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【2009+UDJ+Artworx=ことばま「恩」】

2009-01-28 | 「 S 戸 S 」


さー今年のUDJのことばま。つーことで、「UDJのことばまことばま」って何だ?つー人もいるかもしれませんが、
もー説明するのめんどくさイので知ってる人がいたら誰か教えてやって下さい。と思います。さ。
今年のUDJのことばま。ですが、今年のUDJのシュゴレーから降りたことばま。ですが、
その前に、去年のUDJのことばま何でしたっけ。そう、「おかえし」でしたね。

「おかえし」と言うことで、私はさー今年こそはLiveをぼんぼんやるぞー!
ぼんぼんやってみんなに「おかえし」するんだぞー!と、言っていたようにも思います。
でも、去年、どれだけLiveをやったのかといえば、たったの1回だけ。でした。
期待していたみんなには本当に申し訳ないけど、たったの1回だけ。でした。
だけど、決してLiveをやる気がなかったんではないんだ、テキトーにやろうと思えば何回でも出来たように思います。
でも、それでは、UDJのコトバマの「おかえし」にはならない。つーことでした。
やる以上はやりたい!と思うことをやらなきゃ意味ない。
人から要求されたとうりにやるようでも、真にやることにはならない。それは、UDJの「おかえし」にはならない。
実は、そのことを解る。思い知る。ということが、去年のことばま「おかえし」の意味だったんだス。
とかもーうざくてうざくてまったくもって理屈っぽくてわりいがココんとこは譲れない話なんでわりっ。

つまり。「おかえし」とは「有益」である。

という意味であることを知るための一年であった。
ということかもしんないし、ということでもあった。わけで、なにしろそれは、
今の自分のレベルではとても説明難しいものでした。去年のコトバマ。

でも、そんな中で1回だけでも、それ(Live)が出来たことは、救いでもありやした。
それ(Live)を1回でも出来た事で、「おかえし」を知るための手懸りを掴んだ。ことで。
でも、期待していたみんなには申し訳なく思うわけでありやす。
今年こそは期待にこたえるような私にならねば!そゆことで。

今年。マイ・シュゴレーから降りたコトバマというのは、
それは「おかえし」をしようと思っては「おかえし」にはならない。
真に「おかえし」をするということは、「おかえし」をしようと思っては出来ない。
ソレ自体が「有益」なるものでなければ「おかえし」ではない。的なところからのもの。
そのような感じを持つ、去年の続編のようなものと出ました。

それは「恩」です。「恩」を売るとかの、「恩」

一見傲慢のようにも思えますが、それは義理をつくれということではありません。
つーかさっきから何言ってんだかさっぱりわからないだろう。
私の作文力ではまったくぜんぜん説明出来ない、やっぱシュゴレーからの声コピペで以下いきやす。



頑張った分だけ、人から評価されるのは、うれしいもんじゃ。

でも、中には、「これだけ働いているのに給料が安い!出世が遅い!」あるいは、
「これだけ一生懸命仕事してるのに、中々認めてくれない!」とか、
周りからの評価を不満に思う人たちは、このご時世、大勢いるわな。

そんな人は「如何に自分が認められるか!」という事ばかりに夢中になって、人からの評価が低いと、
これでもか!これでもか!と、もっと頑張るわけだけど、多くの人からのほめコトバや賞賛を得ようと
頑張って頑張って頑張るほど、周りの人は、それを認める事によって、何か、自分から持ち出しが出るような感じ、
何か、小遣いが減っていくような感じがするんじゃのう。
いかにも認めて欲しそうに動いている人を見ると、その人をほめたりすれば、損をするような気がするんじゃ。

それは、結局は、愛を奪っているのでそうなる。わけなんじゃ。

中々そうカンタンにはほめてもらえず、だから、もっともっとほめて欲しそうに活動する。
すると、そういう人に限って、ますます人は「あいつは目立ちたがり屋だ」とか、
そんな評価が返ってきて、そして、ついに、ジレンマがはじまることになる。
「こんなに一生懸命やっているのに認めてくれないというのは世の中は不公平である!」
「人の能力を素直に見ようとしない人たちばかりだ!」とか、考えはじめたりしてな。

ところが実際は、人から認められよう認められようと思ってやっている間は、
他の人が良く見えることがないんじゃ。
自分が認められる時を中心に考えている人というのは、他の人が良く見えることがないんじゃ。
他の人は、自分を支えるための、神輿をかついでいる人だというような錯覚に陥って来る。すなわち。
自分が舞い上がることばかりを考えている人は、決して他の人を生かすこと、幸福にすることが出来ない。


人というものは、非常に敏感なもので、その人と付き合って決して自分が幸福になれないと感じると、
遠ざかって行くんじゃ。どうしても、一線を画したいと思いはじめるんじゃ。
そうなるとどうするかと言うと、批判をするようになる。みんな冷たい人間ばかりだと思え、
嫌がらせをするようになったり、悪口を言うようになったりするんじゃ。無意識に。

だから、自分がもし挫折の中に置かれたり、あるいは、絶好調だったのにダウンしたり、
そういう試練の期間があったとしても、決してそれをマイナスだと思っちゃいけないんじゃ。
その期間にこそ、みんなの魂は磨かれる、と同時に、人々の心がわかるようになっていくんだからのう。

ジブンがジブンがと思っていたところが、そんな自分なんかいなくても、
その仕事は順調に動いていく、ということを見るに到るのじゃ。
すなわち、自分一人の力でやっているのではなくて、多くの人たちのチームワークによって
本当は成り立っているわけなんじゃすべては。
だから、自分が自己発揮出来る前提には、他の人々の力がある。それを忘れてはいけない。

自分のことばかりでなく、相手の立場にたって考えてみると、意外なことが見えて来る。

この上司は、自分を評価してくれなかったと、長い間ずっと、恨み辛みを思っているとする。
その時に、自分はその上司が出世できるように、それほど仕事でサポートしたことがあるか?
と考えると、あまりしていないことがある。それでいながら、自分が評価されていないことだけは、気になる。

思うように評価が得られない時、「こんなに頑張っているのにどうして!」と苦しくなる時があるな?
でも、本当に相手のことをサポート出来ていたかを考えてみると、心のどこかでは、自分のためにやっていたり、
見返りを求めてやってたりして、実は、思っていたほど相手の役に立っていなかった。ということもあるんじゃ。

本当に評価される人というのは、相手の役に立っているかどうかということを、考えている人なんじゃ。
それは「有能」な人間ではなくて「有用」な人間であることこそが大事だと思っている「有益な人」のことじゃ。

その人の個人的能力が高くても、組織の中でプラスにならなければダメなのじゃ。
組織というものは、その人の能力自慢のためにあるわけではない。
したがって、自分のように能力のある人間が、何故出世しないのか、何故冷遇されるのかと思っている人は、
「有用」かどうか?「有益」かどうか?というところに、必ず答えがある。

「有能」な人間とは、個人の才能に没頭している人。「有用」な人間とは、実際に相手やチームの役に立っている人。

この、「役に立つ」人間を目指すことが大切なんじゃ。これからの時代。
「有能」ではなく、「有用」こそが、これからの時代大切なんじゃ。
それは、「有益なる存在」であって奪う側の存在ではないということだからじゃ。
自分のことばかりでなく、どうしたらチームに貢献出来るか?チーム全体が評価されるか?
こうしたことを考えるようになってくると、逆に、評価される人になっていくんじゃ。それが、「有益なる存在」じゃ。

だから、給料の10倍働く。ということを目標とすべきなんじゃな。

それは、時間的なことにおいて10倍働くではなく、その中身において、
10倍の価値を生み出すように心掛ける。ということを目標とすべき。ということじゃ。
つまり。職場に対して「恩」をうるような力強いお前であれ!つーことじゃ。
積極的にみんなを引っ張っていき、みんなの生活を良くしていけるような。
自分一人の生活が良くなることばかりを考えるのではなく、お前がいるために、
周りの人みんなが良くなって行くような、そんな存在になりなさいということじゃ。

自分の評価ばかりを気にしているうちは、心に苦しみをつくっていたのに、
逆に周りの人に対して、恩を売るような自分となった時、
心の苦しみは消え、同時に不思議と自然に評価も上がって来るわけじゃ。それが自然の法則。

評価される人になるためには、「恩をうる」この「与える側に立つ」という、
このシンプルな宇宙の真理がキーワードなのじゃ!

え何?別に今はもう評価される人とかになろうとかアホな考えしてない?
阿呆!それは世間の人からの評価だろうが!私が言ってるのは、天からの評価じゃ!
天から評価を受けることこそ、人間がこの世に生きる理由なんじゃぞ!
それは、お前が「自然界」の一部であることを認められるようなもんじゃ。

しかし人間は元々誰もがみんな「自然界」の一部なのじゃ。だが今のこの世ではそれがとても困難な事になっておる。
あまりにも不自然きわまりなくみんな生きておるからじゃ。自然の一部であるくせに自然にまったく脆く無知のまま。

とにかくお前たちは元々自然の恵み。「恩恵」そのものでもあるということじゃ。
ゆえに、「恩」そのものであるなら、もっと、「恩」をうらんかい!ということじゃ。
おかえししよう、感謝しようと思うことは大事な事だが、自分も元来感謝されるべき存在、
自然の恵み「恩恵」であることを忘れてはいかん!ということじゃ。
今の世の人間たちには恥を知らぬ者たちがクサルほどおるが、忘れておるからそうなるのじゃ。
誰もが「恩恵」であること。それを知るのじゃ!それを伝えるのじゃ。みんなは大したヤツなんだと。

自然に感謝が出来、自然に対して謙虚なる自分となれ、お前を愛してくれる貴重なファンや仲間にも
心から尊敬し感謝出来るようになったというなら、そのままで良しとしていてはいかんのじゃ!
自分もそれらとまったく変わる事無く「恩恵」そのものの存在であることを、
「おかえし」として出していかねばならぬのじゃ。ゆえに「恩」をうるような人間になりなさい!というのじゃ。

Liveだって。やりたいことをやらねばいかん!と固く考えずに、ただ「恩」を出せば良いと思うのじゃ。
それが「音」になる。

自分の「恩(恵)」をうるということ自体が、それこそ真なる「おかえし」であって、またそれが、
自然なる恵みであるなら、それは天からんもの。ゆえに、それは出す事で天にかえすものとなる。
自分自身の「恩恵」を出す(うる)ことで、天はソレに共鳴し響き動くということ。それが「奉納」じゃ。

自分の子供たちが、しっかりと自然の恵み「恩恵」となって、
さらに「有益」に生長し続けながら、やがてはこの宇宙にとって大いなる「有益」なる存在として
その光を発し生きて=運動(仕事)していることを知る親の歓びは、
まさしく真なる「おかえし」の何ものでもない。ゆえに「恩」じゃ。ソレを売るのじゃ。
本来人間には、売り物があるんじゃ。そのままを売って生きていけるものがあんのじゃ。

感謝や謙虚は、今の人間にとても必要な事じゃが、それを会得出来るようになったのなら、これよりは、
「恩」をうる者となりなさい。
そうなってこそ、はじめて有用「有益」なる存在となるつーことじゃ。
本来の自分。自然なる恵み=自己に戻る。ということじゃ。それでやっとスタート地点に立てる!ということじゃ。

そうなってやっと、この不幸な時代においての意味、
進化のはじまり。奇跡のはじまり。感動のはじまり。幸福のはじまり。に行き着けるのじゃ。

今のこの100年に1度の大不況と言われる時代は、まさしくチャンス到来の時代でもある!ということなのじゃ。
ゆえに、そんなチャンスを逃さぬように、今年は特にこのようにウザ~く言うわけじゃ。
アホではないからといって、謙虚になって感謝してるだけでもはじまらない。
給料の10倍の価値を生み出すような仕事をして「恩」をうるような者となることで、
やがては恵みを与える「有益」なる存在として評価され、天から護られながら、これからの時代を
人生楽しく幸福にいつまでもワクワクしながら生きていけることになるだろう。

ならば、さぁ!今からそのお前のアホの意識のスイッチを「恩」に、ONせよ=っ!

*********************************************************************************************はいっ!

ここまで話して最後の最後で、オヤジギャグでださく終る。
つーところが何とも私のシュゴレーっぽいところでもあったり恥ずかしいところでもあったりしますが。

そういうことだそうで。そゆわけで、今年のUDJ+ことだまは、「恩」つーこととなりやした。
それは、私の場合、「音」かもしんないし、いや「温」「御」「雄」「ON」かも、けど「恩」! 
みたいな「恩」。それを、売れ。放て=!つー。ことだそーだス。むずかしーぞー!アホな俺だけに。
つーかヒトサマに売れるような「恩」など、今の私のどこにあるのだろう?どこにもないぞ。やべーなおい!
でも、それを今年のコトダマとして忘れずに一年生きていけば、何とかなるべ。みんなもなるべ。




それにしても、今年の「初場所」は、素晴しかった。
それは、世界中で「逆境=プレッシャー」を背負い迎えた「新年」の「興行」としては、
ある意味オバマ大統領就任式よりもパワフルで崇高なまでに価値のある、
とてもとても誇れる日本で行われた「奇跡的な興行」だったと思いやす。

もちろん朝青龍は、その奇跡の物語の主役でありやしたが、その物語の中では、
朝青龍に対して決して全勝優勝はさせずに横綱の意地を通した白鵬の物語も素晴らしかったし、
朝青龍とは反対に初日から連敗続けた新大関・日馬富士の物語だって、横綱白鵬との勝負で勝利するという奇跡を起こし、
それがなければあの優勝決定戦もなかっただろうし、白鵬の物語も朝青龍の物語も、あれほど盛り上がる事はなかったでしょう。
ゆえにこの3力士は、共に、「初場所」をあそこまで素晴しい「物語=興行」にさせた核であり、
3力士ともに、この「逆境に打ち勝つ」という奇跡の物語においてはみんな主役でした。
ゆえに、ココの総理大臣である私は、その3力士に、国民栄誉賞を与えたいと思いやす。

また、朝青龍のガッツポーズについてまたまたとやかくテレビでは言われているようですが、
それについては、日ハムにいた「新庄」選手の事を思い出してもらえば良いと思います。
新庄選手の残した数々のパフォーマンスは、神聖なる土俵上でのガッツポーズどころの騒ぎではないほど、
旧態とした野球関係者やファンからは、不快に思われバカにされるものでもありやしたが、
彼は、そんな声にもめげずに勇気を持ってその意志を貫き、その結果、当時1リーグ制でのストなどで低迷していた
野球界全体の暗雲なるイメージに光を与えたり、人気のなかったパ・リーグを華やかにしては、
ついに自分のチームを日本一にまでにさせるなど、野球界に多大な貢献を果たしました。
朝青龍だって、これまで低迷する相撲界を何度救って来たことでしょう。
今年の「初場所」1つだけとっても、その貢献度の大きさは誰にでもわかるほどでしょう。

あの優勝決定戦で優勝を決めたときに見せた朝青龍の土俵上でのガッツポーズほど、
芸術的で、美しいまでに「神聖」な「絵画」はありません。
あの姿は、朝青龍の進化した姿を現しているのだと私は思いました。成長した姿だと思いました。
そうでなければ、あれほどの奇跡の優勝など成し遂げられるわけがありません。
あの時のガッツポーズは、今までの朝青龍のソレとは全然質が違うと思います。
それは朝青龍本人を含めた相撲を愛するすべての人たちの感極まった感動の心全体を、
反映現した、それこそ芸術的で神聖なまでに美しい光景だったと私は思います。
そうと思うこともなく、ただただそれを過去のやんちゃで未熟だった時代の朝青龍と同一上の行為として考え、
偉そうに自分こそ相撲を愛する者であるとして、せっかくの「光」にウンコするような批判を
平気でテレビで言えてしまう人たちの存在が理解出来ません。

大麻問題だって、それほど大罪なのだろうか。

古代では「大麻」を平和の象徴、神聖なるものとして扱い、いろんな神聖な儀式や祭りなどで、
それを使用したりしては、心を浄化し元気にさせ、みんなで健全に頑張って生きていた時代だってあるのに。
それよりも大罪なのは、平気で無気力相撲をしているような力士こそ相撲界を汚染させる者たちではないのか。
本気で「もう一度相撲をやらせて欲しい!」と訴え熱望し反省し真剣に許しをこうているんだったら、
やらせてやるべきだと思う。

世論にただただ従ってるとしか思えないようなほどに簡単にもののように抹殺してしまうのではなく、
相撲界も世間も、もう少し暖かい目でみてあげて、もう一度チャンスを与えてやるべきだと思う。
そんな真剣なヤツなら、そのチャンスを一生大事に感謝するほどに思うだろう、そして、その返礼として、
私たちの心沸かずような良い相撲を見せる力士となるよう、きっと励むはずだ。それが自然の流れだから。

なんでこうも今の世の中の人たちは、人を生かそうと動く事が出来ず、人を簡単に殺そうとするのだろ。
自分さえも生かす事が困難な時代の中で、必死に自分だけは生き残ろうと、ただ感情的になってるだけのように見える。

無慈悲にも突然住む家も職を失い、職場であった企業に対してその怒りをぶつけ抗議するのは良いけど、
どうしてもそうせざるを得なかった苦しい会社の事情の理解を1つも持たずに、
「何で俺がこんな目にあわなければいけないのだ!」と頭が一杯で、無責任なマスコミの同情心の罠にはまっては、
自分の働いていた元職場を、ただただ悪辣非道の会社だとして感情的に怒り憎しみ抗議したとて、1つも解決するわけない。

だって、会社に対してそのように思う者を、どうにか頑張ってまた我が社に復帰させ救おう!などいう気になるだろうか。
そうしなければ仕方が無かったのだろうと少しでも会社に理解を示すものこそを、
まずもって申しわけなく思い、どうにかして何とかしたく思えるんじゃないだろうか。
それは決して甘い考えではないと思う。それが道理の世界だと思うから。

またそれほど酷いと思う会社なら、そこは自分の仕事場ではないじゃん。
そんな会社ならむしろ自分の方から去るべきだろうと思う。

いくら100年に一度の大不況で苦しい状況に襲われていようとも、
そういう気概で生きていない自分こそが、何よりも不幸の種を蒔いている事に気付くべきだ。

自分の仕事を真に愛し、真面目にやっていた人なら、一時そういう不幸が襲っても、
必ずいつかどこかで救うものがその人の前に現れるはずだ。それが自然界の法則であって、
不自然なままに生きていることこそが、問題の根本であり、今の状況を改善したいのなら、
一度、自然なる自分にリセットさせることこそがまず大事な事だと思うわけだス。

自然なる自分を取り戻す事が出来、頑張って生きていれば、必ず自分のすべき「仕事」はやってくる。
宇宙はその人を働かせようと(運動させようと)動き出し、その人の職場(運動場)を与える。

にもかかわらず、あいかわらず人たちは、自分を生かす事も困難なほどに弱々しく、その不自然さは増すばかり。
自然なるものは、害であったり敵であったり猛威であったり恐怖であったりする中、
ウイルスはワクチンも効かぬほどにますます増強し、このままでは、いつまでたっても大不況は拡大するばかりだ。

そんな時こそ、朝青龍のガッツ・ポースだ!

逆境に打ち勝ったあの優勝者の発する波動こそを一杯浴びては一杯もらっちまおう!
それをいけない!とする不景気の象徴のような闇ぁ~い声(波動)などは一切相手にせず無視して、
そっちの方に「自然」に導かれ動いていけばいいだけだ。

朝青龍のガッツ・ポースこそ「恩」だス。みんなも「恩」をうるような人間になれぃ!



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2 コメント

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自然が導くほうへ (U-1)
2009-02-16 14:14:51
だいぶ、セイボウさんの日記の日付から時は流れましたね。
今、あらためて読んでみて、人生のあらゆる場面で、『こうあればいいんだな~』『こういう意識で判断、行動すればいいんだ。』『自然が導くほうへすすめば、いい結果がおのずとついてくる。』という指針が戴けました。
Unknown (saybow)
2009-03-05 12:57:25
指針が戴けました。
なんていうきれいな言葉使うようなU-1なんだ。
つーかいろいろあったんだよなぁU-1な。
ここ最近のおめーのコメントは、生々しいんで、何か、
感動する。頑張ってんだと思うと。

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