Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

☆お盆の第三日曜日の会☆ 実践を考える!

今日はお盆最終日。色々あって、お盆って感じじゃなかったな。

で、今日は第三日曜日の会。お盆にするか?!みたいな感じですが…(汗) でも、第三日曜日にやれるだけやる! それがこの会。

今日は参加者五人、で、二つの実践を検討した。

一つは発達支援センターの、ある自閉症の疑いのある三歳児の男の子の話。『怒り』をいたるところで表出する男の子に戸惑うIさん。なぜ怒りをこんなにも表出するのか? 怒らないでその場を乗り越えることはできないのか? そんな些細なことで腹を立てていいのか?そうIさんは問うた。

そんな話から、発達支援とはいったい何をしようとすることなのか?という本質論に展開した。怒りをコントロールすることを教えることが発達支援なのか?(=セルフコントロール) 子どもの怒りを押さえ込むことも、ただ出させることも発達支援ではない。怒りの出し方や表現を教えることが発達支援の中身なのだろう。ただ、それは実際にはとても難しい。他者の気持ちを配慮するという前提があって、怒りの出し方が問題となる。その前提がなければ…

二つ目は、離婚家庭の母子と保育士の素朴な会話のレポと考察。仕事に追われる母親と愛情不足に悩む子ども。子どもが母に聞く。「僕はどうやって生まれたの?」。母は、「あんたは玉子から生まれたのよ」と茶化す。子どもはそれを聞いて涙を流し、「イヤだ!」と叫ぶ。

「玉子から生まれた僕」って… あまりにも切なすぎる(涙)…

親の何気ない言葉に傷つくのが、子どもだ。問題なのは、何気ない言葉で我が子を傷つけている、ということに気づいていない母親のあり方だ。

でも、それを指摘して反省するような親でもない。

こういう親に育てられた子どもはどんな大人になるのだろう。愛情に飢えた大人になるのだろうか? 大人を嫌悪する大人になるのだろうか?

子は親を選べない。愛情深い親に育てられた子どもと、愛情を受けないで育った子どもとの間には大きな隔たりがあるのでは? この隔たりは、誰かの力で埋まるようなものなのか? 不幸の星の下で生まれた子どもは、そこから抜け出すないのか?


今日は、お盆ということもあって、何ともディープな話し合いになった。

僕的にはかなり満足の濃密なテーマだったかな、と。うん、面白い。頭使った!

コメント一覧

haru
私の旦那さん、結婚してからわかったことですが、愛情不足ですね。

大事なことは子供たちみんな親に言っていません。
だからなんか一緒に居てもバラバラ。

私が喧嘩を吹っ掛けさせました。
しかし、自覚がないのでそれで終わり。

難しいですね。。。

割り切るしかないというか。
旦那さんは平気みたいですが私が心が痛い。
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