いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

恵比寿講膳・・・いわき・二百十二年前の復元!!

2011-01-20 21:04:01 | なるほど歴史塾

昨年11月21日によみがえらせた「恵比寿講膳」です。

大盛りの白いご飯。


どじょうも。
「どじょうもふな」も地元で取れたものです。


一昨年現代語訳しました
「寛政十一年農家年中行事を読む」です。

今日は「恵比寿講の日です。
昨年、11月21日に
「恵比寿講膳」を「みんなで祝おう恵比寿講」の中で、
復活させました。
それを再現してみました。

一昨年
私達「なるほど歴史塾」で、現代語にしました
今から二百十二年前の江戸時代の磐城の農民、長谷川安道さんが書きました
「寛政十一年(1799年)農家年中行事」P11)には、

正月二十日のこととして

「さて、今晩は、戎講と言って商いの神を祝い、分限に応じて、
百姓の料理を作る。
鳥は、平目、かながしら・鮒・どじょう・雉・鳩・鶉・雲雀・
野菜は牛蒡・人参・里芋・大根・豆腐・蒟蒻・干瓢・切昆布など、
これで十分である」・・・原文は漢文体です。

また十月二十日については(P34)で、
「えびす講とて、正月二十日のえびす講に優れ商神を祝う」と
書かれていますようにずいぶんと古くから続けられてきたものなのです。
このように

「えびす講」の料理は
五穀豊穣や商売繁盛・大漁満足の神々に
供えるのに最高にふさわしいものだったのです。
正月二十日のえびす講は、この一年間の繁栄を願う、
十月二十日のえびす講はそれらが達成された感謝の心を
捧げるものだったと考えられます。

今回(昨年十一月二十一日)の
恵比寿講膳・・・恵比寿講のお供え膳。

膳内は、
上段には、お吸いもの、白いまんま。
中段には、なます、おひたし。
下段には、お煮がし、魚の切り身と野菜の煮つけ、
膳の下には、左から、がま口を入れた枡、生きたどじょうやふな、生のかながしらを
お供えしました。

今回(昨年十一月二十一日)は、
かねまん本舗さんの恵比寿・大黒様にお供えし恵比寿膳をよみがえらせました。
具体的には
「白いまんま」は山盛りに盛り、赤い大きな尾頭つきの「かながしら」や「あかじ」などの焼き魚二匹。
お平(里芋、にんじん、ごぼうの大切り、こんぶ、生揚げ、しいたけ、こんにゃくなどのお煮しめ)。
お吸いもの、なます、甘酒、お神酒、きんぴら。
生きたふなやどじょう二匹を水を入れたどんぶりに入れてお膳のわきに供えます。
いっぱいお金の入った財布も供え、
お膳は恵比寿・大黒様にお供えしますので、二膳になりました。                

 このようにして、
今回(昨年の11月21日)
かねまん本舗さんの恵比寿・大黒様にお供えすることにより
恵比寿膳として、よみがえさせる事ができました。

恵比寿講のような信仰行事は
五十年以前には各家庭で普通に行われていました。
それが廃れたのは高度成長という時代になってからです。
日本が手漕ぎの伝馬船を捨ててエンジン船に乗り換えたからです。

風を読み、日和にすがり、潮の千満を無視し始まったのです。

そして、
えびす様が左わきに抱き抱えた鯛のありがたさを感じなくなりました。

その結果、

家々の恵比寿・大黒の二福神を拝むことがないがしろにされ
勤労の根本には神々への祈りと感謝があるべきでしたが、
私達は忘却してきました。

その結果が、恵比寿柱・大黒柱が崩壊するように世の中がおかしくなってきました。

今こそ
祖先の遠い昔から伝えられて来た文化を取り戻す必要があります。


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