世川行介放浪日記

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西条八十『青い山脈』の4番。

2017年04月23日 14時30分58秒 | 自選 父と子
 

      西条八十『青い山脈』の4番。


 煙草を買いに出たついでに、
 愛車グリーンタンクで旧市内を徘徊してきた。
 芹町1丁目と2丁目をグルグル回った。

 彦根市を取り巻く山は、どれもみんな低い。
 だから、取り巻く山々は、「山脈」とは呼べない。
 その低い山々が、今日は雲の少ない青空の下に、どれも鮮明な姿を見せていて、
「もう春なんだなあ。」
 僕は、自転車をこぎながら、鼻歌をうたった。


     父も夢見た母も見た
     旅路の果てのその果ての


 終戦直後に流行った『青い山脈』という歌の4番目の歌詞だが、
 この20年間、どこの土地を流れていても、
 晴れた日の山を見上げると、
 何故か、いつも、この歌詞が口の端からこぼれた。


 僕は、
 長姉によって、父親の死に目にも会わせてもらえず、
 母親とは、20年近く音信遮断にさせられて、
 昨年、意識不明と死だけをメールで知らされるという、
 一般社会人が聞いたら驚くような、なんともすさまじい仕打ちを受け、
 つまり、二人ともの臨終にも葬儀にも立ち会うことのできない親不孝者をしたが、
 そうした表面的なことは、僕には、さして苦にもならなかった。
「くだらない。
 勝手に好きなことをやってろ。」
 そんな気持ちだった。


 放浪を重ねていた日々、
 どこかの土地で、晴れた日の山脈を仰ぎ見る時、
 いつも、


     父も夢見た母も見た
     旅路の果てのその果ての


 この歌詞が心に浮かび、
「待ってろよ。
 いつ必ず、あんたたちが僕に託したものを、
 現実のものにしてみせるから。」
 生きている間には絶対に会うことのない父と母の幻に、
 元気よく、そう言っていた。   


 僕は、特定郵便局長の家の長男として、父や母のあれこれの期待を言葉で聞いて育ち、
 父母との「直結の意識」は薄れたことがないので、
 旧郵政省と戦っている時も、
 どんなに貧しいさすらいをしていても、
 自分が父や母の期待を裏切っているとは、一度も思ったことがなかった。
「あんたたちの期待どおりの生き様をやってるぜ。」
 そう思ってきた。
 この自負と直結意識は、貧乏だらけの僕の放浪生活を、基本的には陽性のものにしてくれた。


 今年に入って、
 彩雲出版の高山社長から過分な温情をもらい、
 1年に4冊もの本を出版させてもらえることになった。
 そして、いま、
 彦根の独りの部屋で、
 自分ひとりだけの生活空間と思考領域を得、
 毎日毎日、作文や編集作業に没頭しているのだが、
 9年10年前の古い「放浪日記」を読み返しながら、
 当時のあの場面、この場面で、
「この時のこの僕の姿、
 あんたたちの子供らしい、いい生き方をやってるだろう。」
 今は亡き父や母に語りかけている自分がいる。
 そんな数か月をやった。


 親と息子は、その意識が褪せることなくつながっているだけで、
 それだけでいいのだ。


 天才歌謡詩人西条八十の書いたこの『青い山脈』の4番は、
 こんな歌詞で終わっている。


     青い山脈 緑の谷へ
     旅をゆく若いわれらに鐘が鳴る


 42歳から「第二の青春」をスタートさせた僕は、
 年齢は64歳だが、精神はまだ、実年齢よりも少しだけ若いので、
 残された「第二の青春の時間」を、
 旅の途上に鐘の音なんぞは聴こえもしないけれども、
 <放浪の精神>を抱きしめて歩き続けてみたいと、
 そう思っている。





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