山形長井食彩館・須藤米店

山形の美味しい情報や飯田百貨店(現コモディ・イイダ)時代の思い出・その他旬の話題等々

山菜の王様【しおで】

2012年05月31日 | 山形県長井市の旬の情報
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山形県長井市、今朝は寒かったですね。


山形県の青果市場には、

山菜の王様と言われている【しおで】が入荷しています。


これで、山菜等の山の物が勢揃いしました!

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新幹線・E4系MAXあさま

2012年05月30日 | インポート



※走行映像はイメージです。

長野行き新幹線・【軽井沢-東京】の上り限定の臨時列車で走っていました。

【E4系MAXあさま】・・・・・・・現在は臨時運行しているかは???


電力の都合上、長野始発ではなく

東京発下りの場合、乗客を乗せた総重量では30/1000の碓井峠では停車してしまう危険性がある為、

軽井沢始発の臨時列車のみになってしまいました。



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米屋のブラッシー

2012年05月30日 | インポート
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山形県長井市で5月27日に開催された


【小桜朝市】

【米屋さんブラッシー】


いや~懐かしい~と好評でした。

ありがとうございました。
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E4系新幹線16両編成

2012年05月29日 | インポート
2012・3のダイヤ改正で、あまり注目を浴びることなく消えてしまいました。

【東北新幹線・E4系16両編成】

上越新幹線の東京-越後湯沢間では、その雄姿は健在のようです。



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うす皮丸なす・山形県長井市

2012年05月29日 | 山形県長井市の旬の情報
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山形県の青果市場の様子です。


山形県置賜地方特産の【うす皮丸なす】の漬物が入荷。


本当に、味も良く皮も軟らかく美味しいですよ。

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ドジョウで胃のそうじ・飯田百貨店の思い出

2012年05月28日 | 飯田百貨店(現コモディ)の思い出
㈱飯田百貨店(コモディ・イイダ)安行店に在職していた、昭和61年~平成元年の思い出話です。



当時の鮮魚部の売り場は【対面販売】もしていて、
いろんな魚が並んでいる脇に、季節によっては【ドジョウ】の販売していました。
ドジョウは当然、柳川風にして食べるのが一般的だと思います。

終礼が終わり、帰り際に鮮魚部の先輩が

「ドジョウは、生で飲み込むと胃のそうじをしてくれるんだぞ~」

その先輩の言葉を信じ、ドジョウを一匹、口の中へ・・・・・・

そうです。ドジョウの踊り食いです。

食道を通っていくドジョウの感覚は確かにありました。

その後の感覚はありませんが、たぶん胃のそうじをしてくれた事でしょう・・・・

先日、たまたま【ドジョウ】を検索したら赤い字で一言

【輸入品は○○○○の危険性がありますから、生では絶対食べないで下さい】!!??

ま~、時も経ってるし、当然国産だから大丈夫でしょう。

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小桜朝市・山形県長井市

2012年05月27日 | 山形県長井市の旬の情報
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山形県長井市、【小桜朝市】の様子です。


朝一番からスゴイ賑わいでした。


ご来場いただき誠にありがとうございました。

来月は、6月24日(日)に、会場を変え高野町で開催致します。

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小桜朝市・山形県長井市

2012年05月26日 | 山形県長井市の旬の情報


長井市宮小桜街区まちづくり協議会が主催する、

【小桜朝市】が今年度も5月27日(日)からスタート致します。

27日(日)は朝6時から、長井市大町の【ササキ花屋】さん前で開催。

【須藤米店・米屋のおにぎり】も出店させていただきます。

当日は、小桜朝市限定で【つや姫・おにぎり】を販売致します。

ご来場を心よりお待ちしております!!宜しくお願い致します。



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商店街はなぜ滅びるのか

2012年05月25日 | インポート


ドキットします!! 気になる本

【商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道】 (光文社新書)

新 雅史 (著)

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ここからは、
『商店街はなぜ滅びるのか』+求ム翻訳x2 - HONZ http://honz.jp/11201より引用


商店街本を紹介したい。著者は1973年北九州生まれ、炭坑の街北九州の酒屋の息子である。角打ち(酒屋で立ち飲みすること)で店兼自宅の周りは毎日酔っぱらいが囲む騒がしい環境で育ち、その環境を忌み嫌い、また両親も酒屋を継ぐ必要はないと子どもたちに伝え、子どもたちは家業を継ぐことなくみな大学へ進学。酒屋は時代の波に乗るように流されるようにコンビニに業態変換を行い、20人のアルバイトを雇っている。著者の両親は昼夜問わずコンビニの現場で働き続けている。ここまでが本書のあらすじ、ではない。これは本書のあとがきの一部である。

話は飛んで東日本大震災。多賀城市と石巻市、著者が現地に足を運んだ復興の現場風景。石巻市の取り組みはメディアにも頻繁に取り上げられてきた。しかし、被害状況の差はあれど同じく被災した多賀城市の現状は語れることは多くはない。二つの都市の違いは端的に言ってしまうと、商店街の有無である。多賀城市は仙台市のベッドタウンであり,Wikipediaに「”市の中心部が存在しない”という特徴を持つ」と言わせるほどだ。被災三ヶ月後、バイパス沿いに並ぶ全国チェーンの店舗やショッピングセンターのうち、再開する店舗はわずかで、ボランティアをほとんど見かけることはなかったそうだ。一方で石巻市の商店街地区はボランティアを見かけないことは考えられないほどににぎやかで、商店街の有志と外部のボランティアが積極的に交流して、街の未来を共に考えていた。石巻の商店街にはレベッカ・ソルニットが言うところの「災害ユートピア」が立ち現れていたと考えることもできる。なぜ、津波で崩壊した後でも、商店街には人々を引きつける魅力があったのであろうか。

著者の原体験と東日本大震災の現場で立ち現れた商店街の蘇生力が著者を商店街の盛枯栄衰を描き出す試みに向かわせた。
その商店街が持つ魅力と可能性を紐解いていくためのスタートは1920年からスタートする。帯で上野千鶴子先生も驚いているように商店街は古くない、実は新しい。商店街の登場は当時の現実的な事情 -農民層の減少と都市人口の急増- が背景にあった。富国強兵の最中、1000人を超える大工場も登場していたが、企業は今と変わらず学歴重視で、学歴を持ち合わせない農村出身者は就業が厳しい状態であった。農村を捨て、都市に流入してきた人々は生き延びるために資本をそれほど必要としない小売業を始めた。1930年初頭の東京市内にはお菓子屋が16世帯に1件、米屋が23世帯に1軒と、その過密状態は数字にすると凄まじい。事業も無鉄砲・無計画で専門性もない。浦和市では小売店の寿命は24ヶ月弱、銀座で4年程度であった。そのような情勢で、表面化していた課題は零細規模の商売を営む人をこれ以上増やさないこと、小売業の人々の貧困化を防ぐことにあった。
そこで商店街が”発明”された。

第二次世界大戦後、商店街は急速に増殖する。その証拠に設立時期が昭和20年以前の商店街はたった6%である。その当時,国政は「製造業中心の経済成長」と「完全雇用の実現」をビジョンとして掲げていた。製造業は朝鮮戦争の特需等で生産性大幅に上昇した一方で、雇用の増加はわずか4%であった。その傍ら、戦地からの引揚者と農地改革によって溢れた農村の二男三男が労働市場に流れ込んでいた。今じゃ考えられないが、昭和30年の長期計画で、海外移民を促進し、出産数を抑制するという計画を定め、実行していた。しかし、それだけではあり余る労働力を吸収することはできなかった。その矛先が第三次産業に向けられ、零細小売商、そして商店街は爆発的に増加した。そこから零細小売商は行政を相手に大規模店舗の規制と自分たちの保護を主張し、権益を獲得していく。カリスマ中内率いるダイエーも商店街の反発を買い、店舗展開を思うように進められなかった。

商店街の凋落がはじまったのは、1973年のオイルショック後である、日本初のコンビニエンスストアが誕生したのはその翌年である。日米間の貿易摩擦により規制緩和がぐっと進行し、それに抵抗できない零細小売商は公的資金、補助金漬けになっていく。バブル以降、公的資金の投入により、国道バイパスが次々と開通しバイパス沿いに大規模な小売チェーンが出店し、商店街の商圏が崩壊し、その存在意義も同時に失っていく。と同時に大手ショッピングセンターはその裏側でコンビニの出店も押し進めていく。
コンビニは当時、小売業者が抱えた悩みを解決するものだった。著者の両親が経営する酒屋を含め。そして、イトーヨーカドーやダイエーに代表される大規模小売資本の思惑にも合致していたのである。その思惑は本書を購入後のお楽しみ。コンビニがあっという間に日本全国に広がったタイミングとそれが商店街の衰退が重なっていたのは偶然ではない。

農村から都市部への移動、都市肥大化・スラム化が激しいアジア・アフリカの大都市。そこにも商店街が”発明”される可能性はいかに!?

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山形の山菜・しどけ

2012年05月25日 | インポート
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今朝の、山形県の青果市場の様子です。


採りたて新鮮の山菜【しどけ】が入荷しています。
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お米屋さんのプラッシー入荷!

2012年05月24日 | 山形県長井市の旬の情報


【お米屋さんのプラッシー】入荷しました!!

27日(日)の早朝の【小桜朝市】で販売を計画中!?・・・・・未定?

 


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山形・長井市【白つつじ】3

2012年05月24日 | インポート
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全国的に有名な

山形県長井市の【白つつじ】


我が家の、白つつじも満開になりました。
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お米屋さんのプラッシー・昭和の味

2012年05月23日 | お米の話


みなさん、『タケダのプラッシー』というオレンジジュースご存知ですか?

知っている方は「あ~米屋さんで売っていた、あのプラッシーね」
思い出してていただけるはずです。

昭和30年~50年代にかけて、お米屋さんや自動販売機を
中心に販売されていた清涼飲料水(オレンジジュース)です。



① 『プラッシー』の由来  
  
  開発当初の昭和20年代は非常に栄養不足であったため、
  オレンジ果汁入り飲料(ビタミンP)にビタミンCをプラスした(プラスC)ことから、
  それに引っ掛けて「プラッシー」というブランドを確立しました。


② なぜ、米屋さんのプラッシーなのか?  
  
  発売当時、自家用車は普及していなかった為、瓶入り飲料は宅配出来る店に置くしかない。
  となれば酒屋か燃料店、米屋という事になる。
  発売元の武田食品は酒屋への流通ルートを持たないが、
  米屋にはあった。ビタミンB1強化米『ポリライス』を卸していたからです。


今では懐かしい【プラッシー】中々お目にかかれません。


この看板、以前うちの店にもありました!!

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第19回日本選手権オートレース優勝戦

2012年05月22日 | 飯田百貨店(現コモディ)の思い出
1987年10月7日、川口オートレース場にて

先輩方に、オートレースの醍醐味を教えていただいた頃です。

【ミスターオート・飯塚将光】の絶頂期

スピードも当然ですが、マシンの捌きが最高でした!!




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モンテディオ山形と共にクールビズ

2012年05月21日 | 山形県長井市の旬の情報
モンテディオ山形ユニホームで業務 山形市で「クールビズ」スタート

山形市で5月14日、ノーネクタイの軽装で過ごす「クールビズ」がスタートした。市川昭男山形市長や一部課の職員は、サッカーJ2・モンテディオ山形のユニホームや応援Tシャツ姿で業務に当たった。

クールビズは9月末まで市の施設で夏場のエネルギー節減を図る「エコ・サマーアクション」の一環。ノーネクタイ、襟付きシャツが原則だが「モンテの応援を」と、本年度からユニホームとTシャツは着用できることにした。

初日のこの日は、市川市長、滝井潤副市長をはじめ広報課やスポーツ保健課などの職員が、サポーターを表す背番号「12」のユニホーム、応援Tシャツを身に着けた。職場には爽やかなモンテブルーが目立ち、「慣れないので、ちょっと恥ずかしい」と戸惑い気味の職員も。モンテサポーターの職員は「みんな着て、もっともっと盛り上げてほしい」と笑顔で話していた




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