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「噂の真相」元編集長岡留安則さん亡くなる 71歳

2019年02月09日 | おくやみ
「噂の真相」元編集長岡留安則さんの口癖は「雑誌と結婚したんだ」【追悼】
上記の記事によると
=月刊誌「噂の真相」の編集長だった岡留安則さんが1月31日、沖縄の病院で亡くなった。71歳。政財界から芸能、文壇まで、数々のスキャンダルをスクープした伝説の編集長だった。



 元副編集長・川端幹人さんはこう話す。

「岡留さんは一生独身でした。女性にはモテましたよ。常に付き合っている相手はいましたが、結局、結婚しなかった。『守るべきものをもちたくない』『雑誌と結婚したんだ』が口ぐせでした」

「噂の真相」は、タブーへの挑戦や反権力・反権威を掲げ1979年に創刊。2004年に休刊するまで、スキャンダルならジャンルを問わずに報じた。
 発行部数は休刊時に約20万部あり、総合月刊誌では文芸春秋の次につけていた。

 ページの余白には短歌のような1行情報。「〜の噂」などと書かれ、パラパラとめくることができた。記者も1行情報を追いかけたことがある。

「作家が静岡県の寺で出家するという噂」というものだった。寺へ行ってみたら真実で、喜んだものだった。

 一方で、トラブルも絶えなかったが、本人はまったく気にする様子はなかった。デスクだった神林広恵さんはこう振り返る。

「1行情報の皇族の表記に敬称が抜けていて、『不敬だ』と右翼団体の2人組が抗議に編集部に乗り込み、暴行されたことがあった。岡留さんは太ももを刺されて血だらけになりました。当初は病院や警察に行きましょうと言っても、『銀座で約束があるから』と聞かず、そのまま飲みに行こうとしていました」

 襲われた時、防犯カメラに一部始終が映っており、映像をネットで配信した。

「暴力や抗議があってもネタにする、転んでもタダでは起きない。スキャンダルこそがジャーナリズムの王道だと本気で語っていた」(神林さん)

 検察の内幕ものもウリの企画の一つだった。東京高検検事長の愛人スキャンダルも掲載した。

「どんな相手でも知ったら書く。訴えられて示談交渉の途中なのに新たに書いて、示談がぶち壊しになったこともありました。とにかく細かいことを気にせず、苦しい局面でもいつも陽気。雑誌というものは編集長の姿勢が反映されるといいますが、その通りだと思いました」(川端さん)

 休刊後は沖縄に移り住んだ。どういう理由からだったのか。

「25年間やって、少し休みたくなったみたいです。パックパッカーになって、世界中をまわりたいと言っていた。ところがいざ沖縄へ行ったら、米軍ヘリが落下する事件が起きて、のんびりしている場合じゃないと基地問題について発信し始めた」(神林さん)

 那覇市で飲食店「酒処 瓦家別館」を開き、沖縄にやって来るマスコミと現地の人をつなぎ、情報交換の場を提供した。

 店に週1回通っていたというライターはこう話す。

「岡留さんは焼酎が好きで沖縄へ行ってからは泡盛を飲んでいた。ヘビースモーカーでしたね。店はスナックみたいな感じで、3〜4人の女性が日替わりでカウンターに立っていた。ボトルを入れれば会計は千円で済むような、明朗会計の店でした」

 岡留さんは16年9月に不調を訴え、病院で検査したところ脳梗塞(こうそく)と診断された。

「それからは店を閉店し、病院でのリハビリ生活が続いていました。昨年11月、肺がんが見つかり、余命3カ月を宣告されました」(川端さん)

 亡くなる6日前に会った神林さんはこう話す。

「岡留さんは車椅子でしたが、苦しい様子はなかった。病院内で女性コーラスグループの沖縄民謡を聴くなど、元気そうにしていました」

 急変したのは1月31日。

「最後は意識がない状態でしたが、音楽を聞かせると、涙を流していたようです」(川端さん)

 かつては、「オレには野垂れ死にする自由がある」と入院を拒否することもあったが、最後は親族やスタッフらに温かく見守られた。
 岡留さんが築いた反骨のゲリラジャーナリズムとスキャンダル魂はこれからも受け継がれていく。

(本誌・上田耕司)
※週刊朝日オンライン限定=

ぼくは岡留安則さんの創る「噂の真相」が大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
「噂の真相」イズム―反権力スキャンダリズムの思想と行動
岡留 安則
WAVE出版

「噂の真相」25年戦記 (集英社新書)
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集英社
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