~人類の本能と歴史から~
そもそも「平和」とは何か?
「戦争のない世界」のことを多くの日本人は想像する。
そして、全世界の人がそう願っていると考えたがる。
もちろん、誰も好んで戦争をする人はいない。
戦争で、敵を殺すということは、味方も殺されるということである。
そんな危険を冒すよりは、戦争をしないという約束をして、誰もが共栄を望みたい。
そう考えると、戦争なんて絶対に起こらないという結論になってしまうのだが、実際はそうではない。
なぜなら、好んで戦争するのではなく、戦争せざるを得ないから戦争するのである。
戦争せざるを得ない理由は何か?
「正義のため」である。
世の中、「正義vs悪」なんていう単純な特撮ヒーローのようなものは少ない。
何かの理由で対立している場合、お互いが「自分は正義だ」と思っている。
まさか、「自分は悪だ」と思って主張している人は一人もいまい。
つまり、「正義vs正義」なのである。
但し、この場合、あくまで「自分の」正義なのである。
そして、「自国の正義≠相手国の正義」なのである。
ここで、もう一歩踏み込んで考えよう。
「自国と相手国」で考えたときに、全く同じ考え方をしていることは、100%ない。
「自国の正義vs相手国の正義」で考えたとき、どちらが正義か?
主張が異なる時点で、どちらか一方が正義であることなんてない。
ただ、「当事者以外のすべての国で出した結論」に従うしか、秩序は守られないことを認識し、
実行するだけである。
システム運用の世界では、「正常系」「異常系」という言葉がある。
正常系とは普段の日常業務が行える状態のことを言い、異常系とは予測し得ない突発的な
出来事が起こった状態のことを言う。
人類誕生から現在までという長いタイムスパンで見れば、安定的な生活を求めて領土拡大、
利権獲得しようとしていた「戦争が行われている期間」が正常系であり、
国際連合の組織の中でバランスが保たれている「平和な期間」が異常系とも考えられる。
「戦争が行われている期間」が異常系であり、「平和な期間」が正常系と言えるまでには、
少なくとも数千年は「平和な期間」が必要だろう。
第二次世界大戦後、わずか60年。
この平和な期間を「ほっとした一瞬」にしないための人類の挑戦は
始まったばかりである。
そもそも「平和」とは何か?
「戦争のない世界」のことを多くの日本人は想像する。
そして、全世界の人がそう願っていると考えたがる。
もちろん、誰も好んで戦争をする人はいない。
戦争で、敵を殺すということは、味方も殺されるということである。
そんな危険を冒すよりは、戦争をしないという約束をして、誰もが共栄を望みたい。
そう考えると、戦争なんて絶対に起こらないという結論になってしまうのだが、実際はそうではない。
なぜなら、好んで戦争するのではなく、戦争せざるを得ないから戦争するのである。
戦争せざるを得ない理由は何か?
「正義のため」である。
世の中、「正義vs悪」なんていう単純な特撮ヒーローのようなものは少ない。
何かの理由で対立している場合、お互いが「自分は正義だ」と思っている。
まさか、「自分は悪だ」と思って主張している人は一人もいまい。
つまり、「正義vs正義」なのである。
但し、この場合、あくまで「自分の」正義なのである。
そして、「自国の正義≠相手国の正義」なのである。
ここで、もう一歩踏み込んで考えよう。
「自国と相手国」で考えたときに、全く同じ考え方をしていることは、100%ない。
「自国の正義vs相手国の正義」で考えたとき、どちらが正義か?
主張が異なる時点で、どちらか一方が正義であることなんてない。
ただ、「当事者以外のすべての国で出した結論」に従うしか、秩序は守られないことを認識し、
実行するだけである。
システム運用の世界では、「正常系」「異常系」という言葉がある。
正常系とは普段の日常業務が行える状態のことを言い、異常系とは予測し得ない突発的な
出来事が起こった状態のことを言う。
人類誕生から現在までという長いタイムスパンで見れば、安定的な生活を求めて領土拡大、
利権獲得しようとしていた「戦争が行われている期間」が正常系であり、
国際連合の組織の中でバランスが保たれている「平和な期間」が異常系とも考えられる。
「戦争が行われている期間」が異常系であり、「平和な期間」が正常系と言えるまでには、
少なくとも数千年は「平和な期間」が必要だろう。
第二次世界大戦後、わずか60年。
この平和な期間を「ほっとした一瞬」にしないための人類の挑戦は
始まったばかりである。