今週中ごろ、朝少し違和感があり、大阪府立大学に着いて気がつきました。あの朝の
ざわめき「ざわざわ」否「わーん」に近いですがクマゼミの鳴き声がありませんでした。
マイミクの「あこっち」さんも同じ日に同じ「つぶやき」をしていました。しかし
ツクツクホウシが昼頃から頑張っていました。
私はセミの「ざわざわ」でしたが、大阪府大の森岡先生が日経新聞の夕刊コラムの
「プロムナード」に鳥や生き物の「ざわざわ」を書かれていました。(一部引用)
森岡先生はかなりのオーディオファンで音には拘りがあるようです。実際の雷の音を
聴いて「クリアーでいい音」とは思わなく、機械のよって復元される再生音の雷の音
に感動します。
しかし、森岡先生は再生されたものではない音の美しさに気づかれました。友人の家を
訪ねた時に、肩に停まった小鳥が少し首を傾げながら耳元で囀った「チュルチュル」
でした。耳元で発せられたその生音のすばらしさ、美しさに息を呑みました。
無数の周波数がそのひと鳴きのなかに濃密なコスモスとなって共鳴しているように
感じました。そして「こんな透き通った音が世の中にあるのか」と驚きました。
私にも同じような経験があります。わが家には娘が母親の誕生日にに贈った
セキセイインコがいます。手乗りではありませんので籠から出ませんが、いつも
窓の外にいる小鳥の仲間に「ピィ-、ピィー」と呼びかけています。
あるとき籠の傍のソファーで転寝をしていましたら、「チュルチュル」と語って
くれました。何度も何度も甲高い「ピィ-、ピィー」ではなく「チュルルン」とです。
まるで小さい頃、夏の昼下がりのお昼寝に傍で祖母が団扇を扇ぎながら語ってくれた
「昔ばなし」のようでした。
更に森岡先生は四万十川での豊かな自然の「ざわざわ」を書かれています。
小雨が引いた後、四万十川の流れを取り囲む緑の木々や、鬱蒼と生い茂った草むらから、
なんとも表現しがたい「ざわざわ」とした音が聞こえてきました。
それは草木が雨上がりの風に吹かれた音のようでもあり、あるいはまた四万十川を
住み処とする無数の生き物たちが、ざわざわと地面の底から動き始めた音のようでも
ありました。
そして川を見下ろす山の斜面で鳴く鳥の声が、その「ざわざわ」に溶け込んで、
あたりは一面、目に見えない生き物の気配で満たされているのです。
その「ざわざわ」とした音の気配、そしてその「ざわざわ」とした音の気配を背後で
支えているもの、それこそが「豊かな自然」というものの本体なのです。
セミさん、セキセイインコのピーちゃん、ありがとう。
ざわめき「ざわざわ」否「わーん」に近いですがクマゼミの鳴き声がありませんでした。
マイミクの「あこっち」さんも同じ日に同じ「つぶやき」をしていました。しかし
ツクツクホウシが昼頃から頑張っていました。
私はセミの「ざわざわ」でしたが、大阪府大の森岡先生が日経新聞の夕刊コラムの
「プロムナード」に鳥や生き物の「ざわざわ」を書かれていました。(一部引用)
森岡先生はかなりのオーディオファンで音には拘りがあるようです。実際の雷の音を
聴いて「クリアーでいい音」とは思わなく、機械のよって復元される再生音の雷の音
に感動します。
しかし、森岡先生は再生されたものではない音の美しさに気づかれました。友人の家を
訪ねた時に、肩に停まった小鳥が少し首を傾げながら耳元で囀った「チュルチュル」
でした。耳元で発せられたその生音のすばらしさ、美しさに息を呑みました。
無数の周波数がそのひと鳴きのなかに濃密なコスモスとなって共鳴しているように
感じました。そして「こんな透き通った音が世の中にあるのか」と驚きました。
私にも同じような経験があります。わが家には娘が母親の誕生日にに贈った
セキセイインコがいます。手乗りではありませんので籠から出ませんが、いつも
窓の外にいる小鳥の仲間に「ピィ-、ピィー」と呼びかけています。
あるとき籠の傍のソファーで転寝をしていましたら、「チュルチュル」と語って
くれました。何度も何度も甲高い「ピィ-、ピィー」ではなく「チュルルン」とです。
まるで小さい頃、夏の昼下がりのお昼寝に傍で祖母が団扇を扇ぎながら語ってくれた
「昔ばなし」のようでした。
更に森岡先生は四万十川での豊かな自然の「ざわざわ」を書かれています。
小雨が引いた後、四万十川の流れを取り囲む緑の木々や、鬱蒼と生い茂った草むらから、
なんとも表現しがたい「ざわざわ」とした音が聞こえてきました。
それは草木が雨上がりの風に吹かれた音のようでもあり、あるいはまた四万十川を
住み処とする無数の生き物たちが、ざわざわと地面の底から動き始めた音のようでも
ありました。
そして川を見下ろす山の斜面で鳴く鳥の声が、その「ざわざわ」に溶け込んで、
あたりは一面、目に見えない生き物の気配で満たされているのです。
その「ざわざわ」とした音の気配、そしてその「ざわざわ」とした音の気配を背後で
支えているもの、それこそが「豊かな自然」というものの本体なのです。
セミさん、セキセイインコのピーちゃん、ありがとう。