 

池鯉鮒

池鯉鮒は、信長や秀吉が活躍する小説にはよく出てくる地名です。

この字を見たとたん、あのころ読んだ小説が懐かしく浮かんできました。

 

知立松並木

比較的きれいに残っている松並木です。

初和34年の伊勢湾台風で大半が倒れてしまいましたが、そのままにはしないで150本ほど補植したそうです。

こうしたところに着くと、誰もが一斉に元気が出ます。

カメラを取り出して、あっちこっち飛び回っておりますが、ナビゲーターは歩く速度を緩めてはくれませんので、シャッータを押しては、駆け足で追いかけて合流・・・こんなことをしながら歩いております。

この並木は、両側に側道があるのが特徴で、側道では馬市が開かれ、たくさんの馬が繋がれていたそうです。

この光景は、広重の浮世絵にも描かれております。

 

池鯉鮒宿

松並木が終わるころ、こんな碑が建っておりました。

 

マンホール

カキツバタのマンホールです。

 

マンホール

業平の和歌がデザインされておりました。

 

日本橋から

日本橋から国道一号線です。

旧東海道は、国道に合流したり離れたりしながら歩いておりますから、もっとキロ数は歩いていると思います。

今回は、この先の広場でゴールとなりました。

待っていたバスに乗って帰路につきました。

歩いた距離50.7キロ

歩いた歩数75.508歩でした。

 

 

 

 

 

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2 コメント

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八つ橋の由来 (越後美人)
2019-05-19 11:25:20
ここでようやく八つ橋の名の由来が分かりました♪
今回の旅は大きな収穫がありましたね。
私もお陰さまで良い勉強をさせて頂きました。
行って、見て、感じる、これが大事なんですね。

7万5千歩もよく歩かれましたね。
楽しみながら歩いて、勉強になって有意義な旅でしたね。
足は大丈夫でしたか?
私なら痛くなって、今日あたりは動けなくなっていそうです。
行って、見て、感じる。 (tyako)
2019-05-19 18:16:16
越後美人さま
こんばんは。
業平の東下りは、いつの日か道具を組んでお茶会でやってみたいと思っておりましたので、今回の散歩は、良い勉強になりました。
やはり、現地を見ることの大切さを痛感いたしました。

そう言えば、以前「紅葉狩り」をテーマにしたときは、信州へ行ってきたの思い出しました。

東下りでは、八つ橋の茶碗、烏帽子の香合、茶杓は昔語り・・・そんなことを考えていると楽しくなります。

7万歩といっても三日間ですから、そして、あちこちの観光している時もカウントされております。
数字を聞くと皆さん驚きますが、案外皆さん平気な顔して歩いております。
まだまだ先がありますので、頑張って歩こうと思います。

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