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「教育勅語」を知らない時代に-高橋源一郎さんの現代超訳ー

2018-10-05 12:08:04 | 教育と保育と福祉

現在、名古屋~岐阜のラーメン特集の真っ最中ですが、、、

熱の入ったラーメンレポの合間に、この記事を入れるのはどうかなぁと思いましたが…。

でも、今日、どうしても記録として残しておきたいと思ったので…。

以下、色々と重たい話が続くので、興味のない人はこの記事はスルーしてください

テーマは、ずばり「教育勅語」です。

(教育勅語推進派の人も、以下読まないでください。いい気持ちはしないと思うので…)

 ペリリュー島の洞窟より。ここに多くの日本軍が潜伏していた)

***

さて。。。

(ここから、「である調」に変わります)

***

今日、講義で「教育勅語って知っている?」と尋ねたら、ほとんどの学生が「知らない」と答えた。

これには、ビックリした。保育や教育の道を進む学生が「教育勅語」を知らない…。

聴いたこともない、という学生も多々…。

教育勅語の当時の使われ方やその影響など、知る由もない。

けれど、当然と言えば当然かもしれない。

今の時代に、この「教育勅語」を扱える教師がどれだけいるか。

「当時、教育勅語を読まされてきた世代」はとっくに「退職」している。

世の中の空気としては、「よけいなことは言うな」だ。

ヘタに教育勅語に触れたら、四方八方から批判が来る可能性もあり、それを恐れる。

実際に教育勅語を教育された人なら、そこに「説得力」がある。

けれど、もう誰も戦争も教育勅語も経験していない人だらけだ。

戦争も教育勅語(の歴史的背景)も語れなくなってきている。

でも、「知らない」ではすまされない時代を迎えつつある。

「森友学園」の幼稚園児が「教育勅語」を暗唱させられていたのも、記憶に新しい。

先日、文部科学大臣に就任した柴山さんが、道徳教育での教育勅語の使用可能性を口にした。

詳しくはこちら

僕は、教育勅語の内容が相当考え抜かれて作られたことも分かっている。

日本の明治以前の「儒教的思想(イデオロギー)」をまとめたものだ。

こちらも参照

「内容」の中には、古来の日本の古き儒教の教えが垣間見える。

元田永孚さんが草案を書いた。

だが、これが「戦争」に利用され、「軍国主義的教育」に取り込まれた。

そして、多くの子どもたちがこの文章を暗唱させられ、そして、散っていった。

その反省から、戦後教育においては、この「教育勅語」は学校から消えた。

思想的な統制(マインドコントロール)によって、集団自決がどれだけ起こったか。

その現実の映像がYouTubeでモザイクなしで公開されている。

現実を見る覚悟がある人は、YouTubeで「Banzai cliff」と検索してほしい。

(ただし、極めて刺激の強い映像が多いので、自己責任で見てください

(なので、リンクはここでは貼りません。あくまでも自己判断で)

「Mass Suicides on Marpi Point, Saipan」という映像がありますが、

Mass Suicides=集団自殺・集団自決

「降伏するくらいなら自決を」という思想を日本人は教育されていたのです。

「自分だけ生き残ろうと思うな」…。

「一億総玉砕」…。

(教育されていたのか、それとも、そういう民族性なのか…)

そういう思想の形成に、「教育勅語」が利用された、というのが通説。

そして、実際に当時の子どもたちはこれを読まされ、暗唱させられたという「事実」。

あの忌々しい戦争から73年経った2018年。

まさか、ここまで「教育勅語」が学校に呼び戻されることになるとは思いもよらなかった。

しかも、森友学園の場合、「学校」ではなく、「幼稚園」だった。

森友学園の幼稚園で確かに、子どもたちは教育勅語を叫んでいた。

動画もupされている。

この「教育勅語」が、幼稚園や学校の中に再び取り込まれる可能性さえでてきたのだ。

「戦争を知らない子ども」が国の中枢に立つ今の時代。

「教育勅語を再び学校へ!」と叫ぶ人がわさわさと出てくる今の時代。

この流れをどうしたらいいのか、その答えを知る人はいない。

どうすればいいのか…。

と、思っていたら、作家の高橋源一郎さんが「現代語訳」を発表していた。

この訳は、いわゆる「超訳」と受け取られるだろうけれど、

当時の文脈を踏まえた「言葉」になっているとも思った。

都合のいいところだけを並べた儒教的な(やすっぽい)解釈ではなく、

「当時子どもたちがどう聞いていたか」を意識した言葉になっているとも。

(ただ、少しやりすぎな気もするが…)

まずは、通常の「教育勅語」の「訳」を確認しておきたい。(原文はネットですぐに出てきます)


『朕(ちん)がおもふに、わが御祖先の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又(また)、わが臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝(なんじ)臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互(たがい)に睦(むつ)び合ひ、朋友(ほうゆう)互に信義を以(もっ)て交(まじわ)り、へりくだって気随気儘(きずいきまま)の振舞(ふるまい)をせず、人々に対して慈愛を及(およぼ)すやうにし、学問を修め業務を習って知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守(じゅんしゅ)し、万一危急の大事が起(おこ)ったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為(ため)につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(きわま)りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゞに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらはすことになる。

ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫(つら)ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む』

(出典=文部省「聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告」1940年2月。田中壮一郎監修、教育基本法研究会編著「逐条解説 改正教育基本法」から)

引用元


この文章は、今の人からすると、難しい。

これを高橋さんが「現代人向け」に「超訳」していた。

それは、こんな「訳」だった。


『はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました?とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね。君たち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。

そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです。その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。

きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと。

そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません。もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。

さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください。

というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。

それが正義であり「人としての正しい道」なんです。

そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです。

いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中のどこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです。

そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上!明治二十三年十月三十日天皇』

引用元


この訳文を読んで、どう感じるかは、その人次第かなと思う。

この超訳は、教育勅語を知らない世代の若い人には読んでおいてもらいたい。

その上で、ネット上に出ている「現代語訳」も(読まないでほしいけど)読んでほしい。

言葉には「文脈」がある。

例えば、「朕」一つとっても、高橋さんにはこだわりがある。

「天子の自称。中国で、古くは一般に用いられたが、秦の始皇帝から天子のみの自称となった」(goo辞書

朕は、単なる「私」ではなくて、ここでは「天皇である私は」でなければいけない。

それを高橋さんは、「はい、天皇です」と訳しているのだ。

さらに、「惟フに」を「ふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください」としている。

これは確実なる「意訳」だが、当時の人が聞いたように書けていると思う。

こういう文章を直訳するというのは、基本的に無理があるし、そもそも「直訳」である必要もない。

翻訳というのは、全て「解釈」であり、その解釈の「深さ」だけが問題になるからだ。

訳には「うすっぺらい訳」と「充実した訳」があり、そこに「正解」はない。

解釈学的には、「原文よりも原文の意味を描き出す訳文」というのも存在する。

高橋さんの訳は、訳としてはかなり意訳し過ぎているけど、プロの作家だ。

文脈に基づいて、当時の文脈に即して、意訳しているので、「空気感」も伝わってくる。

「超訳」と言われるけど、そこにも、うすっぺらい超訳と実りある超訳がある。

(それに、「超訳本」は現在、書店でいっぱい売られている…)

いずれにしても、この訳は、教育勅語を用いていた当時の文脈を想像して「超訳」したものなので、

間違いを指摘したり、文句をつけたりすることは簡単だと思う。

でも、「直訳」が正しいわけではないし、直訳だから何も伝わらないということもある。

オリジナルテキストが残っているので、誰もが「解釈」に参加できる。

あとは、自分の目で見て、調べて、自分の頭で考えるしかないだろう…。

この歴史的な「文」である「教育勅語」をどうするか、どう考えるか。

これもまた、僕らみんなが考えるべきテーマだろうな、、と。

二度とあの忌々しい戦争を繰り返させないために…

そして、二度と子どもたちや若者を戦争に巻き込ませないように…

問い続けるしかないかな…。

最後に、ドイツの第六代大統領のヴァイツゼッカーの言葉で終わりたい。

Wer aber vor der Vergangenheit die Augen verschließt, wird blind für die Gegenwart.

(過去から目を背ける人は、未来に対して盲目となるだろう)

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3 Comments

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Unknown (言えばいいってもんじゃない)
2018-10-06 03:12:29
前に色々意見貰って引っ込んでから最近こっちはこう言うネタ黙ってて読みやすくなったと思ってたらまた始めてげんなりですよ
ツイッターでいくら吠えても反応ないからですかね?
そりゃ不平等視点の否定ありきの逆張り揚げ足取りなんか反応されませんよ
あれ?なんか別件は平等平等って騒いでたような?
大人しくラーメンネタだけにしてほしいなぁw
Unknown (煮干醤油ラーメン大好き)
2018-10-09 12:02:52
blog主様のようなヒューマニズム第一主義で感情や直感で言動を行うタイプの人は
得てして
経済や軍事等の
「数字を見て客観的に判断する」
っていう能力には欠ける人が多いですよね。

「世界の経済と世界の軍事を知らずして、今の平和を語るべからず」

平和は上記のバランスで成り立ってます。

それを崩すと戦争は起こります。

過去の日本軍の戦争責任を問うのも良いでしょう(今はあえて触れません)。

でも70年前よりも大事なのは今ですよ。

現在隣国で行われている真っ最中の
ウイグル人やチベット人の民族大虐殺に無視できるのは何故ですか?

今、隣国で行われている虐殺を置いておく理由は?

「戦争の匂いがするから安部は気に入らない!なんか前から強いからアメリカ気に入らない!」

え?

はてなマークしか灯りません。




あなたのような人達を(オールドタイプの左翼)を

ちまたでは「習近平 応援隊」と言うとりますよ。
Unknown (煮干醤油ラーメン大好き)
2018-10-11 22:28:30
いきなりのポジショントーク失礼致しました。

そして情報ソースのリンク先も張らずに失礼致しました

一度、blog主様のような弱者の視点から物事を考えることが出来る人から
下記リンク先の件を考えて頂きたいです。


ちなみに、僕の立場としては、学生時代から中国人にマブダチもいて
歯に衣きせぬ本気トークが出来るので
中国の人大好きなんですが

「中国の歴史は偉大だが、今の中国共産党と人民解放軍は人の皮を被った鬼畜じゃないか。君たちはいつになったら選挙権を持てるのか?」



と飲み会の席で彼らに言うと押し並べて黙ってしまいます。
彼らにとっては、あまり、自分と自分の一族の幸せ以外の事柄は興味は広がらないみたいです。


【民族浄化って何?ウイグル、チベットの今】
ttps://matome.naver.jp/m/odai/2137804609503829101

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