Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

老眼鏡、はじめました…◆老いとともに生きる人生へ

ただの日記です。

本日、2019年9月15日、

わたしく、

老眼鏡デビュー

しました!

1年ほど前から、本を読むときに、文字を読むのが辛くなってきました。

遠くは見えるんだけど、近くが見えない。

本を読むのが、身体的に苦しくなってきました。

最初は、「老眼」とは思わず、「変だなぁ」って思うだけでした。

でも、徐々に、「これは、老眼なのでは?」と思うに至りました。

今年に入ってからは、本を読むときに、メガネを外すようになりました。

メガネを付けていると、本が読めない、、、

先週、行きつけのメガネ屋さんに相談して、チェックしてもらうと、

「ああ、老眼ですね」、と一言。

Σ(゚д゚lll)

「やっぱり…」。

これはこれで、ショックでした。

老眼、つまり「老いた眼」。

僕も、遂に、実感として「老い」を感じるに至りました。

でも、、、僕の目にあった老眼鏡(試作品)を付けて、字の小さな本を見ると、

「よ、よ、よ、読める!!!」

思わず、叫んでしまいました。

そう、ハズキルーペのCMのように!

そうそう、今回、ハズキルーペも試してみました。

でも、ハズキルーペは、もともと目のいい人が付けるものかな、と。

僕みたいに視力が絶望的悪くて、メガネをかけている人にはちょっと…

でも、老眼鏡をつけると、本当に「見える」んです!!

嬉しかったなぁ、、、。

これからまた、本を読むのが楽しくなるんだ…。

(この1年ほど、本当に辛かったから…)

僕の目は、きっと死ぬまでもう良くはならないと思います。

それが、「老い」ということなのでしょう。

できることができなくなる、それがどんどん増えていく。

でも、本当の「老い」はこれから。

これからが「老いを生きる本番」と言うべきでしょう。

まだ、できることはいっぱいあります。

走れるし、食べられるし、排せつもできるし、起き上がることもできる。

老いることをネガティブに捉えるのではなく、ポジティブに捉えたい。

若い頃には分かり得なかったことも、40代になって分かる経験もいっぱいしてる。

きっと、50代、60代~と、見える風景は全然違うんだろう、とも思います。

これから先は、いつ、どう死ぬか、個人差がとても大きくなっていきます。

40後半になれば、いつどこで誰がどう死んでも、おかしくはないといいますか。

医療技術が発展したので、本来死ぬべき人が生きられるようにはなりました。

それでも、人間は、いつか必ず死にます。(死なないと、それはそれで怖い)

どう老いていくかは、もう今から考えても早くはないと思います。

そろそろ、僕の大好きだった従兄弟が亡くなった年齢に達します。

僕も、もういつ死んでもおかしくない、と思わなきゃいけません。

(そもそも、人間は、生命はいつでも「死」と隣り合わせなんだ)

たかが老眼鏡、されど老眼鏡。

今日からは、「老いとともに生きる」という視点を大事にしようと思います。

まだまだ、欲望剥き出しで、煩悩を追い求めて生きていけるっちゃいけます。

でも、欲望や煩悩を追い求めても、次なる欲望や煩悩が待っているんです。

具体的には、新聞やテレビに出たいという欲望や煩悩が満たされると、

次は、「もっと出たい」「もっと有名になりたい」ってなるんです。

で、有名になったらなったで、「もっと上に行きたい」ってなるんです。

最終的には、きっと「誰にも知られないで、静かに生きたい」にたどり着くんでしょうけど。

お金も同じで、お金がないと「お金持ちになりたい」って思うんでしょうけど、

いざ、お金が入って来ると、「もっとお金持ちになりたい」ってなって、

大金持ちになったらなったで、「お金があることで、人間の汚いところを見た」とか言いだす。

今の自分の年齢を考えたら、どんな欲望も煩悩も、たいした意味はないと思える。

所詮、あと数十年~十数年の「いのち」なんです。

死んでしまえば、欲望も煩悩も、地位も名誉も知名度もお金も、どうでもいいわけで。

というか、死を意識した時から、既存の価値体系がガラガラと崩れていくというか。

延命治療とかには、たしかにお金が必要ですし、お金持ちは長生きできます。

でも、それって、ただ生きている(客観的)時間の延長でしかなくて、、、

それよりは、生きているこの時間そのものをどれだけ大切にできるか。

いつでも、大事なのは、「今」、「この瞬間」でしかなくて。

メガネなしでは生きていけなくなって、目のありがたさを感じる「今」。

でも、まだ、目以外は元気といえば元気。

とすれば、まだ色々できるんだから、しっかりやれることをやらないと、と。

歩けなくなった時に、歩くことのできる尊さを実感するのであれば、

今から、歩くことの尊さをしっかり感じて生きないと、、、と。

メガネ屋さんにも言われました。

「この老眼鏡をつけても、4,5年でまた見えなくなりますよ」、と。

老眼鏡も万能ではない。いずれは、今見ている「世界」が全てぼやける時も来るんです。

まだ、メガネを付けて見えるのであれば、見えている世界を大事にしないと、と思います。

さ、今日から、老眼鏡とともに生きる生活が始まります。

まずは、読みたかった本をいっぱい読もうっと\(^o^)/

コメント一覧

定点観測者
私も、今年春に老眼鏡デビューしました(年齢はkei先生より一回りぐらい上ですが…)。見えるようにはなりましたが、遠近両用にはまだ慣れないです。
ちなみに、ハズキルーペは「虫眼鏡」なので、字が大きく見えることはあっても、視力が良くなる効果は期待しない方がいいですね。

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