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理解されない大学院生の苦しみ-九大キャンパス火災

2018-09-17 14:26:39 | 教育と保育と福祉

先日、九州大学のキャンパスで火災が起こった。

この火災を引き起こしたのは、九大大学院性だった46歳の研究者(非常勤講師等)だった。

彼は、母校の研究室で火をおこし、そして、自害した。

彼は、「憲法」を学び、そして、「ドイツ語」も駆使できた、という。


福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで7日朝に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどによる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。/署は、現住建造物放火か、非現住建造物放火の疑いで、男性を容疑者死亡のまま書類送検することも視野に入れている。/男性は九大法学部の卒業生。署によると、研究室の内側からテープで目張りがされた上、遺体の近くに灯油用のポリタンクやライターがあった。自宅からは、9月上旬にポリタンクを購入した際のレシートも見つかったという。/九大によると、男性は大学院に進学し、2010年の退学後も研究室を使用。大学院は、9月末に同市西区の伊都キャンパスへ移転を完了する予定で、男性に再三退去を求めていた。

■困窮、研究の場も無く 「経済破綻に直面」知人に訴え 非常勤職失い複数のバイト

福岡市東区の九州大学箱崎キャンパスの火災で亡くなった卒業生の男性(46)は、2010年の退学後も常勤の研究職を目指していたが、非常勤職を“雇い止め”に遭うなどして困窮を深めた。家賃の支払いも滞り、肉体労働を掛け持ちして研究室で寝泊まりするようになった。そこに学舎の移転が重なる。「耐乏生活を強いられる」「経済破綻に直面」-。男性は親交のあった大学関係者に宛てたメールで、苦しい胸の内を訴えていた。/複数の関係者によると、男性は15歳で自衛官になったが退官し、九大法学部に入学。憲法を専攻し、1998年に大学院に進学した。修士課程を修了して博士課程に進んだが、博士論文を提出しないまま2010年に退学となった。/ドイツ語を勉強し、文献の校正ができるほどの力を付けた。生前は少なくとも県内の二つの大学で非常勤講師を務める傍ら、教授の研究補助もしていた。元教授は「授業の発表も丁寧で、論文を書く能力もあったのに」と振り返る。/大学側によると、男性は15年以降、研究室を1人で使用。ただ、顔を出すのは夜間で、ほかの院生と接触しない“孤立”状態だった。

そんな男性が、信頼した九大関係者に心の内をメールで明かしていた。/「月末払いの家賃を振り込もうとしましたが、金額が足りませんでした。経済破綻に直面しています」(昨年6月1日)/3、4月はほぼ無給だったことや、専門学校の非常勤職が“雇い止め”となり、5、6月の月収は14万5千円とつづった。/「10万円借りることができました。なんとか過ごせそうです」(同月4日)/男性は同月から昼間に週4回、宅配便の仕分けのアルバイトを始めた。/「昼のバイトを始める時73キロあった体重が、現在61キロ」(今年3月12日)/昨年12月からは夜も週4回、肉体労働の別のバイトも掛け持ちしていた。「研究室の移転も始まっています。宝くじが当たるなどしない限り、泥沼から脱出できないでしょう」(7月27日)/この頃は夜のバイトを週6回に増やし、研究室に寝泊まりする状態だった。「時の経過とともに、事態は悪化しています」(8月9日)/大学側から研究室退去の要請を受けていたが、片付けに着手していなかった。

院生はみな厳しい現実を共有していた。私が彼だったかもしれない」。男性をよく知る研究者は声を落とす。/大学院生が研究を続けて「教授」や「准教授」といった常勤職を得るのは容易なことではない。文部科学省によると、博士号取得者または博士課程の単位取得者で、大学などに任期付きで籍を置きながら研究を続ける人を「ポストドクター」と定義し、1万5910人(15年度)に上る。男性は「ポスドク」に当たらないが、大学側も今年5月までは「ポスドク」と誤解して研究室の利用を黙認していた。/男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は、男性の心中をこう推し量る。「彼は純粋に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか

2018/09/16付 西日本新聞朝刊


あまりにも、悲しすぎる事件だった。

恐らく、ほとんどの人が「大学院生」の実態について知らないだろうと思う。

理系の人なら、「修士」まではわりと進学している人も多いと思うけど、

「博士課程」まで進学する人は、理系でも少ない。

「文系」の「博士課程」となると、ほとんどの人が「知らない世界」だと思う。

「院生はみな厳しい現実を共有していた。私が彼だったかもしれない」と書いてあるが、これは、おそらくかつて大学院生だった人なら、とてもよく分かることだと思う。

知性に惹かれ、学問を愛し、真理を追究しようとした46歳の彼。

僕とそんなに年も違わない。

きっと僕なんかよりよっぽど頭もよかったんだと思う(本当に…)。

「彼は純粋に研究する場が欲しかったはず。労働と研究の両立が困難で、思いあまったのかもしれない。(学舎と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか」と書いてある。

大学院生は、僕もそうだったけど、貧乏を極めている。もちろん、親が金持ちで豊かで、困らないだけの「仕送り」がある人なら、何の問題もないだろう。だけど、そうでない院生は、本当にお金がない。働こうと思っても、研究も死ぬほどハードなので、なかなかいい条件のところはないし、長時間働くことも難しい。奨学金だって、生活費と研究だけで全部ぶっ飛ぶ(しかも、足りない)。

心理的にも、大学院生は色んな意味で追いつめられる。今でこそ、「アカハラ」やら「パワハラ」なんて言葉が流布していて、昔ほどではないとは思うけど、教授と院生の関係は、(心理的に)「王」と「奴隷」ほどの開きがある(名門大学になればなるほど…)。教授に認めてもらえれば、それは「いいこと」だけど、それはそれで大変。教授の期待に応えなければいけないし…。教授に認めてもらえなければ、もう「おわり」。研究室を去るか、研究の世界を去るか…。僕のまわりでも、研究室を去った人や、学門の世界を離れた人はいっぱいいた。

この46歳の男性も、きっと真面目な人だったんだと思う。

大学院に行く人なんて、まわりから引かれるほどの「ど・真面目」な人しかいない。真面目で、学門好きで、難しいことを考えるのが好きな人ばかり。「大学生」と「大学院生」とでは、もう何もかもが違うし、学問への姿勢も全く違う。中には、「モラトリアム」で大学院生をやっている人もいるけど、だいたい「修士」でいなくなる。

彼の場合、もう逃げ場もなかっただろう。46歳だ。

学問を愛する人が大事にされない国・社会には、なってほしくない。

世の中は、嘘と偽りと欺瞞と金儲けの「魑魅魍魎」だらけかもしれないけど、その中に、一部だけでも、「真理を愛する人」がいてほしい。「愛」を大事にする人は、この国にもいっぱいいるけど、「真理」を愛する人は、あまりいない。ま、どの国においても、そんな人、多くはないけど…。でも、そういう人を大事にする国もいっぱいある。

日本も、世界の先進国であるし、学門も根本的に好きな国だと思う。福沢さんの「学問のすすめ」でも、「…医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人…などは、身分重くして尊き者と言うべし」とある。福沢さんも、「教授」とは書かずに、「学者」と書いている。上の46歳の彼も「学者」だった。

学問を愛する人を大事にする国であってほしい。

(表面的な意味での)「実学」もいいけど、「理論」を愛する人こそ大事にしてほしい。

「理論」は、それこそ直接的に人の利益にはつながらないけど、その理論によって、世の中が変わる可能性はある。

世の中は変わらなくとも、世の中を見る「見方」は変わる(変わり得る)。

僕自身も、もしかしたら、彼のような人生を歩んでいたかもしれない。

その可能性は多分にあった。

いや、どんどん学生数が減少する今、そういう可能性は今もある。

10年後に、20年後に、どれだけの大学・短大や専門学校が消えてなくなるだろうか。

今回のこの事件は、実際に高等教育に関わっている全ての人にかかわる事件だと思った。

しかも、、、

高等教育の中でも、理論的な学者を排除して、実務経験者を優遇する動きも強まっている。

実務経験者がダメだとは言わないけど、理論のない実務経験者だけで成り立つ学部・学科って…。

ますます、真面目で優秀な学者肌の先生が消えていきそうな気がしてならない。

論文を読まない、論文を書かない、外国語が読めない、外国語が書けない、

で、実務の細かい内容・スキル・how toだけをレクチャーする、

そんな先生だらけになったら、高等教育の意味って、どこにあるんだろうか。

「人民もし暴政を避けんと欲せば、すみやかに学問に志しみずから才徳を高くして、政府と相対し同位同等の地位に登らざるべからず。これすなわち余輩の勧むる学問の趣意なり」(福沢さんの『学問のすすめ』より)

政府と相対する人なんて、育たないだろうな、、、と。

この46歳の彼のご冥福を同朋として静かにお祈りいたします。

 

Comment (1)

二葉海神 第一支店@東海神 零一弐三近くに中高年に超人気の食堂!?

2018-09-17 11:36:48 | 千葉 船橋市

普段、滅多に来ない東海神駅付近。

となれば、連食は必至!!

(まー、いつでも連食だけど、、、(;´・ω・))

東海神駅付近を調べると、僕好みの昭和レトロなお店があるぞ…

しかも、「零一弐三」のすぐ近くだ!!

零一弐三から歩いて、実に1分…

すぐに着いちゃいました。

その名も、、、

二葉海神 第一支店

であります!

 悪麺友らんちばさんも2012年にレポしていました!(さすが!!)

入口横に、こんな素敵な、、、

いいですね~~~。

これを眺めるのも、こういうお店の楽しみ方の一つ♪

ヴィジュアルで「直観的」に分かるのって、いいですよね。

で、よく見ると、、、

なぜか、もやしそばとチャーシューメンが展示されていました。

なんで、もやしそば!?!?

(昭和期に「もやしそば」が流行ったって話も聞いたことがあるな、、、)

こちらのお店、なんと「自家麺」らしいです。

自家麺?? 自家製麺じゃなくて??

どう違うの???(@@)

麺も楽しみです!!

で、、、暖簾をくぐって、店内に入ると、、、

げ!!

満員御礼!!\(^o^)/

しかもしかも、、、

どんどんお客さんがやって来る!!!!

店内満席とあって、悲しそうに去っていくお客さんまで…。

カウンター席はなくて、テーブル席のみ。

しかも、一人用のテーブル席までありますよ、、、

レイアウト的になんか、学校の教室みたいな…(同じ方向をみんな向く)

そして、お客さんのほとんどが中高年の男性ばかり!!

面白いなぁ、、、

若者から大人気の零一弐三のすぐ近くに、

中高年から人気の二葉海神第一支店あり!

東海神<新店>VS<老舗店>仁義なき!?

しかも、この二葉海神のすぐ近くには、、、

元祖系の船橋ソースラーメンが食べられる「龍鳳飯店」もあります。

いや~~~、恐るべし、海神、、、。

メニューです。

レトロな昭和的な食堂=町中華とあって、色々あります。

いわゆる「ドカ盛り系」の定食ものもいっぱいだとか。

 特に「カレー」の「大盛り」が凄いことに、、、(;´・ω・)

お客さんもそれぞれ、色んなものを注文していました。

僕はもちろん、普通の「ラーメン」を♪

ラーメン一杯500円也

わくわく。。。

ジャジャーン!!

来ました来ました!!

これぞ、、、

これぞ昭和レトロな食堂のラーメン!

レトロマニアなら、もうたまらないヴィジュアルですよ。

スープからも、なんか「アウラ」みたいなものが、、、

あまりにも、素敵だったので、別アングルで!(苦笑)

スープもきれいです!!!

ホント、涙が出てくるようなヴィジュアルですよ(;;)

しかし!!

ここは、ラーメン自体も、かなり凄いことになっていました。

スープは、素朴でレトロなガラ系の醤油味のスープなんですけど、

何とも言えない独特な味わいのやや攻撃的なスープでした。

恐らく普通に食べると、普通に食べるレトロな中華そば=東京ラーメン風。

…なんだけど、醤油の香ばしさ?、それともスープストックの旨み?

どうしたら、こんなスープになるんだろう??、という。

独特な味わいのスープになっていました。

まさに「平凡なのに非凡!」

言い方はあれだけど、ありきたりな感じなのに、唯一性を感じるというか。

他にない独特な味わいの昔ながらの中華そば、でした。

零一弐三で特製ラーメンをフルに食べたばかりなのに、

ぐいぐい食べてしまう自分がいました。

零一弐三のあのニボニボ系の強烈なラーメンを味わった後なのに、

その味をかき消してしまうほどの「強さ」がこのラーメンにありました。

(ただ、若い人たちやイマドキ系のラーメン好きの人には分かってもらえないかな~…!?)

あれだけ、煮干しが強烈に炸裂しているラーメンを食べた後なのに…、

ちっとも、物足りなさを感じないんだから、、、

あと、わかめが何気にいっぱい入っていて、それも面白かったなぁ…

で、更に驚いたのが、このチャーシュー!!

このチャーシュー、なんの変哲もないんです。

どこからどう見ても、普通のレトロな煮豚チャーシュー。

イマドキの低温調理でもないし、こんがり焼き色が付いているわけでもない。

なんてことない、普通の平凡なチャーシュー…

…に見えますが、、、

もう、これが、旨いのなんの!!!!

低温調理のレアとは全く違う「柔らかさ」があるんです。

もちもちっとした食感で、脂身もいい感じであって、パサつきもない。

老舗の食堂の意地とプライドを感じる絶品の王道チャーシュー。

やはり、チャーシューも、「平凡なのに非凡」でした…。

麺も、匠の技が冴えわたっていました。

これ、自家製麺みたいですね、、、。

凄いな、、、この「こだわり」、、、。

見た目的には、そんなにこだわりを感じるようなお店の雰囲気ではない。

なのに、どのパーツを考えても、隙がなく、完成度が高い。

麺についても、この印象的な中太の麺は独特だなぁと思いました。

二杯目なのに、麺がするするとお腹に入っていく、、、

恐れ入りました。

***

いや~、さすがは、舌の肥えた中高年に人気のお店なだけはありました。

平凡の中の非凡を強く感じるラーメンが堪能できました。

敢えて、先ほど食べた零一弐三と対比させてみると、、、

「非凡なのに平凡」を感じる零一弐三に対して、

「平凡なのに非凡」を感じさせる二葉海神第一支店、

と、形式化することもできるかもしれません

でも、どちらがいいとか言いたいわけじゃなくて、

どちらも、<だから>人気がある、と言えるかな、と。

零一弐三は、かなりクセのあるニボニボ系と<非凡>なんですけど、

でも、時代的にトレンドになっているし、流行に乗っていて、<平凡>。

故に、あれだけの<行列店>になっているんだと思います。

逆に、、、

二葉海神第一支店の味は、めちゃめちゃ平凡な味。

なんだけど、そこに腕と技を感じる匠の仕事が感じられて、非凡。

故に、こんなにも人が集まって来るんでしょう、、と。

飲食店というのは、平凡で平凡じゃダメなわけで、、、

でも、非凡で非凡でもダメなんだな、、、と思わされました。

こんなコントラストのはっきりとした人気店が並ぶように存在しているとは、、、

東海神駅付近が、こんなことになっているとは、、、

いやー、感動でした、、、m(__)m

営業時間も、どこか「昭和スタイル」。

中休みなしで、夜も7時45分でおしまい。

ちょうど8時間ちょっとの営業、か。。。

決して、営業時間が短いってわけではないですね。

一度、夜にも来てみたいなぁ、、、

きっと昼とは違う世界がそこにあるんだろうなー。。。

二葉海神第一支店。

素敵なお店でした。

何よりも、今をときめく「零一弐三」のすぐ近くに、

こんな素敵な老舗の人気食堂があって、

そこで、素敵なラーメンがあったのだから、、、(;´・ω・)

こちらは食堂で、ラーメン以外にもいっぱいメニューがあって、

単純に、零一弐三と比較はできませんけどね、、、。

ただ、一つ、、、。

ここ、海神に住んでいる人が羨ましいなぁ、と(苦笑)、、、

はるかはるか昔、海神に住んでいた女の子とお友達でした。

一つ上の優しい人で、よく面倒見てもらってました(苦笑)

「海神に住んでいるんだ」って言ってたけど、「どこだよ!?」って…。

その言葉のイメージから海辺だと思ってましたが、違いました(苦笑)

「ああ、あの子はこの辺に住んでいたんだなぁ、、、」って。

付き合うことはなかったけど、ちょっと好きでした(苦笑)

はるかはるか昔のこと。

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