Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

Crecent Moon-教育を受ける側の変化:「テレビ世代」から「ネット世代」へ

我が教師人生も、いよいよ18年目に入りました…。

2004年4月に「専任講師」になって、この17年間、ホントに突っ走ってきました。

思えば「あっという間」、でも、長い長い17年間でもありました。

20代の後半で「先生」と呼ばれるようになって、紆余曲折がいっぱいあって、数えきれないほどの失敗を重ね、たくさんの学生たちと喧嘩したり、バトルしたり、ののしられたり、嫌われたり(恐怖の手紙をもらったり)を幾度も繰り返して、なんとかかんとか17年間、やって来ました。

何年やっても、あまりうまくいくことはなくて、成果らしい成果も感じることはなくて、むしろ「ダメな結果」ばかりが目に見える感じで、歩んできたと思います。

でも、面白いもので、何年やっても、「よし、今年こそは頑張ろう!」って思っちゃうんですよね。「今度こそは、少しはまともな教育をしよう」って…。根からの「教育バカ」とは、このことなのでしょう。けれど、年々、そんな意欲も薄れてきているのもまた事実だったりします。

今の世の中、「教育」は、できるだけしない方がいい、という空気になっています。少しでも熱い教育をしようものなら、どこからから「パワハラだ!」「モラハラだ!」という叫び声が聞こえてきます。よく言えば「消極教育」が根づいたと言えるのかもしれませんが、けれど、世の中はそんなには甘くはなっていません。斜陽の日本では、「いい企業に入ること」も、「安定した公務員」になることも、身分や収入の保障にはならなくなってきています。世の中的には、ますます「学び続けること」が大事になってきます。

この10年くらいで、「教育を受ける側」の意識や態度ががらりと変わったと思います。それは、「テレビ世代」から「ネット世代」へ、という「受け手」の変化だろうと思います。

テレビ世代は、こっちから番組にあれこれいうことができません。流される番組を見ることしかできませんでした。その番組の評価をすることもできないし、その評価を公共の場で発信することもできませんでした。クレームをつけるなら、直接テレビ局に抗議の電話を入れるしかないし、その抗議の声が上がっていることが公になることもほぼありませんでした。いろいろ文句があっても、とりあえず最後まで(我慢して)見て、もやもやしたままテレビのスイッチを押す、なんてこともしばしばありました。

他方、ネット世代の人たち(特にYouTube世代)は、違います。常に「評価」するんです。気に入れば「高く評価」、気に入らなければ「低く評価」のボタンを押す習慣ができています。当然、気に入らなければ、「次の動画」に移るだけです。常に、決定者は「自分」であり、面白くなければ「はい、おしまい」とできるわけです。話が長ければ、「再生速度」を上げれば、すぐに全部を(とりあえず)聴けます。文句があれば、その場で(何も考えずに)クレームでも悪口でもなんでも書くことができます。「考えること」も「もんもんとすること」もないまま、好きなように書けるんです。

この「テレビ世代」から「ネット世代」へという転換は、教育を受ける側にも大きな影響を与えたように思います。

まずは、①「評価する」というのが、ネット世代のベースにあります。「いいか悪いか」「好きか嫌いか」「気に入ったか気に入らなかったか」という評価を常にしているのです。

そんな状況に合致したのが、「授業評価アンケート」。今の学生たちは、この授業評価が(無意識的に)スタンダードになっています。かつて「評価される側」だった学生たちは、今や「評価する側」に立っているのです。当然、「教育する側」もそれを意識せずにはいられません。

それから、②「気に入らなければ(面白くなければ)、自由に終了する」というのも、ネット世代の特徴だと思います。YouTube動画は基本的に10分~30分くらいがメインで、「10分くらいが望ましい」という意見も多数あります。もちろん90分(講義時間)の動画でも、再生回数が多いものもありますが、だいたいは10分~30分程度でしょう。

だから、この10年で、90分の講義が本当に難しくなりました。どんなに真面目に聞いている学生でも、30分を過ぎた頃から集中力が落ちていることが、外から見てはっきりと分かるんです。90分の講義をじっと集中して聴く、というのはたしかに難しいこと。でも、それでも、勤勉な学生ならかつては耐えられました。が、今は、全体的に30分以上の集中力が続かないんです。それは、学生たちがどうこうという話というよりは、環境の変化による「退化」のような気がしています。

そして、③「すぐにクレームを入れる(黙っていられない)」というのも、この10年で加速したように思います。2007年頃から「ニコニコ動画」(ドワンゴ)が広まって、「動画を見ながら好き勝手に書く」というカルチャーが出てきました。「黙って聞く」のではなく、「聞きながら意見する」というのが、基本姿勢になっていきます。でも、それは、授業中に激しいディスカッションをする、という方向には向かわず、その外部で「クレームを入れる」という方向に進んでいきました。

それに呼応するかのように、この10年で「ハラスメント対応」が広がっていきました。2020年6月には、「改正労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)」により、その防止対策が義務化されました。「クレームを入れるネット世代カルチャー」と「ハラスメント防止対策の義務化」は、相性がとてもよいもので、「気に入らなければすぐにハラスメントだ」という発想と、「ハラスメントと訴えられたらすぐに対応」という発想が重なり合うことで、①と②に加えて、更に「教育を受ける側」の声が強くなりました。(ハラスメント自体は撲滅すべきものだと思いますが、その定義があまりにもあいまいで、「クレーム」との線引きが難しい、という問題があるように思います)

同時に、PC(Political correctness=ポリティカル・コレクトネス=ポリコレ)の考え方も一気に広まった感があります。これは、無意識的な差別的発言や偏見的発言を封じ、社会的に公平・公正・中立的な発言を求める思想です。この思想も③の動きと連動してこの10年くらいで広まったように思われます(もう少し前からかな)。(森さんの発言もこのPCに触れたんですよね…)

そんな社会の変化に、果たして自分がついていけるのかどうか(ついていっているのかどうか)、不安になります。また、その変化に応じる理由や意味は本当にあるのかどうかも、疑問です。

でも、この世の中がそうなっている以上、それを踏まえて「教育」を考えなければ、何も先には進みません。

教員人生18年目の今も、「教育って難しいなぁ」ってしみじみ思います。(特に90分の講義を、全員の学生にしっかりと聞いてもらいつつ、あまり堅い話にしないように(分かりやすく…)と考えると、とんでもなくハードルが高い気しかしません…)

でも、もう18年目は始まっているわけで、色々と試行錯誤しながら、rolling stoneとして、転がっていくしかありません。「こんな時代だから…」と割り切って教師を続けるのではなく、「なにくそ!」と思いながら、やるしかないな、と。

波に揉まれてなお沈まず

25年以上前に某先生から教えてもらったこの言葉を胸に、頑張るっちゃ!

Go Samurai!

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