世川行介放浪日記

日々の雑感。
昔話。
時事問題への言及。
歌謡曲篇。文学篇。
漫談。
たまに女篇。
2年に1度は愛欲篇

『真田太平記』DVDを観ながら思ったこと。  転載

2017年01月31日 19時09分36秒 | 自選 父と子


    『真田太平記』DVDを観ながら思ったこと。  転載

 


 2月7日の『本能寺奇伝』発売日までは事(こと)がないようにと、
 毎日ほとんどを部屋に閉じこもっている。
 あと10日。こんな生活が続くだろう。


 そんな僕の相手は、旧い歌謡曲と、DVDで、
 昨日は、NHKの『真田太平記』の最終部あたりの数篇を観ていた。


 僕は、池波正太郎の時代小説群は、
 後年の「剣客商売」とかいうシリーズだけは全く読んでいないが、
 それ以外のほとんどを、流し読みに読んできた。
 現代の講釈師、とでも言えばいい作品群だったが、
 それはそれなりに面白かった。


 真田ものを書かせたら、池波正太郎はピカイチだった。
 それはちょうど、永井路子が鎌倉初期を書かせたらピカイチだったのと同じくらいのピカイチさだった。
 今後、真田を描く時代小説作家が誕生したら、
 最初の壁が、池波作品になるだろう。


 NHKの『真田太平記』は、結構好きだった。
 真田幸村役の草刈正雄がよかったし、
 女忍びの「遥くらら」が、熱演していた。


 東西最後の戦いになる大阪夏の陣で、
 乾坤一擲の戦いに敗れ、徳川家康を殺し損ねた真田幸村が、
 傷を負い、
 最後に、寺の前で自刃する時、

「父上。
 これでようござりますな。」

 と呟くシーンを数年ぶりに眼にして、
 死んだ父親のことを思った。


 僕は、
 父が大阪で死んでからの放浪10余年の間、
 深夜のネットカフェの汚れた天井を仰ぎながら、
 父の幻とだけ会話して、放浪を続けてきた。


 その、僕と幻の父との会話が、どんな内容であったかなどは、
 誰にもしゃべる気もしないし、
 しゃべってわかってもらえるとも思っていないので、
 自分以外の誰にも語ることは死ぬまでないのだが、
 とにかく、僕は、
 放浪の途上を、幻の父との会話で過ごしてきたのだった。


 僕の父親という人は、
 僕の数倍の読書家で、
 本さえ読んでいればいいような人だったし、
 漢字は驚くほど知っていて、生きた漢和辞典みたいだった。


 さっき調べたら、
 僕が『歌舞伎町ドリーム』を出版したのは、2003年だそうだ。
 ここの読者氏の誰一人、僕を知らない頃だ。

 父親が死んでから、もう、13年も経つのだ。


 僕が、父親が死んでからの13年を、何ものにも敗けることなく放浪が続けられたのは、
 死ぬ数日前の父親の言葉があったからだ。


 その時のことについては、これまでどこかに書いたことがあるので、
 重複の煩瑣は避けるが、
 死を前にした病室のベッドの上から、
 最期の別れに来た僕に、

「お前の話を聞いていると、
 お前の今の生活は、
 夜昼逆さで、
 まるで、呑み屋の女みたいに綱渡りの人生だな。ハハ。」
 父はそう言って小さな声で笑った後、
「お前らしい生き方だな。
 お前。そのままで生き続けろ。」
「お父さん。
 許してくれるの?」
「ああ。それでいい。
 人の一生の評価なんて、棺桶の蓋を閉め切るまではわかりゃしない。
 棺桶の蓋を閉めかけている最中でも、評価は決まらない。
 棺桶の蓋を閉め切ってからが、お前への本当の評価だ。
 誰の眼も気にする必要はないから、
 お前、それをやり続けろ。」

 あの言葉があったからだ。


 真田幸村は、
 自分のありったけを注ぎ込んで大坂の陣を戦い、
 最後に、
「父上、これでようござりますな。」
 そう言って死ぬことが許された。

 僕は、まだ、
 死んだ父親に。
「父さん。もう、これでいいね。」
 と言える場所にまでたどり着いていない。


 あと数年、駈けに駈けて、
 その言葉が言える場所にまで歩を進めたい。
 そう強く意志して、日々を送っているのだが、
 日暮れて道遠しとは、僕のことだな。



    (『~備忘録』からの転載)





『コラム』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 僕には僕の<生きる流儀>が... | トップ | ありがとう! »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自選 父と子」カテゴリの最新記事