老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

本気で叱る とは

2012-08-30 10:08:22 | 会社時代
一昨日、「叱る」と「怒る」の違いを書きましたが、私が基にした樺沢紫苑氏のFB
は大変だったみたいで1記事に対する「いいね!」数が、1万4千という新記録を
達成したことから、たくさんの人が「叱る」という問題に、強い関心を持っていることが
わかりました。その追加記事からの引用です。

「叱る」と「怒る」の違い

人を叱るというのは、非常に難しいことです。なぜ私たちは、100%本気で
叱れないのか。それは、叱り、叱られるという関係性ができてないからです。
全く知らない人に叱られても、何の「気付き」も発生しないでしょう。

叱り、叱られる。そして、叱られた人間が、「気付き」を得るためには、
そこに「信頼関係」が存在していないといけません。

親と子。上司と部下。教師と生徒。そに信頼関係があって、はじめて
「100%本気で叱る」というこが可能になってきます。

信頼関係がなければ、こちらがいくら本気でも、相手には通じないのです。
信頼される人間から叱られて、はじめて「そうなのか」と自分の行動や考え方の
誤りを見直せる。反省する。「気付き」が発生するのです。

信頼できない人間から叱られても、反抗心、反発心しか生まれません。

「本気で叱る」ためには、信頼関係を作り上げるということが、前提として
必要なのです。信頼関係があるからこそ、叱られても「気づき」が得られるのです。

私の怖いボスから何度と無く叱られても、示すベクトル(目的)との差の指摘は
正しいものでしたから、「言っていることは間違っていない、正しい」と
常に信頼していました。

ただ、それが旨く(正しく)実現できない自分が腹立たしいもので、
家に帰ってから悔し涙を流していました。その時少しずつ短針の針が
長針の針に近づいているのを気づかせて頂きました。


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