つむじ風

世の中のこと、あれこれ。
見たこと、聞いたこと、思ったこと。

眉山

2018年06月03日 21時28分53秒 | Review

さだまさし/幻冬舎文庫

 2007年4月10日初版、2007年5月10日第二刷。この作品を読んで、「阿波よしこの囃子」を自分の耳で直接聞き、男形、女形の踊りの動きを自分の目で確かめ、祭りの熱気を体感してみたいと思う人は多いだろう。このイベントを繰り返し描写するのは延々と続く祭りの盛り上がりにも似ている。「阿波よしこの囃子」が巧みに(音的に)聞こえるがごとく押し寄せる波のように繰り返す。そこのところは計算し尽くしたようなところがある。

 直交する電流が瞬間激しく短絡して、火を放つような恋をした母の思いを、その娘が大人になり、少なくとも受け入れられるようになるまでの話。個人的には全くの自由で誰の責任ということもなく、誰に迷惑を掛けるでもないのだが、小説であるが故に、ある意味美しくもあり、気高くもあるように見える。しかし世の中全てがこうであってはやはりおかしい。そのことは神田のお龍といえども、よく承知しているのだろう。それはやはり不倫であって禁断なのだと思う。それ故に全てに封印し、孤高の生き方をしてきたのだと思う。個人的には何等恥じることはなくても、それが正々堂々公にしてはばかることなく、人の生き方として真っ当を主張するのであれば、決して許されるものではないだろう。そんな母、娘がいつも折に触れて眺めていたのが眉山だった。

 「甚平」の松山賢一が預かった「箱」は、封印された過去の「思い」だったが、この設定は、「解夏」の中の「水底の村」でも同様の場面がある。数十年経って、記憶が薄らいでいく中、忘れていた過去への「タイムマシーン」が出現し、瞬時に数十年前に引き戻される思いがある。それは確かに人にとってはある種の脅威(悲しいほど懐かしい思い出、或いは封印したはずの過去)でもある。著者はどうもこの手の設定が好きらしい。