世川行介放浪日記

日々の雑感。
昔話。
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漫談。
たまに女篇。
2年に1度は愛欲篇

今日の「ICHIBAN」は可愛かった。

2017年07月13日 20時44分30秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


     今日の「ICHIBAN」は可愛かった。




 午後3時45分に彦根パチンコ「ICHIBAN」に入った。

 僕の列には、すでに二人の女が座っていた。
 しかも、
 昨日僕が途中でやめて帰った台を挟んで。
「なんで、二人とも、この台に座らなかったんだろう?」
 僕は、首をかしげながら、二人の間の、三日間打ち続けの台に、今日も座った。
「<僕の神さま>。
 この二人を弾き飛ばしておいてくれてありがとう。」
 きちんとお礼は言った。


 昨日、少しきつく叱ったのが反省材料になったのか、
 本日の「海物語・お祭りモード」は、
 とても可愛くいい子になっていた。


 両脇の女の不審そうな視線を受けながら打ち始めたら、
 なんと、
 わずか3500円目で、


    スーパーラッキ~!

    世川のおじさん、頑張って~! 
 


 ということになり、
 30分ほどで、1万円くらいの儲けになった。 

「あれっ?」
 と、両脇を見たら、
 二人とも消えていたよ。
 台選びも腕の一つ。


 で、
 そこから、寄せたり上げたりのワコールブラジャー場面も何回かあったが、
 この台は、今日は爆発の日だから、
 期待通り、よく爆発してくれた。


「まあ、そろそろやめるか。」
 立ち上がって、カウンターに行ったなら、
 ハハハ。
 今日は、3時間半で、46100円の勝ちであった。


 すごいなあ。世川行介のパチンコ。
 詐欺師相手の文章もいい冴えをしているが、
 パチンコの腕の冴えもなかなかのもんじゃないか。


 せっかく勝ったのだから、酒でも呑もうか、と、
 元特定郵便局長のK1さんに電話したが、
 その時は、すでに8時。
 まあ、普通は断わられるよな。
「では、また今度。」
 電話を切って、
 平和堂で、がんこ堂のアルバイト滋賀大生のために栄養ドリンクを4個買い求めて、
 それを渡して帰って来た。


 今から、「豊臣奇譚」の執筆と推敲だ。
 やっと200ページまで完成したので、
 あと230ページ、
 しっかりと推敲して、いい作品にしよう。


 僕の存在を無視しようとしてきた「自称青山俊夫」が、
 とうとう、今日、
 僕を引き合いに出して来て、何やら、落書きを書いていた。
 とうとう書かずにいられなくなったらしい。
 問わず語りの青山俊夫。行動ですべてを語る。って話だ。
 それにしても、本当に下手くそな文章だな。
 もう少し作文の勉強をしてから公表したらどうだ?


 所詮は詐欺師の書く落書きなので、何でも勝手に書いていればいいが、
 まず、世に本名を公表してからにしろよな。


 最近、皆が、
「世川さん。
 窮鼠猫を噛むと言いますから、
 身辺にだけはくれぐれも注意してください。」
 と言って来るので、
 そろそろセコムに身辺警護を頼もうかと思っている。
 うん?
 まさかね。


 ということで、執筆に向かう。






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動画7  田中角栄元首相秘書 朝賀昭先生

2017年01月26日 05時52分24秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


    動画7 田中角栄元首相秘書 朝賀昭先生




 この放浪日記での『世川行介さんを声援する宴』の報告も、
 いよいよ最後となった。


 最後にご紹介するのは、
 今さらの文章は不要なくらいに高名な、
 田中角栄元首相の最後の秘書であり、
 現在、
 恩師田中角栄元首相の正確な実像を歴史に残そうと、
 これまで隠されていた秘話まで披瀝しながら、
 自分の使命と格闘している、
 朝賀昭先生だ。


 僕は、
 政治現場に言及しよう、と思ってからの8年間ほど、
 この朝賀昭先生から、さまざまな事を教えられてきたが、
 中でも、
 政治現場を見る角度、
 それを一番教えられた。


 この日、
 朝賀先生は、以前からのお仕事の予定が入っていて、
「どうしても出席は無理だな。」
 とのことで、
 僕も、用意していた席を取りやめにしたのだが、
 それが、
 開演10分前になって、突然会場に姿を現わし、
「あっちの時間をずらしてもらって、やって来たよ。」
 恩着せがましい素振りなどまったく見せず、笑顔だけを下さった。
 
 心底から感謝した。


 以下が、朝賀昭先生のご挨拶の動画だ。
 



  <朝賀昭先生のごあいさつ>









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動画6 山口拓前東京都議会議員

2017年01月25日 16時57分09秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


     動画6 山口拓前東京都議会議員




 山口拓前東京都議会議員も、
 僕の記念のパーティーに来てくださった。


 皆さんご存知のとおり、
 僕は、民進党に対しては、一貫して批判的な主張を続けてきているが、
 この山口拓氏だけは、
 所属政党など関係なく、
 「男としての魅力」と「秀でた政治認識」から、
 たまに上京した際は、
 無理を言って歓談させていただいて来た。


 民進党を批判している僕のこの日記に氏のスピーチ動画を掲載することは、
 同党に所属する氏にとってご迷惑ではないか?
 と懸念はしたが、
 僕は、
 再起を期している氏のためなら、
 仕事を放っぽり出しても支援に駈けつけたい、
 くらいに、氏のことを熱く思っているので、
 勝手ながら、
 氏のスピーチ動画を無断で掲載させていただくことにした。
 お許しあれ。




   <山口拓前東京都議会議員のスピーチ>









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動画5  妹尾良さん、閉会の乾杯。

2017年01月24日 13時08分35秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


     動画5 妹尾良さん、閉会の乾杯。




 閉会の乾杯は、『世川行介備忘録』の会員読者である、
 妹尾良さん、
 彼にお願いした。

 僕の『~備忘録』ワールドは、
 会員読者の姓名・職業・住所は公表しないことを前提としているが、
 妹尾良さんは、
「俺はもう、隠さなくてもいいよ。」
 と言ってくれたので、
 実名で掲載する。


 元海上自衛隊の幹部であった妹尾良さんは、
 僕たちに、
 現在の日本の自国防衛力の実態、
 日米の防衛協力関係の歴史と現状、
 今後の自国防衛の課題…、
 そういったことを、
 丁寧に解説してくれて、
 防衛に無知だった僕たちの認識を、飛躍的に向上させてくれた。

 その彼に、パーティーを締めくくってもらった。




   <妹尾良さん、閉会の乾杯>


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動画4 世川行介。特定郵便局長西條英夫氏。

2017年01月23日 16時54分08秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


   動画4 世川行介。特定郵便局長西條英夫氏。



  恥ずかしながら、世川のあいさつです。


 <世川行介、あいさつ>



 



  乾杯の音頭
            特定郵便局長西條英夫氏。


 この「放浪日記」を始める前の僕、
 それを知っている人に、何人かおいで願った。
 その一人が、信越地方特定郵便局長会理事で、
 新潟県上越市稲田郵便局長の西條英夫氏だ。


 僕は、極貧の放浪者だった時期の5年間くらい、
 食うお金が無くなると、彼に電話し、
 三日に一回くらいの割合で、5000円をタカリ、
 そのお金で、その夜の宿を得て過ごした。
 そんな、僕に恵むだけの一方的な関係であったにもかかわらず、
 遠路新潟県から駆けつけてくれた上、
 過分の言葉をくれた。
 彼と一緒の動画を掲載したかった。




 <信越地方特定郵便局会理事 西條英夫氏のあいさつ>








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動画3  谷本耕治さんステージ

2017年01月22日 19時46分05秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


      動画3 谷本耕治さんステージ 





 瀧夜叉姫の一門に谷本耕治さんという歌手がいらして、
 賭けつけてくださって、
 僕に、
「何かうたってほしい歌はない?」
 と訊くので、
「小林旭の『さすらい』を。」
 とお願いした。



  







 すると、
 恥ずかしながら、
 わが陣営から、酔っぱらいが一人、ステージに上がってきて、
「谷本さん。ぜひ、一緒にうたわせてください。」
 と谷本さんにせがみ、
 谷本さん、チラリと周囲を見て、
「ふ~む。それでは。」
 座の雰囲気を壊したくない一心で、一緒にうたった。
 『夢淡き東京』。


 あまりにも下手ッピーだったので、
 ここへの掲載はやめた。


 で、
 それを飛ばして、谷本耕治さんの持ち歌、
 『惚れたあいつは旅役者』
 その歌唱を、次に。




  





 谷本さん当日のブログ

 谷本耕治の我楽多日記 
 「宴で✨」 2017-01-17 13:19:03

 http://ameblo.jp/koji-tanimoto/archive2-201701.html





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動画2 瀧夜叉姫一門の小唄と踊り

2017年01月22日 03時03分47秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


  動画2 瀧夜叉姫一門の小唄と踊り




 先日の記念パーティーで、
 瀧夜叉姫こと芝鳳さん一門の美女軍団が、
 僕のために、小唄と踊りを披露して下さった。
 これは、実に、破格のご厚意で、
 感謝の念でいっぱいだった。

 その動画を下に掲載しましたので、
 ご覧になってやってくださいませ。













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動画1   SACHIKOさんの挨拶

2017年01月21日 18時22分15秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


      動画1  SACHIKOさんの挨拶




 先日の出版記念パーティーでの場面の動画を、
 いくつかここに、記録として掲載することにした。
 関心のある方は、観てやってください。

 
 第一弾は、
 この度、『世川行介さんを声援する会』の代表を買って出てくださった、
 この「放浪日記」では、これまで、
 「SACHIKO」さん、
 という名で登場して来た女性だ。
 僕の、もう、8年くらいの長い読者で、
 その聡明さには感服して来た。

 以下が、そのSACHIKOさんの開会のあいさつの動画だ。


















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『世川行介さんを声援する宴』の光景 6

2017年01月19日 21時19分20秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


    『世川行介さんを声援する宴』の光景 6




 これで最後の写真展示となるが、

 「瀧夜叉」一門のトリは、
 歌手の谷本耕治さんだった。
 以前一度、一緒に浅草で呑んでうたったことのある僕のために駆けつけてくださり、
 僕の好きな、小林旭の『さすらい』をうたってくれた。 






 そこまでは良かったのだが、
 その次に、
 なんと、
 僕の席にやって来て、
 「一緒にうたおう。」という。

「ふ~む。」

「フ~ム……。」


 多くの皆さんは、誤解をしているが、
 世川行介というじいさんは、
 皆さま方が想像しているよりも100倍も照れ屋なのだ。
「ふ~む。」
 ためらいにためらい、
 で、
 結局、
 ハハハ!
「やりましょうか!」
 プロの歌手さんと一緒にうたったのだった。

 なんだ。結局やるじゃないか。ってか?







 一緒にうたったその歌は、
 浅草界隈を離れてから、どこに土地が移っても、酔うと必ずうたい続けた、
 知る人ぞ知る世川の愛唱歌、
 『夢淡き東京』
 であった。


    悩み忘れんと 貧しき人はうたい
    狭い路地裏に 夜風はすすりなく
    小雨が道にそぼ降れば あの灯り
    うるみてなやましく
    哀れはいつか雨にとけ
    狭い路地裏も 淡き夢の街東京


 まあ、世川行介さん、
 調子っぱずれのジジイ声でうたいましたよ。
 汗かきながら。


 その次に、
 谷本耕治さんがご自分の持ち歌『惚れたあいつは旅役者』をうたって、
 そこからは歓談となったが、
 時間というものはあっという間に流れるものらしく、
 もう、20分ほどしか残っていなかった。


 以下に写っているのが、
 僕と<生の角度>を共有する『世川行介備忘録』の会員読者たちと、
 放浪者の僕が大恩を受けてきた人たち、だ。



















 この人たちの眼を、
 もし見れるのならば、見てやってほしい。
 僕は、人を見る時に、
 いつも、その眼を、まず見る。
 眼に卑しさのない人。
 それが僕の初対面の人を判断する時の基準だ。

 みな、優しい眼をしている人たちばかりだと、
 僕は誇っている。



 そして、午後7時。

 元海上自衛隊幹部だった、『~備忘録』の会員読者の、
 岡山県から駆けつけてくれた妹尾さん、
 この人は、もう8年間ほどのつき合いになるガ、
 その妹尾さんに、最後の乾杯の音頭をとっていただいた。

「起立!
 国歌斉唱!」

 そう叫ぶんじゃないかと、ハラハラして見ていたが、
「乾杯!」
 パーティーは無事に終わった。







 本当は、
 そこから深夜2時までがすさまじかったが、
 その報告写真は、『~備忘録』に展示のこととしよう。





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『世川行介さんを声援する宴』の光景 5

2017年01月17日 11時44分20秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


    『世川行介さんを声援する宴』の光景 5





 今から10年ほど前、
 僕が、出版の当てもないのに、この『本能寺奇伝』の初稿を書き始めた時、
「世川さん。
 いい着想です。
 最後まで頑張って書き上げなさい。」
 そう言って励ましてくれた人がいた。

 『ぎょうせい』という雑誌の元編集長の、
 池田克樹さん、
 という方だった。
 現在は、「石守 令」というペンネームで活躍なさっている。







 僕は、毎日、千葉県船橋市のネットカフェに入り浸って、半年間、原稿を書き続けた。
 今回の『本能寺奇伝』までを書いて見てもらうと、
「折角ですから、最後までとことん書き上げなさい。」
 そう言われて、
 また半年ほどかけて、第二部と第三部にあたる後半部を書きあげた。


 しかし、
 池田克樹さんはあちこちの出版社を紹介してくれが、
 パーティーでの池田さんの言葉によると、 
 武将伝でもなければ、ミステリーでもなく、チャンチャンバラバラでもない僕の作品は、出版しづらいということで、
 どこも色よい返事をくれなかった。
 ある出版社では、「あなたのノンフィクションなら考えるけど、小説はねえ…、」そう言われた
 僕は、次第にその書籍化を諦め、
 次のノンフィクション作品『地デジ利権』の執筆に移った。
 池田さんは、その時期の光景を、当時の僕をしらない出席者たちに語ってくれた。







 そして、
 今回『本能寺奇伝』を出版して下さる彩雲出版の高山智道社長が、
 後を引き取って語ってくれた。


 僕は、この作品を書くにあたって、「銀(しろがね)」という軸をつくった段階で、
「少しはまともな作品になるかな。」
 と思ったのだが、
 高山社長は、僕のその着想を高く評価してくれた最初の人で、
 それは僕には非常に嬉しく、
「この人に任せてみようか。」
 そう思った。

 酒もたばこもやらない真面目な人で、そこが僕とは全然違ったが、
 そういう人の方がいいだろうと思い、頭を下げて、出版をお願いした。






「はっきり言って、
 世川さんは、小説家としては新人です。
 その新人の作品に、発売一か月前から、すでに千冊を超える予約注文が入っている。
 これは異例です。」
 そう褒めてくださり、ありがたかった。
 
 
 それから、
 僕の『世川行介備忘録』の会員読者が二人、
 言葉をくださった。


 『世川行介備忘録』は、
 <ネットの児>を生きよう!と決心した僕が、
 ネット荒野に<知の砦>を築こうと、
 9年の歳月をかけて選びに選んできた<知の人>を30人ほど会員読者にして、
 人選を少し間違えた『新世川行介放浪日記』を閉じて、
 昨年4月末から始めた会員制ブログなのだが、
 その会員読者諸氏の中から、
 一人は、中央大学教授のTさん。
 いま一人は、帯広畜産大学教授のKさん。
 お二人の言葉を頂戴した。


 本当は、お二人ともここに写真を出したいけれど、
 なんといっても、
 この世川行介、
 無頼と放埓と極貧を20余年も生きて、
 マージャンはする、株式売買はやるし、大酒は呑む、女にはだらしない、
 世に悪評高い放浪者ジジイ。
 そんな男のパーティーでスピーチをしたなんて事がわかると、
 真面目な学生たちからは軽蔑され、
 一般社会からは、「あいつも一般社会不適格者か。」と指さされることは間違いなく、
「名前も写真も、絶対駄目ですよ。」
 ということなので、
 スピーチをしたという事実だけを記載するにとどめる。


 ただ、

 そのK教授が、
 スピーチで、
「世川さんに文句がある。
 この数年、株の話を書き出し、株式売買による豊かさ獲得を評価しているが、
 株も買えない貧しい庶民を足蹴にした姿勢で、私には納得できない。
 今の世川さんは間違っている。」
 そういった趣旨のことを語り出し、
 10分間ほど、「世川批判」が展開された。

 すると、
 そこに、
 各テーブルから、拍手の嵐。











 その時、
 隣にいた方が、
「世川さん。
 これは演出ですか?」
 と訊いて来て、
「いえ。
 みんな、言いたいことを云っているだけです。
 僕はあの人の見解はよく知っています
 いつも僕に言っていることを壇上でも言っているだけの話ですよ。」
 と答えたら、
「素晴らしい!
 世川さん。これは素晴らしい祝賀会ですよ。
 来賓が演壇で主役をきびしく批判して、それを皆が笑顔で聴いている。
 そんなパーティーなんて、他にはないですよ。
 このパ-ティーは素晴らしい。」
 そんな妙な褒め方をされたが、
 そうらしいですよ。Kさん。


 今度、動画が届いたら、
 その音声だけ、ここに出そうかな。


 ということで。






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『世川行介さんを声援する宴』の光景 4 

2017年01月16日 22時53分26秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


     『世川行介さんを声援する宴』の光景 4 





 芝鳳一門の妖艶部隊の後は、
 この数年間、僕の主宰する勉強会で、政治を見つめる視線を指導してきてくださった、
 故田中角栄元首相の最後の秘書、
 朝賀昭先生が、
 お言葉をくれた。


 朝賀昭先生は、14日のパーティーの時間には、以前からすでに他に予定が入っていて、
 「パーティー出席は無理だよ。」とのことだったが、
 それが、開演直前に駈けつけてきて、僕たちを驚かせ、

「世川さんは本当にいい相棒を持っているよ。
 相棒の「瀧夜叉」さんにあれだけ丁重にお誘いの言葉を受けたら、来ないわけにはいかないから、
 むこうの時間を変更してもらって、ここに来ましたよ。」

 そんな、人の心に負担をかけない優しい言い方から始めて、
 昨今の政治状況の解説を交えながらの祝辞をくださった。

 感激した。
 ありがたい限りだった。











 僕は、或る数年間を、朝賀昭先生の紹介で永田町を自由に歩かせてもらい、
 日本政治の政治現場の現状を自分のこの眼で確認することが出来た。
 だから、
 僕がこの日記に書き続けた政治に関する発言は、
 朝賀昭先生がその機会を与えてくださったものだ。
 朝賀先生のこの破格のご厚意に対しても、
 『本能寺奇伝』が少し売れたらいいな。と願った。


 少しついでに書くと、

 朝賀昭先生は、故田中角栄元首相から薫陶を受けた方で、
 人と争うことが大嫌いだ。
「世川さん。
 お前さん。喧嘩ばっかりしてるじゃないか。
 喧嘩したって、人が消えるだけだろう。
 もう喧嘩はやめろ。」
 会うたびにそう言われるのだが、
 ところが、
 そればっかりは、僕にはできず、
「はあ…、」
 頭を掻きながら今日に至っている。


 朝賀昭先生には、「秘蔵っ子」が数人いて、
 その筆頭は、知る人ぞ知る民進党の細野豪志議員だが、
 細野豪志議員以外に、
 前都議会議員の山口拓さんという方がいて、
 山口拓さんも、
 僕のような男のために、駆けつけてくださった。







 山口拓さんは、
 僕よりは年齢的にはかなり若いが、
 政治状況を冷静に見ることのできる数少ない政治家だと、
 僕は以前から高く評価していて、 
 現在は、浪人を余儀なくされているが、
 次回必ず返り咲いてもらいたい。
 と思っている。


 僕の「放浪日記」を読んでくれてきた読者諸氏はおわかりになると思うが、
 僕はこの数年、小沢一郎や民進党の政治角度をかなり辛らつに批判して来た。
 朝賀昭先生も山口拓前都議会議員も、民進党につながっている方で、
 山口拓さんは、たしか、小沢塾の塾生でもあったはずだ。
 通常なら、あれだけ批判しまくっている僕は、
「コノヤロ~。」
 の存在であるはずなのだが、
 それなのに、
 僕の出版を祝うために来てくださった。


 これが、人のありがたさというもので、
 その寛容な配慮に、僕は頭を深く下げた。





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『世川行介さんを声援する宴』の光景 3

2017年01月16日 15時44分05秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


    『世川行介さんを声援する宴』の光景 3


      サブタイトル  トンビの正体





 この間、僕に絶交宣言した人間がいる。
 「闇米トンビ」と呼ばれている人物だが、
 この人物が、男性か女性かは、
 読者たちの中でも意見が分かれ、
 本人も最後まで明かさなかったものだから、
 その性別はわからなかった。
 14日までは。


 14日、受付をしていた残九郎君が、
「世川さん。
 お客さんが呼んでいます。」
 とやって来た。
「誰?」
「それが、名前を言わないんですよ。
 世川さんと会ってから話しますって。」
「そうかい。
 すぐに行くよ。」
 僕は部屋を出て、受付の場所に行った。


 うん?


 そこには、僕の見覚えのない、
 まだ20代後半か30歳くらいのうら若い女性が立っているではないか。
「世川ですけど…、」
 僕は、その見知らぬ女性に声をかけた。


 すると、
 その女性は、
 ニコッと僕に微笑み、
 深いお辞儀をすると、
「初めまして。
 わたくし、
 トンビと申します。」


 なんと。
 メチャクチャ驚愕の言葉を口にするではないか。
「あなたが、あのトンビ?」
「はい。私です。」
「あなたが……、」
 僕は、次の言葉に詰まり、
 呆然と、その美しい女性の顔を見つめ続けるばかりだった。


 知らなかった…。

 いつも、男言葉で「内緒コメント」を書いてくるから、
 もっとむさくるしい顔をした男を想像していたのに、
 こんなに綺麗な女性だっただなんて…。


「絶交宣言した直後ですし、
 ずい分迷ったんですけど、
 顔だけでも見せなくちゃいけないんじゃないかと思って、
 勇気を振り絞って来ました。」
「そうですか。
 それは嬉しいな。
 こんな美人だと知って、もっと嬉しいなあ。
 こんな騙され方なら、いくら騙されたっていいですよ。
 席をご用意しますから、さあどうぞ。」


 僕は研一郎に言いつけて、
 あいつの隣に席をとらせた。
 あまりの美しさに、男性客たちが、僕を祝うのも忘れて彼女に言い寄らないようにするためだ。


「あなたは、僕の『~備忘録』では謎の人物として有名です。
 読者の皆さんに、写真の一枚くらい披露してもいいですよね。」
「でも、恥ずかしいわ。」
「いや。
 今まで、みんな、あの男言葉の文章に騙されて、
 あなたを、センスのないむさ苦しい50男くらいに思って来ましたから、
 本当の姿を見せてあげましょうよ。」
「そうですか…。」


「お~い。残九郎さん。
 急いで、この人の写真を撮ってあげてくれ。」
「世川さん。
 この方、どなたなんですか?」
 美の魅力を知っている残九郎君が、彼女の顔を一瞥して、そう訊いて来た。
「耳を貸せ。」
 僕は残九郎さんの耳を引っぱって、
「この人が、例のトンビだ。」
「ええっ?!」
 やはり、彼も驚きの声を発した。
「そ、そ、そうでしたか。この人が…。」

 残九郎君は、そう呟くと、あわてて写真を撮った。


 下の写真が、そうだ。



 



 一番手前の女性が、「トンビ」さまだ。
 後ろ二人の女のようにトウは立っていない。
 これからは、「トンビ」という言葉を耳にしたら、
 この若い彼女の笑顔を思い出してくれ。


 まさかまさかの「トンビ」さんまで来てくれて、
 本当に、いい会だった。
 と、僕は思う。



 ここまで読んで、
 騙された人は、何人だ?


 あの「闇米トンビ」が、
 こんなに可愛いわけがないじゃないか。

 ネ?






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『世川行介さんを声援する宴』の光景 2

2017年01月16日 11時21分21秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


     『世川行介さんを声援する宴』の光景 2




 よく眠った。
 午前10時40分。

 眠って、起きても、彦根は雪の中にある。
 彼方の低い山々も真っ白け。
 朝食に納豆1パックを食べ、コーヒーを淹れ、
 世川行介、今日からは、心も新たに作文三昧だ。


 昨日に引き続き、
 14日の『世川行介さんを声援する宴』の光景を、
 愛弟子残九郎さんが撮ってくれた数百枚の写真を使って再現する。
 今から、第二弾だ。

 
 
「本当にこれが、極貧放浪者世川のためのパーティーなのか?!」
 出席者が全員感嘆の声を上げた一場面があった。


 平均年齢60ウン才を誇る「世川行介備忘録」の女性読者平均年齢を「数十歳下回る」妙齢の美女たちが、
 壇上で小唄を謡い、
 踊りをおどってくれたのだ。

 後日動画を掲載する予定だが、
 とりあえずは、細切れの写真で想像してくれ。


 「瀧夜叉」改め芝鳳門下の幾人かの方が、僕のために来て下さったのだ。
 こんなに嬉しいことが、どこにあろう。





















 さらに一筆つけ加えるなら、


 この三人の美女は、
 驚いたことに、
 その後、
 一緒に歓談していて、そのお顔を真正面から見ても、横から見ても、

 なんと!

 眼尻に、小じわがないのだ!


「女は、この世に誕生した時から、眼尻に小じわをつけている生き物。」
 放浪20余年の周辺世界で、すっかりそう信じ込んでいた僕には、
 これは、腰が抜けるくらいに画期的な光景で、
「そうか。
 小じわのない女性もこの世には存在するんだ…、」
 感動した。



「このページには、これ以上の登場人物の写真を掲載してはならないぞ!」
 と、
 美を愛する<僕の神さま>が、
 天上から、大声で言って来たので、
 あとは、第三弾に。






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『世川行介さんを声援する宴』の光景1。

2017年01月15日 20時02分31秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


    『世川行介さんを声援する宴』の光景1。





 一度には書けないので、
 何度かにわけて報告する。


 昨日1月14日は、実にありがたい宴を催していただき、
 しかも大勢の方が、北は帯広から南は北九州まで、
 あちこちから来てくださり、
 世川行介、
 生涯忘れられない一日になった。


 会場は、「ホテルグランドアーク半蔵門」、4階の富士の間。







 パーティーの司会は、世川の盟友「瀧夜叉姫」がやってくれた。
 彦根は遠いので、 
 司会だけではなく、何から何まで、彼女におんぶに抱っこした。
 瀧夜叉姫のご主人ご子息まで来て下って、感激した。







 本が出来上がって来た。
 このとおりだ。








 出来上がって本になったのを手にすると、やはり、愛情を感じる。
 きめ細やかなデザインで、
 デザイナーの小室杏子さんに御礼の頭を下げてきた。



 宴のスタートは、
 「世川行介さんを声援する会」代表の、
 「SACHIKO」さん、
 彼女の挨拶からだった。
 心に滲みる賛辞をいただき、
 恐縮した。


 彼女と同じ北海道生まれの坪川さんはとうとう欠席だった。
「坪川さんには来てもらいたかったね。」
 後で二人で、残念がった。







 来賓の方の言葉もいただいた。


 最初は、
 日本経済新聞・編集委員の金田信一郎さんだった。











 今から、もう、15年くらいの昔、
 郵政民営化闘争を一緒に体験した人だ。
 5年ぶりくらいの再会だった。

 金田信一郎さんは、文章を書く時の言葉の選び方を知っている人で、
 彼の書く文章は、重厚で、そして、哀愁と余情がある。
 彼が日経ビジネス時代は、
 ネットで、記事を流し読みしていて、
「この文章はいい文章だな。」
 と思って、筆者を見ると、
 いつも彼だった。


 彼は、この日記を始める前の、「極貧の放浪者」だった頃の僕を知っている数少ない人の一人で、
 今回の宴には、そうした方を数人お招きしていて、そのスタートが彼だった。

 
「世川さんって人は、
 カネもないのに、韓国クラブ、韓国スナックばっかりでしたからねえ。
 それにつき合う私は、大変でしたよ。」
 と、
 その時期の僕の貧しい限りのくせをして破天荒な生活ぶりを披露して、
 会場にいた人たちを驚かせていた。


 それから、僕が挨拶して、






 乾杯となった。


 乾杯の音頭は、
 僕の特定郵便局長時代の後輩で、 
 今は信越特定郵便局長会の理事をしている、
 新潟県上越市の稲田郵便局の西條英夫さん、
 彼にしてもらった。










 この西條英夫さんからは、
 一番極貧の放浪時代の5年間くらい、
 二日に一回くらいの頻度で、5千円を送らせて、
 そのお金でネットカフェにもぐりこみ、
 何とかその日を生き延びていた。

「女房に叱られながら、送り続けたもんです。」
 そんな昔話をして、僕の昔々を知らない読者を驚かしていたが、
 その彼が、壇上から、
「私が今、ここにこうして在るのは、
 世川さんのお蔭です。」
 とまで言ってくれて、
 まさか、彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったので、
 彼の気配りに、感謝した。





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白い彦根に戻ってきた。

2017年01月15日 18時48分05秒 | 1月14日『世川行介さんを声援する宴』


         白い彦根に戻ってきた。





 一夜明けた東京の朝、
 御徒町のホテル前から仰いだ空は、どこまでも青く澄んでいたが、







 空気は冷たく、
 上野界隈は、コートを着ていても、寒さが沁みた。


 昨夜は、二軒の店を飲み歩き、
 ホテルにたどり着いたのは、午前3時だったそうで、
 僕は、もうその時期の記憶を失っているが、
 とにかく、午前3時であったらしい。


 研一郎。残九郎さん。
 北上の平野さん。岡山のSさん。
 蒲田の長老、豊橋のOさん夫妻、
 京都のMさん。北九州のKさん。
 そして、僕。
 いつものメンバーだ。


 一緒に泊まって、
 起きた時には、北上の平野さんは帰ってしまっていて、
 残りの9人で喫茶店に行き、
 御徒町の駅で、
 二人っきりになりたがっている樋橋のOさん夫妻を解放してあげて、
 娘さんのところに向かう岡山のSさんにさよならを告げ、 
 御徒町の「ラーメン屋」に行って、
 ラーメンを肴に朝酒をやり、
 上野駅で、研一郎を見送り、
 京浜東北に乗って、東京駅で蒲田の長老と別れ、
 東京駅で、のぞみに乗る北九州のKさんと別れ、
 米原駅で、京都のMさんを「ひかり」に残して、降りた。












 米原駅は雪だった。

「フ~ム。雪か。
 風情があっていいな。」
 彦根行に乗り換えて、
 8分後に、彦根駅に着いた。


 彦根もやっぱり、雪だった。
 せっかくなので、
 西口を下りて、駅前の写真を撮った。









 


 それから、「本のがんこ堂」に入り、
 店長に、昨日のパーティーの引き出物を渡し、
 出来上がった本の見本を一冊贈呈して、
「たくさん売ってくれよな。」
 しつこく、しつこく、しつこ~く頼んでできた。


 それから、東口に回り、
 いつもなら5分の家路を、15分かけて、
 午後5時57分、
 わが部屋にたどり着いた。


 少し休んだら、
 昨日の報告を書こう。




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