世川行介放浪日記

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昔話。
時事問題への言及。
歌謡曲篇。文学篇。
漫談。
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2年に1度は愛欲篇

読者層の変遷。

2017年09月15日 10時23分47秒 | 自選 雑文拾遺
 

     読者層の変遷。




 9時前に目が覚めて、パソコンを見たら、
 一気に100くらいのアクセスが来て、
 130位なんて順位になっている。


 この間も書いたみたいに、
 僕は、たまに、「アクセス解析」の「あしあと」ってところを見て、
 その人たちのブログを覗くのだが、
 その人たちの、ブログから窺い知れる人柄は、
 どう考えても、
 僕のような放浪男の書く文章を読みたがるようなタイプの人たちとは思えない。
 みんな、誠実で、堅実で、自分の生活をすごく大事にして生きている人たちのように思える。
「こういう人たちが、何で?」
 って不思議感を、その度に、抱く。


 ただ、
 いま、僕のこの日記が、そういう人たちに読まれていることは、
 僕としては、嬉しい。


 かつて僕のこの日記を読みに来る人は、
 政治に関心を持って、しかも、反自民、
 そんな人がほとんどだった。
 その人たちは、
 僕が、体制を批判したり、小沢一郎を擁護していたら満足する人たちがほとんどで、
 その奥にある「時代の本質」には眼を向けない人が多かった。
 僕は、それが嫌で、
「こんな読者のアクセスを喜ぶようなブログにしてはいけない。
 読者の入れ替え作業をしよう。」
 と決め、
 或る時期の1~2年をかけて、
 掲載文章の内容を変える作業をした。


 いま、
 こういう人たちに読まれているということは、
 その入れ替え作業の成果、とも言えなくもなく、
 喜んではいるのだが、
「なんで、この人たちが?
 わからねえな。」
 って気持ちもある。
 どう考えても、僕の生きていた世界とは無縁の人たちばっかりだ。


 Osa-michiさんという人を筆頭に、
 結構な数の「常連」さんの書くブログを拝読し、
 内容も覚えた。
 たとえば、今現在の「あしおと」を見ると、
「utapianoさんか。あの人だな。」
 その人のブログがすぐ浮かぶ。


 僕は41歳の時に、吉本隆明氏から、
「大きなことを考えるんじゃないよ。
 人というものは、小さなことを一つずつコツコツ積み上げて生きていくんだ。
 もう一回考え直してから来い!」
 と怒鳴られて、
 それから、人生をゼロからやり直した男で、
 この人たちのブログを読むと、
 その「小さな積み重ね」を生きていることを感じさせる人のブログが多く、
「この人たちは立派だなあ。」
 と、率直にそう思う。


 僕は、「生活」というものを放棄したので、
 そうした「生活」とは無縁だし、
 ひとの「生活」を羨ましいと思ったりすることはないが、
 たった一つ、
「人は、そう意志すれば、
 あんな生活も生きることが出来たんだなあ。」
 という思いを感じる。


 朝のコーヒーを飲み、
 「寝起きの一曲」にザ・ピーナッツの『恋のフーガ』を聴きながら、
 そんなことを思った今朝の僕だ。





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山口県小野田市という小都市の記憶

2017年09月03日 07時48分33秒 | 自選 雑文拾遺


  山口県小野田市という小都市の記憶




 7時に目覚めた。
 よく眠ったので、頭は冴えている。
 眼覚ましにアイスミルクを飲んで、煙草をふかした。


 今日の寝起きの一曲は、「シャロムの歌」。
 この間まで、どこの国の歌なのか知らず聴いていたが、
 先日、「NCIS」のDVDを見ていて、ジバの会話を耳にし、
「ひょっとしたら、あれは、イスラエルの歌だったのか?」
 と思い、
 さっき、ネットで見たら、やっぱりそうだった。


 それから、ネットニュースを見たら、
 山口県小野田市に、東京理科大の薬学部ができるという記事が出ていて、
「小野田市か…。」
 懐かしい気持ちで、その小都市の名を口にした。


 僕は、高校生の頃、遊んでばかりいたので、どこにも行く大学がなくなって、
 当時は二期校だった山口大学の経済学部というところに、やれやっとですべり込み、
 秀才ぞろいの同級生たちから馬鹿にされたが、
 そこで4年を過ごした。


 最初の三カ月だけは、田んぼの中にある学生寮にいて、
 こんな自由を束縛される生活は真っ平だと思って、すぐに出たが、
 その学生寮にいる時、
 寮を牛耳っていた創価学会の学会員であるボス学生が斡旋するアルバイトに行ったことがある。


 早朝、
 マイクロバスで、小野田市という、セメントで有名な小都市に連れていかれ、
 米軍から払い下げられた火炎放射器を改造した薬剤散布機を肩にして、
 丸三日間、朝の9時から5時まで、
 小野田市の隅から隅まで、
 ドブや草地の薬剤散布をするのだ。
 それで、アルバイト代は、一日2000円。


 僕は、生まれてからそれまで、肉体労働というものをしたことがなく、
 その時が初めての肉体労働だったが、
 まあ、散布機がでたらめ重くて、僕には苛酷な労働だった。


 それを三日続けて、
 やっとアルバイト料がもらえるかと思ったら、
 寮を取り仕切っている創価学会員で6回生だとかのボス学生が、
「一割は斡旋料だ。」
 そう言って、ピンハネした。
 きっと、創価学会を通じてのコネでも持っていたのだろう。
「学生の世界も、土方の世界と一緒で、ひでえもんだな。」
 と苦笑した。


 その時に、
 しみじみと、
「俺には肉体労働は向いてないな。」
 と自覚し、
 だけど、貧乏学生で、お金は欲しかったから、
「自分に一番合ったアルバイトは何だろう?」
 と考え、
 熟慮の結果、
「俺にはマージャンが一番だな。」
 という結論に達した。

 あれが、マージャンを、「食うための手段」と意識した最初だった。


 それから64歳の今日まで、
 生産手段はマージャンだけ、という生活を続けてきたわけだ。


 小野田市などという小都市は、
 もう、45年間思い出したこともなかったが、
 今朝のニュースで思い出し、
 少し懐かしかった。




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懐かしいあの頃

2017年04月20日 13時42分39秒 | 自選 雑文拾遺
 

       懐かしいあの頃




 正午前、一通のメールが届いた。
 開いて、びっくりした。


 僕は、このGOOブログをやる前、
 『恋するアジア』というところのHPの一角を借りて、『世川行介日記』をスタートしたが、
 そこに属していた、馬鹿としか言いようのない風俗ルポライターにイチャモンをつけられ、
 こんな阿呆と同じ場所ではやってられないな、と思っていたら、
 HPの管理者から、出ていってくれ、と言われ、
 このGooブログに移転した。
 だから、僕の『~放浪日記』は、2007年7月以前が本当のスタート日だ。


 そのGOOブログ前の「放浪日記」を知っている人は、
 今ではもう、数少なくなっていて、
 僕の周囲でも、「北上の平野さん」とワイルドローズさんくらいのものだ。


 その時期の読者で忘れがたい人が二人いて、
 一人は、「やたろう」さんという人で、
 もう一人は、「じゅんこ」さんというお嬢さんだった。


 「じゅんこ」さんというお嬢さんは、僕の別れた長女くらいの年齢で、
 一度、中野か高円寺かの新年会で隣同士になり、
 別れた娘にしゃべるようにペチャクチャしゃべったことがある。
 それは放浪日記に書き留めてある。


 ずっと音信不通だったが、
 今日、
「このたびは『世川行介放浪日記・貧乏歌舞伎町篇』の出版おめでとうございます。」
 そんなメールをいただき、驚いた。
 あれから9年も経っていたのだ。


 そのメールを読み終えた僕の正直な気持ちを言うと、
「そうか。
 あの頃の読者で、まだこの日記を読んでくれている人もいるのか。」
 というありがたさだった。


 この放浪日記の読者というのは、実に変遷が激しく、
 特に、小沢一郎支援運動を境にして、
 僕が、「やるか?!」をやったものだから、
 持続性がないのが、一つの特徴だ。

 僕はそんなことは全く気にしていないので、書きたいことを勝手に書き綴って9年間を過ごしてきたが、
 変わらぬ読者が一人でも二人でも残っているということは、
 正直、嬉しい。

 そうした読者が、9年ぶりのメールをくれて、
 感謝したし、
「このお嬢さんに対しても、書くことをやめられないな。」
 そう思った。


 そして、その彼女の、


     放浪日記の読者としては古いですが、
     歌謡曲、政治、麻雀、株式と話題の中心が変わり
     なかなかついていけない9年でした。


 という一行には、僕なりに反省した。 
 これからは、是正を施そう。





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方眼紙けい線書き 転載17

2016年06月01日 08時16分16秒 | 自選 雑文拾遺


     方眼紙けい線書き 転載17



 暇なので、少し書くと、

 皆さんの中に、方眼紙に、鉛筆でけい線を引いた人は、ほとんどいないと思う。
 僕たちは、チャートとは呼ばずに、
 けい線、と呼んで来た。
 それは源流が、江戸時代の米相場で秘伝と言われた、
 「酒田五法」のけい線だったからだ。


 株価指標にも様々なものがあって、
 最近は、海外から輸入された指標を若い人たちは好むが、
 結局、一相場が終わってみたら、
 酒田流けい線の通りの結果だったということで、
 玄人筋は、酒田流けい線を株の指標としてきた。


 最初はA4の方眼紙で始めるのだが、
 仕手株をやっていると、
 暴騰に暴騰が続き、
 方眼紙の上を突き破ってきて、
 継ぎ足さなくては書けなくなる。


 この、方眼紙を継ぎ足す時が快感で、
「そうか、こんなに上がったか。」
 思わず方眼紙に口づけしたくなる。
 110円くらいから始まったK株も、
 その伝でやっていたら、もう、継ぎ足ししなくては書けなくなっているはずだ。


 もっとすごいのは、
 100円台だった株が、1000円台に行った時で、
 それまでは、1円1マスで書いてきているのだが、
 それを1000円台にしたら、
 長くなりすぎて、いびつな形になってしまう。
 そこで、
 それぞれの書き手が知恵を働かせ、
 1マス5円にしたり、1マス10円にしたりする。
 これが、また、快感で、
「とうとう1000円台にまで来たか…。」
 それは、もう、
 嬉しくて嬉しくてたまらなくなる。


 僕は加藤あきらの手がけた仕手株を、全部、そうやって書き、
 それら、相場の終わった方眼紙は、
 記念品として、島根の実家に置いてきたのだが、
 まあ、今はどうなっているのか、わからない。
 彼の株は、

 どの株も、方眼紙が必ず継ぎ足しされていて、
 それらを何枚も眺めると、
「天才だなあ。」
 という感嘆と共に、
 彼のけい線つくりのクセが見え始め、
 かなりの勉強になった。


 仕手株の世界を知っている人間たちは、
 加藤あきらが100年に1度出るかでないかの天才相場師であることを、みんなが認識していて、
 僕なども、若い日、
 彼の芸術品のようなけい線を見て、
「一度でいいから、こんなけい線の相場を作ってみたいなあ。」
 と思ったものだ。


 42歳で上京してきて、
 たった一度だけ、
 「腐れ縁」という友人のために、
 加藤あきらの仕手戦に乗った。
 方眼紙を買って来て、
 2か月ほど、毎日、その株のけい線を引いた。


 600万円ほど稼いで、あいつにくれてやったが、
 その時に、「お礼だ。」と言われて110万円をもらい、
 その金で、<4駅先の女>にロレックスの時計を買ってやったら、
 しばらくして、
 自分の女房の親から放蕩を追及された「腐れ縁」が、
 苦し紛れに、
「あいつも、韓国の女に入れあげて、
 ロレックスの時計を買ってやった。」
 と僕を売り、
 頭に来た僕は、
 <4駅先の女>のもとに行き、
「すまないが、その時計を返せ。」
 そう言って、女から時計を取り上げ、
 質屋に持って行ってお金に換えた。


 女にやったプレゼントを戻させたのは、僕くらいのものだろう。
 実に不格好な話だった。


 それ以来、
 方眼紙けい線書きなどというものとは無縁で来た。
 きっとこれからもないだろう。


 昨日、方眼紙けい線のことを書いていて、
 ちょっと懐かしくなったので、書いてみた。



     (2014年8月25日掲載文)




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「はてなブログ」を始める。

2016年04月26日 07時38分36秒 | 自選 雑文拾遺


          「はてなブログ」を始める。



 研一郎が頑張ってやってくれて、
 5月1日からの新しい会員制ブログは、
 「はてなブログ」でやることになった。
 ブログのタイトルは、まだ決まっていない。


 <政治の季節>が終わって、
 白茶けた長い<溶解の時代>が始まった。
 単純な反自民や小沢一郎にだけ深い愛着を持ってきた人たちは、
 当然のごとく、僕の現在の見解とは相入れなくなってきた。
 で、
 今の新日記会員読者の中で、
 引き続き僕の見解を読みたい、と希望する人たちだけに絞って、
 さらに、新しく希望してきた人を5人ほど加え、
 30人ほどでスタートすることにした。


 終了する『新世川行介放浪日記』について、
 僕の率直な感想を言わせてもらうと、
 よく、4年間も続いたものだ、という感慨に尽きる。
 特に、小沢一郎がズッコケてからの2年、
 よく持続した。
 いつ読者が霧散してもおかしくない環境だった。


 だから、
 今回、
 よくもまだ、30人も、僕の文章を読みたいと言ってくれる人がいるもんだ、と、
 10人程度を想定していた僕は、
 驚いたし、感激した。


 「会員読者」といっても、その人たちから会費をもらうでも何でもなく、
 ただただ、「かくありたい。」という知性と願いをもって同じ地平で語り合える人たち、
 そんな人たちを会員読者に選んでいるだけだ。
 昨年、包山淑子なんて女の参加を許したばっかりに、
 かき回されてとんでもない目にあったので、
 今回の人選は、かなり慎重にやった。

 5年以上の交信歴史を持った人たちが大半で、
 まだ3年程度の猪上一生や堤重役は、
 その社会認識の度合いから、
 「会員読者」ではなく、「奨学生枠」として遇することにした。


 自慢させていただくなら、
 この会員読者諸氏は、どの人も、
 かなりの知的レベルにある人たちだし、
 「時代から何かを学ぼう。」という熱い意志の持ち主たちだ。
 そして、何よりも、
 <溶解の時代>にあって、眼が曇っていない。
 そこを、僕は好いている。


 もう、以前のように、政治の話題を中心とした言説世界ではなく、
 <溶解の時代>にあって、「融けない個人」であり続けるためには、どんな思考角度が必要か。
 それを語り合える世界にしていきたいと考えている。


 この数年間、ネット世界を鳥瞰してきて、
 住人のほとんどが、うんざりするくらいに「新聞記事読み人間」たちばかりであることに気づいた。
 そうでない人たちとの意見交換の場を創設したいと考え、新日記を興し、
 今度は第二ステップだ。

 ここの<未知の読者>諸氏には何の関係もない話だが、
 スタートを前にして、ちょっと書いておきたかった。




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大御所時代 1  新日記より転載

2016年02月10日 12時01分59秒 | 自選 雑文拾遺


    大御所時代 1 新日記より転載  


 この2~3年、
 僕の心の中には、
「<溶解の時代>に突入したこの国は、
 これから、どんな場所に行こうとしているのだろうか?」
 それがずっとあって、
 結構、あれこれ考えて来た。


 最初は、
 室町時代末期に似た状況に向かうのかな?
 と考えたが、
 高度化された<官僚社会主義>の21世紀では、
 下剋上もバサラも生まれようもなく、
「違うな。」
 との結論に至った。


 あれかこれかを考え続けた果て、
 僕は、
「大御所時代に似た世界に向かうのではないのか?」
 そう思い始めた。


 おさらいを書くなら、

 大御所時代とは、
 徳川家康の時代のことではなく、
 大ざっぱに言うと、
 1818年~1841年、
 化政時代に代表される、将軍在職期間50年の徳川11代将軍家斉親政の時代を指し、
 「寛政の改革」頓挫直後から「天保の改革」直前までの期間、
 中に、「異国船打ち払い令」や「大塩平八郎の乱」を入れる、
 賄賂の横行した時代として有名だ。


 度々の貨幣改鋳や異国船打ち払い令による国防費の増大で、経済はひっ迫状態に陥り、
 改革と改革の間の反動政治がもたらした腐敗と堕落のこの時期は、
 しかし、
 その一方では、庶民文化が開花爛熟した時期でもあって、
 『東海道中膝栗毛』の滝沢馬琴、
 黄表紙の恋川春町や山東京伝を輩出し、
 小林一茶や良寛、
 浮世絵の東海斎写楽、喜多川歌麿、葛飾北斎、
 歌舞伎作家の鶴屋南北、
 多彩な人々が活躍した。


 この時代の文化の本質とは何か、というと、
 それは、
 士農工商という身分制度が永久持続しそうな社会にあって、
 知性や倫理がだらしなく沈淪していく時代性に諦念を迫られた生に自覚的な人々の、
 その知的エネルギーの、せめてもの奔流の場ではなかったのか、
 と、
 僕には思える。


 この時代背景と国民の在り方が、平成日本のあり様と酷似しているように見えるのは、僕だけかもしれないが、
 時代は大きく異なっているので、その外装は異なるだろうけれども、
 この国は、本質的には、あそこと同じような場所に向かい始めたように、
 僕は思っている。


 そろそろ眠くなったので、今夜はここいらで筆を置くが、
「今からの社会は、ちょっとすごい社会になりそうだな。」
 そう思うことしきりの最近の僕だ。



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貧困家

2008年08月26日 00時00分00秒 | 自選 雑文拾遺

               貧困家


8月26日(火)

 昨日あたりから、取材申し込みのメールがいくつか来て、何ごとかしらんと首を傾げていたら、今日取材に来た人が、「日刊ゲンダイ」が地デジの記事で僕の名を出していた、と教えてくれた。
 さっきネットを見たら、確かにそうだった。

 僕は、以前、『歌舞伎町ドリーム』と『郵政』の2冊について、「日刊ゲンダイ」に好意あふれる紹介記事を書いてもらって感謝した経緯があったので、先日、取材依頼があった時、
「僕のささやかな恩返しです。好きに活用して下さい」
 と言って、今度の原稿を全部送った。
 それをネタに書いたらしい。


 地デジに対する疑問の声が上がり始めた。
 これはいい兆候だ。 
 総務省に電波の許認可権を握られた臆病なメディアは、表舞台では正義の味方面をしながらも、絶対に総務省批判をやらないだろうから、せめて活字に頼るしかない。
 そういう基本姿勢で、どんな雑誌のどんな取材にも応じようと思っている。
 ただし、有料でネ。

 みんな、僕の肩書きをどう書くべきか、と苦慮するみたいだ。
 「ジャーナリスト」とはとても言いがたいし、「作家」と呼ぶのもためらわれるしで、結局、捨てたはずの「元特定郵便局長」だけがいつまでもついて回ることになる。
 僕も首をかしげる。
 僕って、社会的には何者なのだろう。
 ふむ、
 「貧困家」と呼んでもらうのが一番似合いそうな気がするな。


 今日某記者氏と2時間以上話しながら、来週週刊誌が発売されると、名実ともに「郵政の天敵」になってしまうのだな、とあらためて思った。

 正直なところ、
 曾祖父から4代、100年間ほど給料をもらってきた郵政省(現総務省)にここまで弓引く男になろうとは、僕自身も考えはしなかった。
 成り行きとはいえ、哀しい話だ。

 ただ、彼らは、人一倍激しい僕の闘争本能に油を注ぎすぎたのだ。
 その限りは仕方がない。


 先日上野で、T氏が笑いながら僕に言った。
「世川さんって、野生の勘だけで生きている男ですものね。
 しかし、賢いだけの奴もどうかと思うけど、野生の勘だけってのもねえ…」
 ムニャムニャと頭を掻きながら、歌の一節を思い出していた、
「どうせこの身にゃ狼の血が 親の代から流れて止まぬ」


 最近の僕はインターネットに激しい関心を抱いていて、ブログとは何なのか、ということについてこの数ヶ月考えるのだが、
 結局、ブログを突き詰めていくと、話体と文語体の問題に行き着くような気がしてならない。

 現在、ブログのほとんどは話体で書かれているが、話体による表現は、一見簡単そうで、実は高度な才能と技術を要する。
 話体で読者を惹きつけるには、太宰治並みの才能と鍛錬が求められる。
 そうでないと、すぐに飽きられるからだ。


 たかがブログにそんな小難しい理屈はいらない、という人もいるかもしれないが、実はそうではない。

 今はブログの高揚期だからどうってことはないが、人間、いつかは掲示板的な伝達文章や他人の身辺雑記の閲覧には飽きるわけで、ブログにも芸術性(あるいは話芸)が求められ、淘汰されるようになるはずだ、と僕は思っている。
 その時、どれほどのブログが生き残れるだろうか。
 売れない商店の陳列棚のようなブログ展示場の光景を想像すると、寒いものがある。

 しかし、ここ当分は、顕示欲や自己満足がその寒さをカバーしてくれるのも、間違いない。


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