毎回更新されるたびに必ずiTuneポッドキャストからiPodにダウンロードし、
そのすべてを逃さず聞いてる番組、「田原総一朗のタブーに挑戦」で、
番組を愛聴してる私にむかってさかんに「何しろ面白いから観なさい!観るべきだおまえ!」
と指までさして言ってた幻聴映画、「靖国 YASUKUNI」を、
世田谷美術館は冒険王・横尾忠則」展に続いて、これまた「初日」の封切り日に観に行って来た。
何故「初日」に行くのか?というと。
どっちも、行こうと思って行ったらただ偶然だった。つーだけの話。
なんだけど、多分、初日だからだろう、今回の「靖国 YASUKUNI」の場合、
政治的な介入などの問題で危険を怖れた劇場側が急遽上映を中止するも、
それまで「靖国問題」に対して、稚拙で無力な報道しかしてこなかった
稚拙で無力で無責任な日本のジャーナリズムに対して、日本人が「靖国」を知るために、
この映画が、いかに意味を持つ面白い優れた作品であること。
さらに、半強制的に上映前に試写会「検閲」を行い、
これは偏った「反日映画」であると表明した一部の政治家たちに対して、
ジャーナリストとしてこの映画に強く感銘した田原総一朗氏の、
メディアを通しての強い訴えはたらきかけなどで世間に大きな反響や賛同を呼んだ事で、
劇場側は上映中止を取り止め、再び上映されることになったという経緯があってか、
着くと、大勢の警官隊と報道陣がその映画館の入り口付近にとり囲んでいて、
何やら緊張ものものしい感じ。しかも館内は全チケット完売するほどの盛況ぶり
そんな大賑わいでお祭り的な光景が、これから観ようとする自分としては、
何だか、観る前からもーそーりゃ結構な興奮を感じさせてくれて、
そんな中で始まったこの映画。
見終わった私の感想は、まったく「タブーに挑戦」で熱く語った
田原総一郎の気持ちとまったく同じ。
「これほど靖国追究に勢力を注ぎ込んだ映画はない。凄まじい作品である。
観るのは辛いが目を背けるわけにはいかない。何しろ面白い!観ろ観なさい!観るべき!」
と、iPodでその声を聞く俺に向って指を突きつけて、
「日本人ならこの映画を観るべきだ!」と「udj」の俺に訴えて来た、
あの田原総一朗の気持ちが、よーくわかった。
この映画は監督も中国人ということで、あさ~い観点で一見すると、
反日映画だ。プロパガンダ映画だ。と声明し圧力をかけた政治家と同じ
感情的な感想を持つだろう。こともよぉ~くわかった。
しかし、この映画を実際に観た大方の人たちは、この映画は、
反日も親日も関係ない優れた「ドキュメント映画」であり、
それは「戦争」が起きる原理。
どこの国とか全然関係なく、ただただ「人間」が起す「戦争」というのは、
こんなふうにして起きてくるのだなぁ~。しかも、笑える。可愛い!
エンターテイメントとしても十分イケルほどに面白い!
的なほどに、頑張って私たちにわかりやすく伝えてくれた、
けっこー優れた「中国人」による「ドキュメント作品」だわ。と思うだろー。
少なくとも私はそう思った。
日本人なら観るべきだ。という田原氏の気持ちも充分なほどに伝わった。
だから、こうして久しぶりにそのことUBA(俺のブログ)にキスわけだけど。
その感じどんなもんかと気になりヤフーなどの作品ユーザーレビューを見に行ったら、
ほとんどが、なんだかんだいって圧力をかけた政治家たちと変わらずの、
感情的なる視線での評価に驚く。
私は「反日」も「親日」も関係なく、10年もその日(終戦記念日)の靖国をその人を、
あんなに頑張ってすぐそこのその制服に触れるまでの距離感で挑み撮影記録しつづけ、
それをあんなにニュートラルに「靖国」をとらえた優れた「ドキュメント映画」はないと思えど、
そうは思えず感情的にそれをとらえる日本人の多さにがっかり。
その映像から現れる靖国とそれをとりまくいろいろな国の人たち
その「テーマ/光景」からは、ちゃんとに良いも悪いもみな潜在させている事、
どちらがいけないただしいでもなく、どちらもいけないしただしい。
どちらにおいても、その原因その問題は、「靖国」でもなく「国」でもない。
ただただどちらも同じ「人間」に在るだけ。「人間」がつくっているだけ。
今在るすべてのその原因と問題は、どちらの国も国籍も国民性も関係なく、
「人間」がみなちゃんとに同じ「人間」で在る事で解決する。
「人間」なら。誰もが戦争は愚かな事であることを知っている。
それこそが「人間性」だし。
それを知らずにそれを遂行しようとする人間がいるように思えるけど、
それは「人間」のように見えて「人間」じゃない。そこには「人間性」がないんだから。
「人間性」を持たぬ「人間」を「人間」とするから、
「同じ人間」とは思えぬことになって、戦争は起きる。
国や家族を守るために仕方なく戦争をする人間も人間じゃない。
国や家族を守るためというからおかしくもなる。時がある。それは、
人間は同じ人間を守る。ということなんだから。
人間が人間を守らない守れない時代はまだまだツヅク。
「自分」に打ち勝ち「自分」を真に守れない人たちの時代はツヅク。
それは永遠の宿題だ。
また「人間」なら誰でも失敗や過ちはする。
しかし同じ人間なんだから、その非や罪を必要以上に責めるのはおかしい。
自分だっていつか同じように失敗や過ちをおかすんだから、その時どうする?
憎しみを憎しみで永遠にし返し合っていたら、人間は滅びるだろう。
人間なら、みな同じ人間なの。
失敗や過ちをおかしたら、反省すればいいだけ。
そして「人間」は、反省する人間をゆるすものなの。
それが「人間性」。
「人間」はアホな時もあれば賢くもある。それを分かり合えるのは、
同じ「人間」しかいない。
そこには「ニュートラル」なる世界がしっかり在る。あいあるせかいが。
追伸。優れたドキュメント作品だと書いたけど、この映画には下手なとこもある。
「百人切り」におけるその作者・監督の編集力は、へただなぁ~と思った。
私が監督だったら、歌手出身のメリットを利用し、その編集力を自慢の歌唱力でもってこさたるぜ。
とか、思った。でも。人間だもん。完璧なもんなんてウソだもんよぉ~~。と。