深作欣二監督『阿部一族』
森鴎外の『阿部一族』が、古田求脚本、深作欣二監督でテレビ化されていて、
以前に一度、VTR時代に観たことがあるが、
その後、どこのレンタルDVD屋にも見ることがなかった。
先日、
浅草のDVD屋でそれを発見し、借りてきていたので、
一昨日、観た。
ストーリーは、原作を読んでくれ。
森鴎外は、事実を事実として恬淡と記述する文学者で、
個人的述懐を文章に差し挟まない手法を用い、
それはそれなりに文学的存在意義を高く評価されてきたが、
僕はいい読者ではなかった。
脚本の古田求は、異色の脚本家で、
寡作だが、たまに、キラリと光り輝く作品を出す。
後年、同じ深作欣二と組み、
このテレビドラマ『阿部一族』にも出演している佐藤浩市を主役にし、
蟹江敬三、石橋蓮司に脇を固めさせ、
『忠臣蔵外伝・四谷怪談』を書くが、
この作品は、彼の最高傑作だと思っている。
「純文学」作品を映像化することは、とても難しい。
それは作者の知性や思想姿勢を、脚本家や監督が乗り越えることの困難さに見合った困難さだ。
高質な純文学の原作者を乗り越えるほどの知性や姿勢が、
映画監督や脚本家にあるはずもなく、
したがって、
自己流に乗り越えようとすると、
ストーリー性だけを借用した戯画になるしかなくなる。
たとえば、
どんな小説を借りてきても「人情映画」を作ってしまう山田洋次が、その典型だ。
彼にとっては、
松本清張も藤沢周平も、
その原作者の生活思想など、まったく関心外のことで、
彼が必要なのは、ストーリーだけだ。
そこが、大衆小説の映像化と純文学の映像化の違いで、
僕が、「稀なる成功作。」と評価したのは、
森田芳光監督の、夏目漱石原作の『それから』、
古井由吉原作、神代辰巳監督の『櫛の火』、
それくらいだけだ。
この『阿部一族』において、
古田求と深作欣二は、
駄弁を一切排して、阿部一族の滅亡への過程を描き続けることで森鴎外世界に近づこうとしていて、
それは、極めて賢明な鴎外世界へのアプローチの仕方だ、と思った。
このドラマで、
阿部一族の惣領の蟹江敬三の弟役をする佐藤浩市がいて、
最後、熊本藩の藩士たち相手に、チャンチャンバラの死闘を繰り広げるのだが、
「そうか。これが、後年の『忠臣蔵外伝・四谷怪談』につながったのか。」
と、納得した僕であった。
このドラマの制作者である古田求と深作欣二の思いは、
たった一点に絞られている。
と僕には思えた。
理不尽に対して、一矢報いる。
それだけだ。
そして、その表現姿勢は、
鴎外の思想ではなかったとは思うが、
いかにも深作欣二らしくて、
僕には、十分に納得のいくものであった。
スポンサーのいちゃもんの多いテレビドラマでこれだけのものを作れれば、
監督としては、大成功ではないだろうか。
そこが、また、深作欣二らしい。







