Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

What is HEART BREAK?!-失恋の人間学的意味について

失恋。

LOST LOVE。

HEART BREAK。

失恋の人間的意味について真面目に語った本ってあるのだろうか。

恋愛については、人は多くを語るけれど、失恋の意味について論究する文献って、あまり思い浮かばない。


人は、失恋をする。

失恋には、基本的に二つのかたちがある。

①片思いのまま、告白して、失恋する。

②恋愛関係にはなったが、相手から別れを告げられる。

どちらも、当の本人にとってはとても辛いことだが、②の方が、いろいろとやっかいな問題を引き起こすように思われる。その代表例が、「ストーキング」だろう。男女を問わず、失恋というのは、人を時に狂わせる。

ただ、どちらにしても、失恋は、当の本人にとっては、耐えがたい苦痛となる。

「なんでだよ・・・」
「どうしてだよ?…」
「どうして、去ろうとするんだよ?」
「その理由は?」

どんな説明も空虚になるほど、その人はおかしくなる。納得なんてできやしない。

相手との距離が近ければ近いほど、そのダメージも大きい。

また、相手がイケメンだったり、美人さんだったりすると、その苦痛は半端のないものになる。そして、誰かに取られることを、極度に恐れるようになる。 「所有していたもの」が誰かに取られることは、どうしても許せない。

そういう中で、男女のいざこざが勃発する。

失恋する側は、気が気ではない。半ば、パニック状態である。抑うつ的な人は、攻撃的にはならないかもしれないが、世界が明日終わってしまうかのような絶望感に包まれる。逆に、攻撃的な人は、どこかでケンカしたり、暴れたりするだろう。健全な攻撃的な人であれば、カラオケで大声で失恋ソングを歌って、自らを慰めたり、友達とバカ騒ぎして、一時的な慰めを求めるだろう。


と書くと、失恋はネガティブなもの、となってしまう。

一般論としては、失恋はネガティブな経験であり、回避したい経験である。

けれど、見方を変えれば、失恋は、甘く切ない素敵な経験とも言えるのではないだろうか。

考えてみよう。

失恋した時のあの陶酔感は、たまらなく媚薬的なものだ。世界の中で、自分一人が残されたかのような孤独感は、なかなか味わえるものではない。音楽や小説や同性の仲間たちの大切さを再認させられる。

僕もかつて失恋した時、音楽に慰められ、小説に鼓舞され、そして、仲間に励まされて、「人っていいなぁ」って思わされた。「大好きな恋人を失っても、すべてを失うわけじゃないんだ」って思った。

10代の終わり頃に、2年くらい付き合っていた彼女にふられた時、友達と深夜バスに乗って、旅行にでかけた。彼女にふられて寂しかったけど、その寂しさというスパイスゆえに、すごい楽しい旅行になった。今でもはっきりと思いだせる。

それに、ふられると、その悔しさをバネに、成長することができる。

21歳くらいの時に、これまた後輩の彼女にふられた時、一言言われたことを覚えている。「先輩、今度付き合う人には、もっとかまってあげた方がいいですよ。寂しい思いをさせちゃダメです」、と。

その時に、はっと気づかされた。当時の僕は、「夢」ばかり追いかけていて、彼女に目を向ける余裕が全然なかった。デートらしいデートもあまりしていなかった。「夢を追いかける男」がカッコいいと思っていた。

けれど、その彼女に、指摘されたことで、自分の恋愛の仕方が変わった(と思う)。根本的には、自分に夢中な人間なので、相手がどうとかって興味ないんだけど、それ以後、ちゃんと付き合う人を見よう、気にかけようと配慮するようになった。

失恋を通して、人は成長するんだ、と学んだ。

失恋は、辛く苦しいんだけど、同時に、色々なことを気づかせてくれる。教えてくれる。


このところ、ストーカー問題がずっと取り沙汰されているけれど、その背景に、「失恋の素晴らしさ」についての想像力の欠如があるのではないか、とふと思った。

恵まれた近代国家日本の中にいると、「恋愛」にぼけーっとかまけていられる。恋愛だけに没頭する余剰がある。HIDE的にいえば、「宇宙の暇人」なんだ。昔の人はもっと生きることに必死だったし、そこまで恋愛に縛られてもいなかった(もっといいかげんなものであり、また肉欲的なものだった)。

失恋に苦しめること自体、幸せなことなんだ、ともっと主張してもいいのではないか。

失恋時における、あの胸の張り裂けそうな想い、というのは、それ自体、とてもすごい経験になる。あとから思いだした時に、「あー、あんなこともあったなぁ」と、しみじみと語れるようになる。

第一、失恋したことのない人がいたら、その人の方がかわいそう。あの、甘くて切ない感情をもったことがないのだから。

それに、失恋した時に耳にした音楽や文学は、一生の宝になる。そういう文化との出会いも、失恋経験のない人はないのだから、「経験の貧困」と言ってもいい。

真面目に言えば、失恋経験は、「自力の限界」を知る経験である。己の無力さを知る=無知を知る経験になる。ゆえに、失恋経験を乗り越えた人は、忍耐強くなり、己の欲望をコントロールすることができるようになる。自分の力ではどうすることもできない、ということを学ぶ。ゆえに、失恋者は謙虚になる。

人は、究極的には、恋愛から学ぶことはない。恋愛は、欲望の充足であり、快楽の充足であり、消費活動であり、時間の浪費である(言いすぎ?!)。

むしろ失恋から多くを学ぶのである。欲望の断絶、快楽の停止、失業的経験、途方もない実存的なゆるやかな時間経験。そういう経験から、人は、人間の生き方を学ぶのである。

だから、失恋者たちは、自分たちの失恋を誇りに思うべきである。

そして、その苦しい思いを、別の仕方で、昇華させてほしいのである。例えば、失恋した悲しみを、勉強にぶつける、とか、資格習得に力を注ぐとか、芸術活動に専念する、とか。

僕は、告白するのが好きな人間だったから、人よりもふられる経験も多かったと思う。

ふられるたびに、僕は、「このふった女どもを絶対に見返してやる。10年後、20年後に、俺自身が幸せになって、そして、悔やませてやる」って、強く思い、自分を高める努力をした。(まー、今となっては、どうでもいいことなんだけど・・・)

相手を恨むのではなく、その相手を見返してやる、そう思うことで、人は成長する。

だから、失恋したら、相手を責めるのではなく、相手がいつか強烈に、自分をふったことを後悔するほどに、自分がよくなる努力をしてほしい。

それが、最大の「復讐」になるのだから(苦笑)。

ふった相手に、是非、「ああ、自分に人を見る目がなかったんだ」、と思わせてやってほしい!!!

 

失恋はやはり素晴らしい経験なのだ。

もっと、失恋を味わおう!!!

失恋こそ、最も人間らしい感情が湧きあがる貴重な経験なのだから!!

 

(*この話は、半分ユーモア、半分ホンキの話なので、ノークレームでお願いします…)

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「恋愛と性と結婚」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事