シーバス世を泳ぐ

旅行や美味しいもの、ときどき政治や経済などのお堅いネタ…思いのままに書き綴ります。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

キリンコクの時間

2010-03-29 00:33:04 | Weblog
 麦とホップに感心してから、発泡酒というものにも目を向けるようになった。今日(もう昨日か)飲んだのはキリンの『コクの時間』。内田恭子がCMをしていたような気がする。さて一口…麦とホップとかなり似た味わいではあるが、これもなかなかだ。キリン、サッポロにレベルの高い発泡酒があるのなら、アサヒにもあるのだろう。今度スーパーへ行ったら、もっとよく見てこよう。全種類を一度に飲み比べてみるのも面白いかもしれない。
コメント

桜を求めて( 3)

2010-03-28 00:38:10 | Weblog
 前記事の後も、桜を求めて走り続けたのだが、この二本を超える桜には巡り合えなかった。しかも、気温が上がらなかったため、ミスドの新作ドーナッツ(沖縄黒糖ナントカと東京ナントカ・笑)を仕入れ屋内へ避難。本を読んだり昼寝をしたりし、テレビをつけると、「なぜ花見は桜なのか」というのをやっていた。桜と梅を比較してみた場合、花の咲いている向きが、梅が上下半々くらいなのに対し、桜はほぼ下を向いているのだそうだ。したがって、我々が上を眺めた時に、花がたくさん見えて綺麗だというわけだ。桜を求めての小旅行は途中でリタイアしてしまったものの、このプチ知識を得られたのは、まさかの収穫であった。来週は都内のソメイヨシノを見に出掛けようと考えている。
コメント

桜を求めて( 2)

2010-03-27 09:30:03 | Weblog
 道すがら、廃屋の敷地内に満開の桜を見つけた。桃色が強い名もなき古木は勇壮だ。
コメント

桜を求めて

2010-03-27 09:07:10 | Weblog
 今日は久々の完全休養日。寝て曜日では勿体ないので、早起きをして、桜を求めて出掛けてみた。
 写真は埼玉県寄居町の鉢形城跡に咲く早咲きの桜。快晴の空を背にした満開の大木は見事である。
コメント

サッポロ麦とホップ

2010-03-21 18:35:51 | Weblog
 お彼岸の三連休、最初の二日が仕事だった(苦笑)。流行りの言葉で言えば「自分へのご褒美」、昔の言葉で言えば「憂さ晴らし」(笑)で、帰りに酒を買うことに。いつもなら日本酒かワインなのだが、昨日今日と暖かかったのでビールにすることに。スーパーに寄って酒コーナーに行く。一番搾りにしようかスーパードライにしようか…すると目の端に写真付きのポップが入ってきた。はぃどぉもぉ~田村正和です(笑)。CMでお馴染み「田村がビールと間違えちゃいました」のサッポロ『麦とホップ』である。私は発泡酒と第三のビールの違いを知らないが、これは「リキュール(発泡性)」と書いてあるから発泡酒らしい。さて一口。うん、かなりビールに近い。これでロング缶が170円なら安いなぁ。給料も上がらないし、次回からはこれでいいか(苦笑)。
コメント (2)

ロスト・シンボル下(ダン・ブラウン著)

2010-03-21 13:36:58 | Weblog
アメリカ建国の父祖でフリーメイソンのメンバーであるジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンらは、あらゆる象徴を首都ワシントンDCにちりばめた。謎の男マラークは、彼らがこの街に“古の神秘”という人類最大の知恵を隠し、さらには、名門ソロモン一族がこの謎を解く鍵を代々守り伝えてきたというのだ。これらは全て単なる言い伝えにすぎないと考えていたラングドンだが、国家安全保障のためマラークの要求に従うよう迫るCIA保安局長のサトウと共に、暗号に導かれて連邦議会議事堂の地下室へ赴く。そこで、伝説のピラミッドの存在を目の当たりにする!人間、宗教、科学-根源的なテーマを強烈に突きつける、新たな衝撃作。(本書より)

 せっかくのお彼岸三連休だが、昨日も今日も仕事である(苦笑)。そんな中でも、少しでも空いた時間を利用してロスト・シンボルを読了した。天使と悪魔、ダ・ヴィンチ・コードの舞台はヨーロッパだったが、本書はアメリカの首都ワシントンDC。作者自身もそう感じていたようだが、ワシントンDCでは、ローマ(ヴァチカン)とパリという歴史的にも文化的にも華々しい前二作と比べて地味な印象を受ける。しかし、本書を読み進めるにしたがって、それが杞憂であることが明らかになるはずだ。全ての読者が、ワシントンDCを駆け抜けるラングドンに終始魅了され続けるだろう。
 本書の物語は、事件の発生から終結まで一日足らずである。にもかかわらず上下巻あわせて700頁だから、いかに読み応えがあるか想像ができよう。前二作同様、宗教や科学の薀蓄記述も多いが、知的好奇心を呼び覚ます興味深い話であるため、けっして飽きることはないはずだ。それに、具体的に書くとネタバレになるのでどうしても抽象的な書き方になってしまうのだが(この手の小説はネタが命)、本作の結末はとても深い。前二作がどんでん返し的な終結だったのに対して、本作はやや趣を異にする。アマゾンのカスタマーレビューを見ると辛辣な批判も見受けられるが、私はラングドンシリーズは小説として深化したと感じた。単なるエンタメ小説ではなく、人間という<罪深き>そして同時に<崇高な>存在の奥底まで探求した素晴らしい作品だと思う。また、「映像化を意識し過ぎている」という批判もあろうが、昨今の本離れ事情からすればやむを得ないだろう。皆さん、夜も暖かくなってきたことだし、DVDばかり観ずに本を読みましょう(笑)。本書は超お奨めである。
コメント

ロスト・シンボル上(ダン・ブラウン著)

2010-03-18 17:48:49 | Weblog
キリストの聖杯を巡る事件から数年後。大学での静かな生活を送っていたラングドンに、旧友から連絡が入る。フリーメイソン最高幹部のピーター・ソロモンからで、急遽講演を頼みたいという。会場の連邦議会議事堂に駆けつけるが、そこでラングドンを待ち受けていたのは、切断された右手首…薬指には見覚えのある金の指輪。フリーメイソンの紋章をあしらったそれは、ピーターのものに間違いない。彼を人質に取ったというマラークと名乗る謎の男は、ラングドンに“古の神秘”に至る門を解き放てと命じる。そして、切断された手のひらには第一の暗号が記されていた…。古来、人類が求め続けてきた究極の知恵“古の神秘”の真実とは?(本書より)

 象徴学者のラングドン教授が難解な謎を説き明かして事件を解決する人気のミステリー小説シリーズ第三弾。ラングドンシリーズではピンと来なくても、第一弾が『天使と悪魔』で、第二弾が『ダ・ヴィンチ・コード』といえば分かるはず。前二作と同様、上巻の半分くらいまでは、本書を楽しむための“知識習得”である(苦笑)。しかし、そこを過ぎれば、頁を捲る指が止まらなくなる。読者にあっと言わせる謎解きと展開の速さはさすがで、年度末で多忙にもかかわらず、上巻を読了するのに時間はかからなかった(笑)。今夜から下巻。帰宅するのが楽しみである。
コメント

クロマグロ 禁輸へ

2010-03-14 11:00:46 | Weblog
 地中海を含む大西洋のクロマグロの国際取引禁止を協議するワシントン条約の第15回締結国会議が、カタールのドーハで13日開幕した。日本は禁輸回避のため、各国へ働きかけたものの、EUやアメリカが禁輸を支持していることから、採択される公算が強い。
 私は、クジラに関してもそうなのだが、こういう時に「食文化」という言葉が出てくることに違和感を覚える。食に文化があるのかどうかも疑問なのだが、これだけ食べ物を残す国が、食文化という言葉を使う資格があるのだろうか。食とは、自らが生きるために、他の命を犠牲にすることに他ならない。したがって、それは必要最小限度でなければならないはずなのである。現在のように、牛肉でもマグロでも、好きな時に好きなだけ食べられる世の中の方が異常ではないだろうか。クロマグロの禁輸、大いに結構なことだと思う。

※写真はウィキペディアより(葛西臨海水族園飼育の個体)
コメント

サントリーコーヒーボス 戦国騎馬武将

2010-03-13 11:34:32 | Weblog
 サントリーコーヒーボスのおまけシリーズ。今回は戦国騎馬武将(全10種類)である。いつも、つい複数個買ってしまうのだが、全種類揃ったためしがない(苦笑)。この騎馬武将も、いつものコンビニには直江兼続と山本勘助が居なかった。結局、8種類・8本を買ったのだが、実は、私は缶コーヒーは飲まない(笑)。これらの缶コーヒーは、出入り業者さんへのお茶代わりになるってわけ。
 さて、武将フィギュアと動く馬は、なかなかリアルである。子供向けのおまけだったら、馬は共通で、上に乗る武将フィギュアだけを変えるといった手抜きがされるところだが、それでは大人は納得しない。こだわりの造りでないと、次回にリピートしてもらえないから、サントリーも手抜きはない。シール式の“のぼり旗”まで付いている(これを貼り付けるのが大変だった)。しかし、「ゼンマイで走る暴れ馬!」という副題が付いていたので、その動きに期待したのだが、ピョコピョコと跳ねて進むファニーな感じ(苦笑)。本当の戦場で大将がこのザマだったら、足軽にさえナメられてしまうだろう(爆)。

※写真は織田信長(右)と徳川家康(左)
コメント

葬式は、要らない( 島田裕巳著)

2010-03-07 21:36:48 | Weblog
 話題の「葬式は、要らない」が我が家にあった。母が買ったらしい。これから読んでみようと思う。
 以前にも書いたが、私は一時、仏教について調べたことがある。その理由を簡単に話せば、今の仏教は金儲けの手段でしかないと思ったからだ。そして、調べるにしたがって、葬式や戒名、墓さえも必要ないと考えるようになった。
 というのは、釈迦はそもそも、この世での生き方を説いている。それどころか、死んだ後にしか知ることのできない世界について考えることは無駄だとしているのだ。また本来、ほとんど信仰心のなかった者に対して、死後、戒名を与えるというのも誤りである。そんな戒名を、僧侶の仮住まいである庫裏を自宅がわりにし、家族を持って住職の座を世襲し、俗人とほぼ同じように生きている生臭坊主に、わざわざ高い金を払って授けてもらうのもバカバカしいではないか。私が死んだら、火葬場で焼いて、骨は散骨してくれればそれでいいと既に遺言している。…さて、本書には何と書いてあるだろうか。
コメント