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女優八千草薫(やちぐさ・かおる)さん亡くなる 88歳

2019年10月28日 | おくやみ
上記の記事によれば
=【モデルプレス=2019/10/28】女優の八千草薫(やちぐさ・かおる 本名:谷口瞳/たにぐち・ひとみ)さんが24日、膵臓がんのため88歳で亡くなったことがわかった。28日、各メディアが一斉に報じた。

報道によると、八千草さんは2017年にすい臓がんが見つかり、2018年1月に手術。2019年2月には新たに肝臓がんが見つかったとして、闘病のためしばらく休養することを発表。

2019年4月より放送のテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻〜道」への出演を降板した際は、「体調を整えまして、より一層楽しんでいただける作品に参加できるように帰ってまいります」とコメントし、復帰を誓っていた。

◆八千草薫さん、日本を代表する名女優として活躍 1997年には紫綬褒章も受章

八千草さんは1947年に宝塚歌劇団に入団、娘役として人気を博した。1957年に退団後は、女優として映画やドラマなど数々の作品に出演。

1997年には紫綬褒章を受章、2017年には第40回日本アカデミー賞 会長功労賞を受賞しているほか、最近では、2015年に映画「ゆずり葉の頃」で主演を務めた。夫は2007年に亡くなった映画監督の谷口千吉氏。(modelpress編集部)

【Not Sponsored 記事】
ぼくは『岸辺のアルバム』や『阿修羅のごとく』などの八千草さんが大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
 
 
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400勝投手・金田正一さん亡くなる  86歳

2019年10月07日 | おくやみ

上記の記事には
= プロ野球で唯一の400勝を達成するなど史上最高の左腕投手と呼ばれ、ロッテで監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)さんが6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去した。86歳。愛知県出身。喪主は長男賢一(けんいち)氏(58)。通夜・告別式は近親者のみで執り行う。後日「お別れの会」を行う予定。

 前人未到の記録を打ち立ててきたレジェンド左腕が、天国へと旅立った。“カネやん”の愛称で親しまれ、国鉄(現ヤクルト)、巨人で、通算400勝を挙げた金田氏。6日午前4時38分、86年の生涯に幕を閉じた。

 ONらとともに、昭和の球界で主役を担った。愛知・享栄商を中退し、1950年に国鉄入り。8月入団ながら速球と縦に落ちるカーブを武器に8勝。打者としても17歳2カ月で史上最年少本塁打を記録した。

 翌51年から2度の30勝を含め、14年連続で20勝以上をマーク。国鉄時代は優勝を果たせなかったが、球界最高の投手に君臨。強烈な存在感で「天皇」とまで呼ばれた。特に対巨人、対長嶋茂雄に闘志を燃やし、58年4月5日の開幕戦(後楽園)では、デビュー戦の長嶋から4打席連続奪三振。プロの洗礼を浴びせた。

 その後、65年に巨人に移籍。厳しい鍛錬で自らを追い込む姿はナインの模範となり、同年からの9連覇の礎となった。移籍5年目の69年に通算400勝を達成し、現役を引退。引退後はロッテ監督として74年の日本シリーズを制した。

 都内の自宅前で報道陣に対応した俳優の長男・賢一さんは「父にとって野球は天職だった。野球一筋の人生だった」と明かした。幼少期、左腕を引っ張ろうとすると怒られたという。左腕を使って抱っこされたことも、一度もなかった。

 プロ野球界を生き抜いていくために、自分の武器であった左腕に最大限、気を配っていた金田さん。病床に伏しても、昨年1月に野球殿堂入りの通知式でゲストスピーチを務めた原監督率いる巨人が勝利すると「おお、勝ったか」と喜んでいたという。

 今季もたびたび東京ドームを訪れて古巣を激励するなど、最後まで野球を愛した金田さん。賢一さんは「あの世に行っても野球をやっていると思います」と気丈に語った。プロ野球界に前人未到の偉大な記録を数多く残した男が、静かに息を引き取った。=

ぼくは現役の時のすごい投球。引退してからの楽しい’’しゃべり’’全て大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。

 
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作家の田辺聖子さん亡くなる 91歳

2019年06月10日 | おくやみ
作家の田辺聖子さんが死去 「感傷旅行」「ひねくれ一茶」<
上記の記事には
= 芥川賞受賞作「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」や「ひねくれ一茶」をはじめ、人生や男女関係の機微を軽妙な筆致でつづったユーモア小説などで知られる作家で、文化勲章受章者の田辺聖子(たなべ・せいこ)さんが6日午後1時28分、胆管炎のため神戸市内の病院で死去した。91歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は弟聡(あきら)氏。後日、東京と大阪でお別れの会を開く予定。
 樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大)卒業後、会社勤務などの傍ら小説を同人誌に発表。1957年に「花狩」が懸賞小説で佳作となり本格的な創作活動に入った。64年に「感傷旅行」で芥川賞。=

ぼくは田辺聖子さんのユーモア溢れる文体と生き方が大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。

言い寄る (講談社文庫)
田辺 聖子
講談社







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俳優萩原健一(はぎわら・けんいち)さん亡くなる 68歳

2019年03月29日 | おくやみ
俳優の萩原健一さん死去 「傷だらけの天使」、68歳

上記の記事には
= 「ショーケン」の愛称で親しまれ、ドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などに出演した個性派俳優でミュージシャンの萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍のため東京都内の病院で死去した。68歳。さいたま市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻理加(りか)さん。
 1967年に5人組のグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルとしてデビュー。「神様お願い!」「エメラルドの伝説」などのヒット曲を出し「ザ・タイガース」と並ぶ人気グループとなった。
 グループ解散後は俳優としての活動に軸足を移した。=

ぼくは「ザ・テンプターズ」の「エメラルドの伝説」。TVドラマは『前略おふくろ様』映画は『青春の蹉跌』。などが好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
名作ドラマBDシリーズ 傷だらけの天使 Blu-ray-BOX(3枚組 全26話収録)
萩原健一,岸田今日子,水谷 豊,岸田 森,ホーン・ユキ
バップ




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ロック歌手で俳優の内田裕也さん亡くなる 79歳

2019年03月18日 | おくやみ
内田裕也さんのロックンロール完結、希林さんの元へ
上記の記事には
=ロック歌手で俳優の内田裕也さん(本名・雄也)が17日午前5時33分、肺炎のため、都内の病院で死去した。79歳だった。容体が急変したため、家族は看とることができなかった。妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれてから6カ月。ロック界のカリスマも、天寿を全うし希林さんの元へと旅立った。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会が営まれる。
  ◇    ◇    ◇
肺炎のため入院中だった内田さんは亡くなる前日16日、見舞いに訪れた家族と過ごし、好物のオムライスを食べるなど元気だったという。だが、その夜に容体が急変、そのまま帰らぬ人となった。
都内の自宅マンションでは昨夜から娘のエッセイスト内田也哉子さん(43)が付き添い、この日午後3時前には孫のモデルUTAさん(21=本名雅樂)が駆けつけた。
73年10月に結婚した女優樹木希林さんとは40年あまり別居し、家族とも疎遠になっていたが、年1回の家族写真撮影では顔を合わせていた。昨年9月に希林さんが亡くなり、その葬儀・告別式を通じて、くしくも残された家族との絆を深めることになった。
兵庫県に生まれた内田さんは中学でラグビー部、高校で野球部に所属するスポーツ青年だったが、エルビス・プレスリーに憧れてドロップアウト。60年を超える「ロックンロール人生」がスタートする。
同い年の佐川満男と結成したロカビリーバンドを皮切りに、日劇ウエスタンカーニバルにも出場。60年代中頃からロック色を強め、66年のビートルズ来日公演では前座を務めた。
年末恒例となった「ニューイヤー・ワールドロック・フェスティバル」を主催するなど、プロデューサーとしての能力も発揮し、大阪のジャズ喫茶で、後のグループサウンズ・ブームをけん引する沢田研二(70)を発掘したことで知られる。
個性派俳優としても活躍したが、映画への傾倒は夫のジョン・レノンとともに交流のあったオノ・ヨーコさん(86)の言葉への発奮がきっかけだったことを明かしている。「酒ばかり飲んで、暴力ふるって、何も残していない」と言われた内田さんは「絶対に見返してやる」と「十階のモスキート」(83年、崔洋一監督)をプロデュース。オノさんの住むニューヨークで同作のプレミア上映が行われた時は「リベンジした気分だった」と振り返った。
レノンを始め、海外ミュージシャンとの交流も多く、流ちょうに英語を話した。「戦場のメリークリスマス」(83年、大島渚監督)に出演したときは、突然あてがわれた英語のセリフを即興的にこなしたこともあった。
規格外の行動は時としてトラブルにつながった。77年には大麻取締法違反(起訴猶予処分)。83年には銃刀法違反。11年には交際中の女性から別れ話をされた際に女性を脅迫し、女性の自宅に侵入した容疑で計3度の逮捕歴がある。
良くも悪しくも、内田さんにとってはどれも真っすぐに「ロックンロール」な行動。言動の端々に妻希林さんの言う「ひとかけらの純なもの」を感じさせる人だった。
◆内田裕也(うちだ・ゆうや)本名・雄也。1939年(昭14)11月17日、兵庫県生まれ。59年、日劇ウエスタンカーニバルで本格デビュー。ザ・フラワーズのボーカルやフラワー・トラベリング・バンドなどのプロデュース活動を幅広く行った。主催した「ニューイヤー・ワールド・ロックフェスティバル」は73年から42回を数えた。俳優としては63年の「素晴らしい悪女」を皮切りに「エレキの若大将」(65年)などに出演。86年の「コミック雑誌なんかいらない」でキネマ旬報主演男優賞などに輝いた。91年には東京都知事選に立候補。11年には被災地宮城県石巻市で炊きだしを行った。=


ぼくはロッカーの裕也さんとよう同じように俳優さんも大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。

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映画監督佐藤純弥(さとう・じゅんや)さん亡くなる 86歳

2019年02月18日 | おくやみ
「敦煌」「人間の証明」佐藤純弥監督が死去86歳
上記の記事には
=「敦煌」「人間の証明」「男たちの大和/YAMATO」などを手がけた映画監督の佐藤純弥(さとう・じゅんや)さんが9日午後11時、都内の自宅で亡くなっていたことが17日、分かった。多臓器不全による衰弱死だった。享年86。通夜・告別式は都内斎場で、喪主を務めた長男の東弥(とうや)氏ら親族のみですでに営んだことを東映が発表した。
佐藤さんは家族に見守られながら旅立った。3年前に、消化器系の疾患により医師から入院を勧められていたが、本人が拒否し、自宅で療養生活を送っていた。先月19日には、東映東京撮影所OBによる恒例のマージャン大会にも参加し、元気な姿を見せていた。
新幹線を舞台にしたパニック映画「新幹線大爆破」(75年)で注目を集め、松田優作さんらが出演する「人間の証明」などを手掛けた。中国で大規模ロケを行った「敦煌」(88年)など、大作を手堅くまとめる手腕に定評があり、「植村直己物語」の北極や「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」のシベリアなど困難な海外ロケも敢行、極地監督とも呼ばれた。
高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で大ヒットして話題に。日中合作「未完の対局」はモントリオール世界映画祭でグランプリに輝いた。
昨年11月、自らの映画人生を振り返ったインタビュー本「映画監督 佐藤純弥 映画よ憤怒の河を渉れ」が刊行され、特集上映が行われたばかりだった。タイトルとなった作品は中国で大ヒット。「体制による暴力と個人の相対」をテーマにした作品だが、デビュー作品「陸軍残虐物語」(63年)などの戦争映画や「組織暴力」(67年)に始まるヤクザ映画など、扱うテーマは違っても、根底は変わることがなかった。幼少時代、戦争による疎開でいじめにあったことが原点だ。
フィリピンのルバング島からの帰還兵小野田寛郎さんを描いた「ルバング島の奇跡 陸軍中野学校」(74年)「男たちの大和/YAMATO」(05年)で、訴えたかったことは反戦だった。「小野田さんを英雄視すれば戦争礼賛映画になりかねない。小野田さんが受けた戦争教育がルバング島で純粋培養された現象でしかない」としていた。
徹底した取材にこだわることでも有名だった。その真面目さが、時には「超能力者 未知への旅人」(94年)「北京原人 Who are you?」(97年)のような怪作をも生み出すこともあった。
壮大なスケールの映像にヒューマニズムなメッセージを込め、職人気質で淡々と撮影を続けた。
◆佐藤純弥(さとう・じゅんや) 1932年(昭7)11月6日、東京生まれ。東京大学卒業後、58年東映東京撮影所に助監督として入社。63年「陸軍残虐物語」で監督デビュー、68年にフリー。遺作は10年の「桜田門外ノ変」。08年、旭日小綬章。=

ぼくは監督の作品では「君よ憤怒の河を渉れ」や「人間の証明」などが好きです。
心からご冥福を御祈りいたします。

君よ憤怒の河を渉れ [Blu-ray]
高倉健,原田芳雄,池部良,中野良子,大滝秀治
KADOKAWA / 角川書店

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「噂の真相」元編集長岡留安則さん亡くなる 71歳

2019年02月09日 | おくやみ
「噂の真相」元編集長岡留安則さんの口癖は「雑誌と結婚したんだ」【追悼】
上記の記事によると
=月刊誌「噂の真相」の編集長だった岡留安則さんが1月31日、沖縄の病院で亡くなった。71歳。政財界から芸能、文壇まで、数々のスキャンダルをスクープした伝説の編集長だった。



 元副編集長・川端幹人さんはこう話す。

「岡留さんは一生独身でした。女性にはモテましたよ。常に付き合っている相手はいましたが、結局、結婚しなかった。『守るべきものをもちたくない』『雑誌と結婚したんだ』が口ぐせでした」

「噂の真相」は、タブーへの挑戦や反権力・反権威を掲げ1979年に創刊。2004年に休刊するまで、スキャンダルならジャンルを問わずに報じた。
 発行部数は休刊時に約20万部あり、総合月刊誌では文芸春秋の次につけていた。

 ページの余白には短歌のような1行情報。「〜の噂」などと書かれ、パラパラとめくることができた。記者も1行情報を追いかけたことがある。

「作家が静岡県の寺で出家するという噂」というものだった。寺へ行ってみたら真実で、喜んだものだった。

 一方で、トラブルも絶えなかったが、本人はまったく気にする様子はなかった。デスクだった神林広恵さんはこう振り返る。

「1行情報の皇族の表記に敬称が抜けていて、『不敬だ』と右翼団体の2人組が抗議に編集部に乗り込み、暴行されたことがあった。岡留さんは太ももを刺されて血だらけになりました。当初は病院や警察に行きましょうと言っても、『銀座で約束があるから』と聞かず、そのまま飲みに行こうとしていました」

 襲われた時、防犯カメラに一部始終が映っており、映像をネットで配信した。

「暴力や抗議があってもネタにする、転んでもタダでは起きない。スキャンダルこそがジャーナリズムの王道だと本気で語っていた」(神林さん)

 検察の内幕ものもウリの企画の一つだった。東京高検検事長の愛人スキャンダルも掲載した。

「どんな相手でも知ったら書く。訴えられて示談交渉の途中なのに新たに書いて、示談がぶち壊しになったこともありました。とにかく細かいことを気にせず、苦しい局面でもいつも陽気。雑誌というものは編集長の姿勢が反映されるといいますが、その通りだと思いました」(川端さん)

 休刊後は沖縄に移り住んだ。どういう理由からだったのか。

「25年間やって、少し休みたくなったみたいです。パックパッカーになって、世界中をまわりたいと言っていた。ところがいざ沖縄へ行ったら、米軍ヘリが落下する事件が起きて、のんびりしている場合じゃないと基地問題について発信し始めた」(神林さん)

 那覇市で飲食店「酒処 瓦家別館」を開き、沖縄にやって来るマスコミと現地の人をつなぎ、情報交換の場を提供した。

 店に週1回通っていたというライターはこう話す。

「岡留さんは焼酎が好きで沖縄へ行ってからは泡盛を飲んでいた。ヘビースモーカーでしたね。店はスナックみたいな感じで、3〜4人の女性が日替わりでカウンターに立っていた。ボトルを入れれば会計は千円で済むような、明朗会計の店でした」

 岡留さんは16年9月に不調を訴え、病院で検査したところ脳梗塞(こうそく)と診断された。

「それからは店を閉店し、病院でのリハビリ生活が続いていました。昨年11月、肺がんが見つかり、余命3カ月を宣告されました」(川端さん)

 亡くなる6日前に会った神林さんはこう話す。

「岡留さんは車椅子でしたが、苦しい様子はなかった。病院内で女性コーラスグループの沖縄民謡を聴くなど、元気そうにしていました」

 急変したのは1月31日。

「最後は意識がない状態でしたが、音楽を聞かせると、涙を流していたようです」(川端さん)

 かつては、「オレには野垂れ死にする自由がある」と入院を拒否することもあったが、最後は親族やスタッフらに温かく見守られた。
 岡留さんが築いた反骨のゲリラジャーナリズムとスキャンダル魂はこれからも受け継がれていく。

(本誌・上田耕司)
※週刊朝日オンライン限定=

ぼくは岡留安則さんの創る「噂の真相」が大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
「噂の真相」イズム―反権力スキャンダリズムの思想と行動
岡留 安則
WAVE出版

「噂の真相」25年戦記 (集英社新書)
岡留 安則
集英社
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作家の橋本治(はしもと・おさむ)さん亡くなる 70歳

2019年01月29日 | おくやみ
作家の橋本治さんが死去 「桃尻娘」、評論でも活躍
上記の記事には
=小説「桃尻娘」や異色の古典現代語訳「桃尻語訳 枕草子」をはじめ、評論など多彩な執筆活動で活躍した作家の橋本治(はしもと・おさむ)さんが29日午後3時9分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去した。70歳。東京都出身。
 1968年、東京大在学中に学園紛争のさなかだった大学祭のポスターを制作。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」のコピーで注目を集めた。77年、当時の風俗を若者言葉で軽やかに描いた青春小説「桃尻娘」で作家デビューした。
 ベストセラーとなった「桃尻語訳 枕草子」は、若い女性の言葉で古典の魅力をよみがえらせた。=
ぼくは橋本治さんの文章としゃべり方が好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
負けない力 (朝日文庫)
橋本 治
朝日新聞出版
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俳優市原悦子(いちはら・えつこ)さん亡くなる 82歳

2019年01月14日 | おくやみ
市原悦子さん死去 82歳 「家政婦は見た!」シリーズや「まんが日本昔ばなし」
上記の記事には
=テレビドラマ「家政婦は見た!」シリーズなどで知られ、舞台や映画でも活躍した女優の市原悦子(いちはら・えつこ、本名塩見悦子=しおみ・えつこ)さんが12日午後1時31分、心不全のため東京都内の病院で死去した。82歳。千葉市出身。通夜は17日、午後6時から、葬儀・告別式は18日、午前11時から東京・港区の青山葬儀所で執り行われる。葬儀委員長はワンダー・プロダクション社長の熊野勝弘氏。

 1936年(昭和11)生まれ。高校卒業後、俳優座養成所へ。57年に舞台デビューすると、新人賞をはじめ、短い期間の間に各賞を受賞しも新劇女優として活躍。71年に俳優座を退団した後、テレビドラマや声優としても活動し、75年から始まった「まんが日本昔ばなし」では俳優の常田富士男との名コンビで、昔話の主人公を声で2人きりで演じた。

 映画「八つ墓村」、「はだしのゲン」(いずれも77年)、テレビ朝日系時代劇「翔べ!必殺うらごろし」(78年)などに出演後、83年から始まったテレビ朝日系「家政婦は見た!」シリーズで2時間ドラマの主演として有名となり、お笑いタレントなどがドラマのパロディーを演じるなど、子供にも知られる存在となった。ナレーションやCMなどで幅広い活躍を見せた。

 市原さんは12年、大腸に腫瘍が見つかり、映画を降板。16年11月に免疫システムの機能に不良が生じる「自己免疫性脊髄炎」のため入院。18年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の語りを務める予定だったが、17年11月に降板が発表されていた=

ぼくは「まんが日本昔ばなし」とテレビ朝日系「家政婦は見た!」シリーズ」が印象にのこりました。品のいいやさしいセリフ回しがだすきでした。
心からご冥福を御祈りいたします。

白髪のうた
市原 悦子,沢部 ひとみ
春秋社


ひとりごと 〈新装版〉
市原 悦子
春秋社


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女優の赤木春恵(あかぎ・はるえ)さん亡くなる 94歳

2018年11月29日 | おくやみ
「金八先生」「渡鬼」赤木春恵さん死去…94歳
上記の記事には
=「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などのテレビドラマや、舞台で名脇役として活躍した女優の赤木春恵(あかぎ・はるえ、本名・小田章子=おだ・あやこ)さんが29日、心不全のため亡くなった。94歳だった。告別式は12月4日午後1時、東京都杉並区永福1の8の1築地本願寺和田堀 廟 びょう 所。喪主は長女の夫、野杁和俊(のいり・かずとし)氏。
 旧満州(現・中国東北部)生まれ。1940年、松竹入社。72年のNHK連続テレビ小説「藍より青く」でヒロインのしゅうとめ役を演じて人気を集め、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」や連続テレビ小説「おしん」でも存在感を発揮した。TBSの「3年B組金八先生」では校長役、「渡る世間は鬼ばかり」でもしゅうとめ役を好演し、両シリーズに長く出演。「三婆」「夕やけ小やけでまだ日は暮れぬ」など舞台でも活躍した。
 93年、紫綬褒章を受章。2013年公開の映画「ペコロスの母に会いに行く」では映画初主演を果たした。=
ぼくはTBSの「3年B組金八先生」や連続テレビ小説「おしん」。映画「ペコロスの母に会いに行く」を楽しくみました。
心からご冥福を御祈りいたします。

ペコロスの母に会いに行く 通常版 [DVD]
岩松 了,赤木春恵,原田貴和子,加瀬 亮,竹中直人
TCエンタテインメント


あせらず、たゆまず、ゆっくりと。93歳の女優が見つけた人生の幸せ
赤木春恵
扶桑社

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コラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さん亡くなる 57歳

2018年11月28日 | おくやみ
勝谷誠彦さん死去 共演者は口々に「繊細な人」 悪がる、強がる一方で…
上記の記事には
=コラムニストの勝谷誠彦(かつや・まさひこ)さんが28日午前1時48分、肝不全のため兵庫県尼崎市の病院で亡くなった。57歳。今年8月に重症アルコール性肝炎で緊急入院して以降、入退院を繰り返していた。

 毒舌全開の“勝谷節”で知られたが、勝谷さんを知る人は、口々に「繊細な人」と表現する。

 ABCテレビ「ムーブ!」、読売テレビ「あさパラ!」などで共演し、2人だけで飲みに行くなどプライベートでも交流があった作家、画家の若一光司氏は28日、読売テレビ「かんさい情報ネットten.」に出演。バイタリティーの源をたずねた時、勝谷さんは「俺はコンプレックスの塊やから」と告白。「医者になりたかったけどなれなかった」「背が高くない」「東大に行けず早稲田に行った」「小説家になりたかったけどなれなかった」など、自身のコンプレックスを明かしたという。

 勝谷さんは尼崎市出身。超難関校の私立灘高校を経て早稲田大卒業後、文藝春秋に入社。週刊文春などの記者として海外も含めたニュース報道を手掛けた。歯に衣着せぬ発言で関西のテレビ、ラジオを中心に活躍。2017年、兵庫県知事選に立候補したが、落選した。

 若一氏は「悪がる、強がる…でもサシ(一対一)で飲んでる時は、繊細な、複雑なくらい繊細。言葉悪いですけど、とてもかわいそうで…かわいそうな感じがします」と涙で声を震わせた。

 内科医のおおたわ史恵氏は日本テレビ「スッキリ!」で共演していた。この日、TOKYO MX「5時に夢中!」に出演し、「皆さん、怖い、ってイメージあるかもしれないけど、ものすごい繊細で、甘えんぼで、子供っぽいところのある人。傷つきやすいんだろうな、と思っていました」と語った。=

ぼくは勝谷誠彦さんの歯に衣着せぬ毒舌が内容は別にして大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。

バカが隣りに住んでいる
勝谷 誠彦
扶桑社
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女優・江波杏子さん亡くなる 76歳

2018年11月20日 | おくやみ
女優・江波杏子さん死去 76歳 『女賭博師』“昇り竜のお銀”
上記の記事には
=『女賭博師』シリーズなどで知られる女優の江波杏子さんが、10月27日に肺気腫のため亡くなった。76歳だった。11月2日に所属事務所が公式サイトを通じて発表した。密葬を済ませており「密葬後に、皆様に報告をしてほしいという故人の遺志に従いました。皆様にご報告が遅れましたご無礼お許し下さい」としている。
 サイトでは「去る10月27日(土)21時6分江波杏子が急逝致しました」と発表。26日に呼吸の状態が悪化し、14時に都内病院に入院したが、回復することなく息を引き取ったという。事務所スタッフ一同「あまりに突然の出来事に言葉もありません」とつづっている。
 死因は「肺気腫(慢性閉塞性肺疾患)の急性増悪」。肺気腫は長年患っていたが日常生活に差し障りはなく、10月22日までNHKのラジオドラマ収録に参加し、11月以降もドラマの出演オファーを受けるなど、女優業も順調にこなしていたという。
 江波さんは、1942年10月15日生まれの東京都出身で、母は女優の江波和子さん。1959年、大映に入社し、映画デビュー作は『おとうと』(1960)となっている。初主演を飾った『女の賭場』(1966)の女賭博師ぶりが評判を呼び、翌年から『女賭博師』シリーズが17本製作され、“昇り竜のお銀”としても親しまれた。『津軽じょんがら節』(1973)でキネマ旬報主演女優賞を受賞し、その後も映画・ドラマ・舞台で活躍。近年も『ごくせん THE MOVIE』(2009)、『相棒-劇場版II- 警視庁占拠!特命係の一番長い夜』(2010)、『桜、ふたたびの加奈子』(2013)、『地獄でなぜ悪い』(2013)など話題作に出演した。
 今年は松坂桃李さん主演の『娼年』が公開。3月に行われた完成披露では、本作の依頼が来るまで「老女優として看板を下ろそうかなと思っていた」と引退を考えていたと明かすも、「演じているうちに希望に満ち満ちまして、看板を下ろそうかなと思っている気持ちも吹き飛びました」と語っていた。
 事務所によると、今後も江波さん出演ドラマの放送は続き、「カラスになったおれは地上の世界を見おろした。」(NHK・BSプレミアム)が11月10日に、「山村美紗サスペンス 赤い霊柩車37 猫を抱いた死体」(フジテレビ)が11月16日に、ラジオドラマ「罵詈雑言忠臣蔵」(NHKFM)が12月8日に、「小吉の女房」(NHKBSプレミアム)が2019年1月11日に放送予定となっている。(編集部・入倉功一)=

ぼくは『女賭博師』シリーズをみてから江波杏子さんずーとのファンです。最近もTVでみていたのでおどろきました。
心からご冥福を御祈りいたします。

女の賭博師シリーズ 全10巻セット [DVD]
江波杏子,成田三樹夫,南廣,高千穂ひづる
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松坂桃李,真飛聖,冨手麻妙,猪塚健太,桜井ユキ
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女優・角替和枝(つのがえ・かずえ)さん亡くなる 64歳

2018年10月29日 | おくやみ
女優・角替和枝さん「原発不明がん」のため死去 64歳 夫・柄本明「今はそっとしておいて」
上記の記事には
=俳優の柄本明(69)の妻で、舞台や映画、ドラマなどで活躍した女優・角替和枝(つのがえ・かずえ、本名:柄本和枝=えもと・かずえ)さんが27日午前6時27分、「原発不明がん」のため死去した。64歳。所属事務所を通じて夫の柄本は「長きに渡り応援して下さいましたファンの皆様、及び関係者の皆様には深く感謝いたします」とコメントした。

 書面で柄本は「かねてより闘病中でした、妻 柄本和枝(芸名 角替和枝・享年64)が10月27日午前6時27分『原発不明癌』により旅立っていきました」と報告。葬儀は近親者だけで行い、後日「お別れの会」を開く予定とし「その際に改めてご挨拶させていただければと思いますので、今はそっとしておいていただければ幸いです」と伝えている。

 角替さんは静岡県出身。地元の高校を卒業後に上京し、つかこうへい事務所、東京乾電池などで舞台女優として活躍。NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』のお手伝いさん役など、映画、テレビでも名脇役として人気を博した。

 1981年11月に柄本明と結婚。長男・柄本佑(31)、次男・柄本時生(29)も俳優として活躍し、佑は2012年に女優・安藤サクラ(32)と結婚している。=

ぼくは角替和枝さんの明るくてやさしい笑顔が大好きでした。
心からご冥福を御祈りいたします。
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俳優穂積隆信(ほづみ・たかのぶ)亡くなる 87歳

2018年10月20日 | おくやみ
「積木くずし」穂積隆信さん、死去 胆のうがん87歳
上記の記事「には
=非行に走った実娘との日々を描いたノンフィクション「積木くずし〜親と子の二百日戦争〜」(桐原書店)の著者で、俳優の穂積隆信(ほづみ・たかのぶ、本名・鈴木隆信=すずき・たかのぶ)さんが19日未明、胆のうがんのため神奈川県内の病院で亡くなったことが分かった。87歳だった。所属事務所が明らかにした。
 所属事務所によると、体調を崩し8月に病院に行ったところ、黄だんの症状が出て、胆のうがんであることが判明、入院していた。穂積さんは生前、「(遺体は)献体に回してほしい」と希望していたという。葬儀・告別式は未定。
 静岡県出身。1953年に俳優座養成所を卒業し、59年に「にあんちゃん」で映画デビュー。悪役やとぼけた役もこなすバイプレーヤーとして映画、ドラマに出演し、洋画の吹き替えでも活躍した。近年も定期的に活動しており、今年2月には東京・三越劇場での舞台にも出演していた。
 1982年、当時中学生だった実娘の由香里さん(03年死去、享年35)が不良少女となり、非行から立ち直らせるまでの葛藤の日々を描いた「積木くずし―」は280万部の大ベストセラーに。当時深刻な問題となっていた10代の非行に一石を投じる作品となった。翌年にはTBS系で連続ドラマ化され、穂積さん役を前田吟(74)が、由香里さん役を高部知子(51)が演じ、最終回の視聴率は45・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録。同年11月に映画化もされ、社会現象となった。
 「積木くずし」は続編も執筆され、穂積さんも教育評論家として一躍時の人となったが、金銭トラブルなどで多額の負債を抱え、妻とも87年に離婚。93年に再婚した。穂積さんは2012年に、後日談を含めた「積木くずし 最終章」を執筆。同11月にフジテレビ系でスペシャルドラマ化された際には穂積さん本人も特別出演していた。=

僕は「積木くずし」関連の多くを観ました。
心からご冥福を御祈りいたします。
積木くずし 最終章
穂積 隆信
駒草出版
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仙谷由人(せんごく・よしと)元官房長官亡くなる 72歳

2018年10月16日 | おくやみ
仙谷由人元官房長官死去、72歳=民主政権の屋台骨
上記の記事には
=旧民主党政調会長や官房長官などを歴任した仙谷由人(せんごく・よしと)元衆院議員が11日午後10時30分、肺がんのため東京都内の自宅で死去した。72歳だった。徳島市出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く。
 弁護士から政界に転じ、1990年衆院選に旧社会党公認で旧徳島全県区から立候補し、初当選。落選を経て旧民主党へ移り、2009年まで通算6回当選した。政権交代後は鳩山内閣で行政刷新担当相、国家戦略担当相、菅内閣では官房長官、官房副長官を務めるなど政権中枢を担った。
 財政、医療、消費者問題など幅広い分野に詳しい政策通として知られ、議員グループ「凌雲会」で、枝野幸男、前原誠司両氏ら次世代リーダーの育成に尽力した。
 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで、時には激しく政敵と対立。とりわけ小沢一郎元民主党代表の政治手法には一貫して批判的な立場を取り、枝野氏ら「反小沢」議員の後ろ盾ともなった。
 10年9月に起きた沖縄県・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、官房長官として処理に当たったが、中国人船長を釈放するなどの政府の対応が「弱腰」と批判され、野党多数の参院で問責決議を可決された。
 民主党が下野した12年衆院選で自身も落選。14年衆院選を前に不出馬を表明し、政界から退いた。=

僕は仙谷さんは後藤田正晴内閣官房長官とならぶ 徳島県が輩出した政治史に残る偉大な政治家だと思っています。
心からご冥福を御祈りいたします。
陰の総理・仙谷由人vs.小沢一郎 (徳間文庫)
大下 英治
徳間書店



 
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