Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

■教育/福祉/哲学/恋愛 千葉のラーメン×世界のラーメン VISUAL系×ロック ドイツ/オーストリア/スイス+日記■

カントの音楽論

2007-09-22 13:26:35 | 哲学と思想と人間学

カント 【音楽について】(翻訳)

もし心の刺激と運動について問われるならば、『詩の芸術(Dichtkunst)』の次に私は、話し手にさしあたって心の刺激や運動を引き起こし、自然にそれと一体となっている芸術、すなわち『音楽芸術(Tonkunst)』を挙げるだろう。

音楽というのは、諸概念なしに(ohne Begriffe)、音の知覚によって語るものではあるが、詩とは反対に、熟考するためのものを何も残さない。それなのに、音楽は心を多種多様に揺り動かしてくれる。また、音楽は単に一過性のものではあるが、より緊密に感じられる。周知のように音楽は、文化(Kulur)というよりも、楽しいものである(なお音楽によって引き起こされる思考遊戯はいわば機械的な連想の作用であるにすぎない)。

また、理性によって評価されるならば、音楽は他のあらゆるすばらしい諸芸術ほどの価値(Wert)を有していない。それゆえ、あらゆる楽しみと同様に、音楽も頻繁に交換する必要がある。飽き飽きすることなく、同じ音楽を何度も繰り返し聴くことに耐えられる人はいないのだ。

このように、一般的に伝達することのできる音楽の刺激は、次のことを前提としているように思われる。

①「あらゆる言語の表現には、それとの関連において、その意味にふさわしい音がある」、ということ、
②「音は、多かれ少なかれ奏でる者の興奮を示しており、また同時に聴く者にも興奮を引き起こすものだが、後者の聴く者においては逆に、そうした音と共に、言語で表現される理念Idee)をも引き起こしている」、ということ。
③「転調(Modulation)はいわばすべての人間に了解可能な一般的な知覚の言語であるが、音楽芸術においても、その全体的な力点をおいては、興奮(Affekt)の言語として、「転調」という言語が用いられている。そして、連想の法則にしたがって、当然ながらその知覚言語に結びつく美学的な諸理念(Ideen)が一般に伝達される。
しかし、その美学的な諸理念は概念でもなく、明確な思考でもないので、言語の形式の代わりとして、(ハーモニーとメロディーという)音の知覚の構成(Zusammensetzung)の形式は、以下のことに役立っている。すなわち、均整のとれた音の調律(チューニング;Stimmung)を用いて(調律は、音が響くのと同じ時に、複数の音が同時に又互いに結びつけられ合っている限り、空気振動の数値の比率に基づいているので、数学的にも明確な規則を作ることができる)、作品を支配する興奮を引き起こす明確なテーマに応じて、言葉では言い表せない<思考の充実>のまとまった全体の美学的な理念を表現するのに役立っているのである。

満足(Wohlgefallen)はそれ自体、特定の概念によって表象されないものの、こうした数学的形式に依拠している。この満足は、互いに同伴し合い互いに後続し合う大量の知覚についての単なる反省を、「形式の遊戯(Spiele)」に結びつける。この遊戯こそ、すべての人に通用するその美の条件なのである。趣味(Geschmack)は、まずもって、この形式の遊戯(美の条件)に基づいて、あらゆる人の判断の正当性を訴えようとするのである。

ちょっとやっぱり難しい文章になってしまった(汗)。ただ、この文章は『判断力批判』という有名な本の一節で、相当量の知的なバックグランドがないと理解することが困難なところでもある。「満足」、「趣味」、「形式」、「理念」といった言葉はカントの必殺用語というか、「決め技」に近い言葉なので、われわれが用いている語感とは若干違うニュアンスを持っている。

でも、音楽の魅力については、これ以上の文章はないくらいによく書かれていると思う。音楽って、形がなくて、固定されていなくて、なんだかよくわからないけれど、人の心を激しく揺さぶる。音楽フリークでもある僕にとっては音楽は命の一部になっている。また、若い青年たちも、音楽を支えにして、音楽で何かを考え、音楽で何かを叫び、音楽で何かを伝えようとしている。音楽には、他の芸術にはない何かが潜んでいるように思うのだ。カントもまさに、概念にできず、思考することもできない一般的な理念があると言っている。音楽を通じて、僕らは、個々の快だけを得ているのではない。もっと普遍的で一般的なものを獲得しているのである。

Comments (4)   この記事についてブログを書く
« ラーメン天一@姉ヶ崎 質のよ... | TOP | 一蘭@渋谷 不思議…なぜ?? »

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
難しいです! (オジチャン)
2007-09-22 21:51:32
読ませてもらいましたが、難しいですね。心の感じる内容を言葉にしようとしているのは感じますが、なんとも言葉の扱いが複雑で分かりにくいと感じます。行為言う文章を残すのが「哲学」ではないと感じますね。もっと子どもが読んでも、心の中に映像が浮かぶように綴っていかないと、人に伝わる文章にはならないのではないでしょうか。つまり、自分で理解していないことを、一生懸命綴っているという感じが否めない感じです。本当に理解していることは、安易な・平易な言葉で綴れる物なのではないかと私は考えています。感想のみですが!
Unknown (kei)
2007-09-23 13:57:04
オジチャンさん

こんにちわ。コメントありがとうございます!!

たしかに難しいんです。訳も悪いと思うのですが・・・(ただ訳本はもっと難解なんですよね・・日本語なのに・・・)

ただ、僕個人的には、簡単な文章や分かりやすい文章には不信感が強いので、こういう難解な文章の方が好きなんですよね。よく「子どもに分かる哲学」みたいな本も出ていますが、すべて疑わしいです。

「子どもに分かる文章」っていうのは、それはそれで一ジャンルとしてはいいんですけど、大人が己をかけて読む本ではないですよね。(うちの学生でも、絵本しか読まない人はとても多い。絵本も大切だけど、大学生にふさわしい本も読むべきでは?!と思ってしまいます)

ただ、もっと平易で分かりやすい文章にしてみたいと思います。(すでに若干変えましたが・・・) ただ翻訳するだけじゃダメですからね。。ご指摘、ありがとうございます!(こんな記事にコメントをくださるのはオジチャンさんくらいです。感謝です)
訳本だったのですか。 (オジチャン)
2007-09-23 18:09:31
それなら文章の難解な展開は仕方ないところですね。ただ「子どもにも分かる」というのは低俗ということではないですよ。平易な文章でいながら、奥行きのある深さを持ち、読むたびに心を刺激してくれるような文章です。難しいことを優しく話せるのが、真に理解するということだと感じています。
Unknown (kei)
2007-09-25 02:45:04
オジチャンさん

カントはやっぱり翻訳するのがすごい難しいんですよね。。。でも、オジチャンさんのおっしゃるとおり、本当に分かっていれば分かりやすくできるんだと思います。。。ただ、現在のところ、それほど分かりやすい翻訳が出ていないところを見ると、やっぱりよっぽどカントは難しいんだと思います。

子どもに分かる=低俗だとは僕も思っていません。でも、すべてが子どもに分かる、というのは不可能だと思います。子どもには子どもの、大人には大人の思考パターンがあると思います。

教師の場合、特に「子どもの視点」を大切にしつつも、「大人の視点」、あるいは「超越者の視点」は常に持っておきたいところです。。。

post a comment

Recent Entries | 哲学と思想と人間学

Similar Entries